1-1 だってそれが……
小さい頃からずっとヒーローを目指して来た。誰かを助けることができる強い人間になりたかったから。
そのために毎日、運動だって勉強だって頑張って来た。
けれど、今やっていることと言えば……
「こんにちはー。ウーマーエイツでーす。お届けに参りました」
「ああん? ちっ、女かよ。つまみ食いとかしてねぇだろうなぁ?」
「まさか。お客様の商品に手を出すなんてそんなことしませんよ。はいこれ、注文されてた品です」
「おせぇんだよ! こっちは腹減ってしょうがねぇんだ!」
チャリンッ……
顔面に複数の小銭をぶつけられた。配達のバイトを始めてから何度も経験したことだ。この人はいつもお金を投げつけてくる。
最初は驚きもしたが、最近は慣れたものですぐに冷静さを取り戻した。
「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
笑顔で頭を下げてその場を離れる。
ヒーローになりたかった。でも、今の自分は誰かを助けるどころか、こうして罵倒されながら生きているだけだ。
あんな、悪党スレスレのおじさんにだって、注意することすらできない。
「はぁ……」
深くため息を吐きながら、スクーターに跨がる。
「今日はこれで終わりかぁ……」
まだ太陽が地平線の上にある。このまま家に帰ろうか、それともどこかへ寄って行こうかと悩んでいると、不意に大きな悲鳴が聞こえてきた。
「きゃああああっ!! 飛び降りよー!」
見れば、時計塔の天辺でフェンスをまたぐ少女が一人。あれは間違いなく飛び降りようとしている。
でも、なんで……なんで時計塔の上なんだ。そんな目立つ場所で飛び降りなんてする? 普通……。
これじゃあまるで、自分を見てくださいと言わんばかりじゃないか。
「あっ……」
そんなことを考えているうちに、少女の体は空に投げ出されていた。地面に接触するまで三秒もかからないだろう。ここから落下地点まで、スクーターで間に合うはずもない。たとえ間に合ったとしても、受け止められるわけがない。
「…………」
だけどそれは、ヒーロー抜きで考えた場合の話だ……。
スクーターのステップを壊れんばかりに強く踏み込んだ。
刹那――――体が強い空気抵抗にさらされる。
「う……」
ヘルメット越しに風が顔に当たる。思わず目を閉じてしまいそうになるのを、なんとか堪えて少女の姿を捉え続けた。
背後から聞こえてくるのは、どんがらがっしゃんという金属が強く打ちつけられる音。おそらくスクーターが転倒したのだろう。また、買い直さないと……。
そんなどうでもいいことを考えていると、柔らかいものが腕の中に飛び込んできた。
「え…………」
驚きの表情を浮かべる少女と目があう。大きく見開かれた紅い瞳に見惚れてしまいそうにもなったけれど…………今はそれどころではない。
止まれないのだ。私の体は今、空中にある。勢いを殺せるものがせいぜい空気くらいしかない。
飛び出した時は邪魔だった空気抵抗も、今ではもう少し強かったらと思わなくもない。
しかし、いくらそう思っても止まらないものは止まらないのだ。
どこのものとも知れぬ壁が目の前に迫っている。
「っ……」
少女を全身で包み込んだ。傷つかないように。守れるように。ぎゅっと抱きしめる。
そして次の瞬間、破裂音にも似た、壁の砕ける音が響き渡った。
「や、やばい……」
腕の中の少女は傷一つない。私の体もだ。けれど、その代わりに、私の服はビリビリに破け散っていた。お気に入りのカーディガンが……。このままだと痴女扱いされてしまうかもしれない……。
「はあ……」
しかし、最大の問題はそこではない。壁だ。民家のものなのか何なのかはわからないが、私の突撃した壁には大きな穴が開いている。
修理費を想像しただけでも、頭が痛くなる…………。
よし、逃げよう。
別に悪事を働いたわけじゃない。これは事故だ。少女の命の代償だ。
「痴女……」
「痴女じゃありません!」
金のことに思い悩んでいると、少女が唐突に口を開いた。酷い物言いについ反論してしまう。
「じゃあ変態……」
「だから違います! これはあなたを助けた結果であって……」
「…………別に助けてくれなんて頼んでない」
……確かに。彼女は自殺しようとしていたのだから、どちらかと言えば私は彼女の邪魔をしたのかもしれない。けれど、止めるなというのは無理がある。
「落ちても、どうせ死ねなかったし……」
「え……」
予想と違う反応に思わず声が出てしまった。どうせ死ななかったって、あの高さから落ちても死なないってこと? あの時計塔は結構高かったし、そんなことはあり得ないと思うのだけど……。彼女が嘘をついているとも思えない。
「そうだ。私を殺してよ。そのわけわからない力で」
「え?」
「いいでしょ? 私を助けた罰として。さもないと、痴女として通報するから」
「…………」
いろいろと意味がわからないけれど、目の前の少女が死にたがっていることだけはわかった。
「わかりました。全力で殴ってあげます」
「そう……殴りでも蹴りでもいいから早くして」
そう言うなり、彼女は私の拳に頭を突き出してきた。どうやら本気で死を望んでいるらしい。
「いきます」
拳を強く握り締めて構えを取る。そして、私はありったけの力を込めて少女の腹にパンチを叩きこんだ。
「えい!」
「ぐへっ!?」
少女の口から大量の唾が吐き出される。少女は痛みに悶えているが、逆に言えばそれだけだ。死んではいない。
「全然違うじゃない……。さっきは壁を壊すほどの威力だったのに……」
彼女は恨めしげな目で私を見つめている。けれど、私だって最大限の力を尽くしたつもりだ。
「救う時だけなんですよ」
「え……?」
「私の力は、人を救う時だけ発動するんです。だから、死にたいと願う人にいくら力を使ったところで何も起こりません」
「……なにそれ。意味わかんない」
「意味わからなくなんてないですよ。だってそれが………………」
「ヒーローだから……」
「ヒーロー……?」
それまでずっと無表情だった少女の顔に初めて変化が現れた。驚いたような、不思議そうな、そんな顔をしている。
「じゃ、じゃあ私はそろそろ行きますね。もうこんな危ないことはしないでくださいよ!」
「あ…………」
少女が何かを言いかけた気がしたが、小さな声は足音にかき消されて聞き取れなかった。