13.兄さんの、バカ
――にぃに、どこいくの?
――にぃに、わたしもいっしょにつれてって。
――にぃに、かみなりこわいよぅ。
いつも服の裾を掴み後ろを着いてきて、人見知りですぐ翔太の背中に隠れてしまう。
兄にべったりで、憶病で、泣き虫。英梨花はそんな妹だった。
友達が出来なかった、というわけじゃない。
赤く華やかなその髪は、小さい子供たちの目には異質に映る。
だから排除しようとするイジメに会うのは当然といえて、翔太は幼心に兄として妹を守る盾にならなければと誓う。
『――さん』
守るべき小さな存在。
そう、そのはずだ。そうあるべきなのだ。
だというのに、昨夜ふいに見てしまった成熟過程にある少女の肢体は、ひどく翔太の誓いと感情を揺らがせる。
ふわふわ、ゆらゆらと。
身を任せると、まるでさざ波に優しく攫われるかのように、いけない方へと流されてしまうかもれしない。
『――ますよ?』
それはダメだろう。
英梨花にも『よろしくね、兄さん』と、言われたばかりではないか。
その期待を裏切るのはとても苦しい。息苦しい。溺れてしまいそうだ。息ができない。酸素を――
「――ぷはっ⁉」
「あ、起きた」
「……え、英梨花? えっと……?」
「おはよう、兄さん」
「あ、あぁ、おはよう英梨花」
物理的な息苦しさを感じ、喘ぐように空気を求めて口を開けば、目の前にはどうしたことか英梨花が顔を覗き込んでいた。
寝起きの頭で面食らい、咄嗟にはこの状況が分からない中、英梨花は機嫌が良いのかわずかに目尻を下げながら、ツンと翔太の鼻先を突く。
時刻を確認すれば10時半過ぎ。なるほど、昨夜は中々寝付けなかったとはいえ、いい時間だ。起こしに来たのだろう。
英梨花はと言えば、カットソーの上にキャミワンピースを合わせた、そのまま外に出掛けても問題なさそうな、落ち着いたきっちりとした感じの装いをしていた。
きっちりとした綺麗な女の子に起こされているという状況に未だ現実味がなく、少々困惑してしまう。また寝間着姿の翔太とは対照的で、少しばかり気恥ずかしさも湧き起こる。
その羞恥を呼び水として昨夜の風呂場でのことを思い返してしまい、たちまち頬が熱を帯びていく。
そんな中、英梨花は淡々と告げる。
「みーちゃん、朝ごはん早く片付けたいって」
「ま、待ってくれ」
「……兄さん?」
用件はそれだけだといって部屋を出て行こうとする英梨花の腕を、反射的に掴む。
一体どうしたのと小首を傾げる英梨花。咄嗟に言葉が出てこない翔太は「あー」「うー」と口の中で母音を転がし、言葉を捻りだす。
「そ、その、昨夜はごめん」
「っ!」
昨夜。
その言葉で英梨花の頬が僅かに朱を差し、動揺から瞳を逸らす。
いつも通りを装いつつも、昨夜のことを気に掛けていなかったわけじゃないのだろう。
すると翔太はたちまち、見てはいけないものを見てしまったという罪悪感が込み上げ、早口で弁明の言葉を紡ぐ。
「えっと、わざとじゃなかったんだ。入ってるとは知らなかったし、そりゃ気を付けていなかった俺が悪いっちゃ悪いんだけどさ」
「別に、いい、わかってる、お風呂なんて、昔は一緒っ」
「そ、それでも見てしまったのは悪かったというか、その、ジッと見てしまう形になったのは、子供の頃と違ってやけに女の子らしく綺麗になって驚いちゃったというかっ」
「に、兄さんっ」
「っ!」
どうやらバカ正直に要らぬことまで言い過ぎたらしい。
英梨花の顔は、のぼせ上ったかのように赤くなっていた。
翔太に掴まれていた手を胸元に手繰り寄せ、拗ねたように頬を膨らませて一言。
「兄さんの、バカ」
そう言い残し、羞恥に耐えられないとばかりに逃げるようにして部屋を出ていく。
翔太はその様子を立ち尽くして見送った後、ふらりとベッドに倒れ込み、バリバリと頭を掻きむしるのだった。
「あぁ、もうっ!」