100.大切で大好きな人
「いっやー、あたしとしたことがしてやられちゃった!」
こちらに戻ってきた美桜は開口一番、何かを誤魔化す様に頭を掻きながらそんなことを言う。遠目からも痛々しい落馬に見えたが、存外本人は平気そうだ。
それでもクラスの皆は美桜を取り囲み、心配そうに声を掛ける
「大丈夫なの、五條さん?」
「怪我とかしてない!?」
「ちょっと腕と膝を擦りむいたくらい。受け身もとったしへーきへーき! それよりごめん、あたしのせいで逆転されちゃった……」
「いいよいいよ、そんなの!」
「これからオレらで取り返すってーんの!」
「あはは、期待しとくね!」
美桜の腕と膝には大きな絆創膏が貼られていた。こちらに戻ってきた時もしっかりとした足取りだったし、皆も胸を撫で下ろしている。
怪我に関しては本人の言う通り問題ないのだろう。ひとまず安心したものの、それでも翔太には気掛かりなことがあった。
「なぁ美桜、何があったんだ?」
「しょーちゃん? 何って……」
「何か変な動きをしていたというか、らしくなかったというか……」
「それは……」
曖昧な表情で口籠る美桜。
あの時の美桜の行動は、明らかに無為無策といったもの。これまでの活躍もあり、どうしても異質に映る。
それは翔太以外の皆にとってもそうなのだろう。「そういやらしくなかったね」「変な動きだったかも」と囁き出す。
先ほどの敵騎の顔ぶれを思い返せば、内心穏やかじゃいられなくなる翔太。じっと心配そうに美桜を見つめるも、気まずそうに顔を逸らされる。
翔太がますます表情を険しくしていると、にまにましている女子たちに気付く。美桜の騎馬役だった女子たちだ。余計にわけがわからなくなっていく。
そして彼女たちから「ほら」とか「言っちゃいなよ」と小突かれれば、美桜は観念したようにため息を1つ。頬を染め、どこか拗ねたように話す。
「……あいつらさ、しょーちゃんのこと髪の色が変だとか、気が利かなさそうとか、いうほどパッとしないとか、そんなこと言ったんだ」
「…………へ?」
「あと、髪飾りのセンスがないとかも。だからあたし、あったま来ちゃってさ」
「え、えーと、美桜……?」
「そういうことだから! あーもぅ、あたしが悪かった! いいでしょ、もう!」
「お、おぅ」
どうやら翔太のことを悪し様に言われ、我慢ならなかったらしい。
周囲の主に女子たちから、きゃーっと黄色い声が上がり騒ぎ出す。
頬は、ただただ熱い。
英梨花は目を瞬かせた後、可笑しそうに笑った。
◇
その後、翔太は散々クラスメイトたちから美桜のことで揶揄われた。
美桜も美桜だ。偽装カップルなのだから、彼氏をバカにされたからといって、そこまで怒らなくてもという思いはある。
(けど、もし俺も美桜の立場なら……同じように怒っただろうな)
翔太をそんなことを考えながら苦笑し、自分の出場する借りもの競争の指定の場所へと移動する。
グラウンドの至るところには、既に様々な色の付いた封筒がいくつもちりばめられていた。
中身のお題は千差万別。そのくせ配点は結構高い。
スタート位置から近いものは難しく、遠くのものが簡単だとかそういったことはなく、完全な運勝負。ならば運がいい人が臨むべきということで、見事くじ引きで選ばれた翔太が参加することになった。
空砲の音と共に、各自一斉にあちらこちらへ走り出す。中には開始早々、目の前の封筒を拾っては渋い顔をする人の姿も見える。
翔太はそれらを横目に、ある封筒を目指す。自分の髪色と同じ、丁度英梨花と美桜の髪色を混ぜ合わせたかのような、くすんだ茶色い封筒。中身がわからないなら、どうせならと目星をつけていたものだ。
封筒を拾い上げ中身を確認すると、ぴしゃりと固まる。固まってしまう。
『好きな人』
何度読み返し、裏を見ていても、書かれている文字はそれだけ。
(……マジか)
これまでの流れから、あまりに毛色が違うだろと、悪態吐く翔太。
好きな人。
何ともベタかつ曖昧ともいえるお題だ。
別に好意を寄せる異性でなくてもいい。仲の良い友達でも成立するだろう。しかし誰を連れて行って、体育祭後はこの件で弄られるに違いない。なんとも厄介なお題だ。
しかし翔太には簡単なものだといえた。クラスで大っぴらに付き合っていると喧伝している相手がいるのだ。美桜を連れて行けばいいだけ。
だけれども、何かが心に引っ掛かる。だがまずは目の前の勝利だと、すぐさま自分のクラスのスペースへと駆け出す。
するとそこでは、翔太の姿を見つけた美桜と英梨花がいち早く駆け寄ってきた。
「お、しょーちゃん! 借りもの競争のお題?」
「兄さんのお題、ここにあればいいけど」
2人は一緒になって翔太の力になろうと、真っ直ぐな瞳を向けてきてくれている。
お題としても、対外的にも、美桜の手を引いて行けばいい。
だけどそれはこの場で美桜を選んで英梨花だけを残すことを意味して、ひどく躊躇われてしまう。
自分でも何を迷っているのだと思う。だけど、どうしてか選べない。
「しょーちゃん?」
「兄さん?」
翔太の葛藤を知らず、首を傾げる美桜と英梨花。
するとその時、隣のクラスのスペースから「誰かハサミ持ってない!?」「え、ハサミ、こんなところで!?」「教室に戻ればあるけど……」といった声が聞こえてきた。
「英梨花、美桜、一緒に来てくれ!」
「へ?」「に、兄さん!?」
気付けば翔太はそう言って強引に妹と幼馴染の手を取り、駆け出した。
どういうことだと困惑しつつも、されるがままの美桜と英梨花。
周囲からは奇異の視線が突き刺さる。ただでさえ目立つ英梨花と美桜の手を引いて走っている男子がいれば、何事かと思ってしまうというもの。
翔太は周囲の騒めきを振り払うようにして駆け抜け、ゴールへ。
そこで待ち受けた女子の委員は、翔太が差し出したお題を受け取り確認すると、目を瞬かせて美桜と英梨花を見やる。翔太は少々バツの悪い顔をしながらも、間違いないとばかりに頷けば、委員は躊躇いながらもマイクに向かって言う。
「ええっと、確認しますね。1位白組、お題は2人いますが『好きな人』間違いないですか?」
すると一瞬の静寂の後、周囲がにわかに騒めきだす。
まさかお題の好きな人を2人も連れてくるとは思っていなかったのだろう。
翔太のクラスでは六花たちがどういうことかと興味深そうな声を上げ、和真は可笑しそうに手を叩く。英梨花と美桜は目を瞬かせながら、真意を問うような目を向けてくる。
後で何を言われるか考えただけでも頭が痛い。
だけど翔太はそんなこと知ったことかと、幼馴染と妹の手を取り、敢えてマイクに向かって偽ることのない想いの丈を叫んだ。
「2人とも俺の大切で、大好きな人です!」
まるで美桜と英梨花は自分のものだという宣言。
たちまち各所から上がる驚愕、快哉、嫉妬交じりの声。
突然の翔太の宣言に、呆気に取られる美桜と英梨花。
2人はみるみる頬を赤くしていき、そして神妙な顔で頷き合い、翔太の腕を取ってお返しとばかりに左右から頬にキスをしてマイクに叫び返す。
「「あたし(私)たちにとっても、兄さん(しょーちゃん)は大切で大好きな相手人でーす!」」
「っ!?」
すると爆発したかのように湧き起こる拍手喝采と阿鼻叫喚の野次の渦。なんとも混沌としたものへと塗り替えられていく。
だけどこれはこれでいいかと、まるで悪戯が成功したかのように、翔太と英梨花と美桜は互いに笑いあうのだった。