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山と海の千年戦争  作者: 大魔王ダリア
8/11

カナロアの裂果

「へっくしょい」


 六科(むじな)警部が風邪っ引きの鑑のようなくしゃみをした。

 これまた作法通り、洟をずずっとすする。


「棚からぼた餅は聞いたことがあるけどな……電柱の上から金剛石は初めて聞いたぜ。おまけに盗品ときやがる」

「発見者は高校生三人、鴉の巣を探して電柱を登ったら見つけたそうで」

「ふうん。好んでたけえ所に登るなんて、今時めずらしい」

「もっと他に驚くべきだと思いますが」


 三疎知啓(みつそともひろ)刑事は、電柱の先の、架線や機械でごちゃごちゃした部分を見上げる上司に言った。

 通報を受けて駆け付けた二人は、炉鹿、羽裔、御鏡の三人が通報にあった電柱の側で立っているのをすぐに見つけた。

 いや、正確には立っていたのは一人だけだ。炉鹿は額から血を流して地面にうずくまり、ぐるると熊のように唸っていた。羽裔は肩で息をしながら家の柵に凭れている。

 通報してから、またしょうもないことでぎゃーすしたのだ。

 六科警部は、通報内容が間違っていたのかと思った。


「ったく、はるばる三島くんだりから逃げてきて、こんな所でみつかってんじゃねえよ」

「犯人はまだ見つかってませんよ」

「宝石のこった。しかも、肝心のフルーツはねえときやがる。三島の市警はうるさ型が多いからな、こりゃ面倒だぞ」

「フルーツではなくて……あ、治療が終わったようです。事情を聞きましょう」


 頭に包帯を巻いた炉鹿が御鏡に付き添われ、左腕を抱えた羽裔がそれを睨みつけながら現れる。


「怪我は大丈夫なのかい」

「こんなの怪我の内には入りません」

「十分入ると思うけど」


 十分に傷害と呼べる傷だった。

 素手で殴ってあの傷は、とても女性の力とは思えない。

 刑事はしかし、口には出さなかった。付き合って半年の彼女から、余計なことを言わないという安寧を教わっている。世の中の痛ましい事件は、その大半が誰かのいらない一言から始まる。それは、いままでの刑事生活からも裏付けられる。


「じゃあ、早速聞かせてもらうよ」


 そう言いおいて、三疎刑事が聴取を始める。

 食堂の離れたところで、三笠家の両親が別の刑事に聴取を受けている。六科警部は、三疎の側で腕を組んで座っている。目を閉じているので居眠りしているようにも見えた。

 一通り事情は話し終えた。


「そっか……事情はわかったけど、無暗に電柱に登ったりしないように。電信設備は、いちおう電力会社の所有物で、勝手に上るのは違反だからね」

「すいません」


 炉鹿も、いささか軽率だったと反省する。山の中に立っている電信柱に登っては飛び降りて転がるという遊びを繰り返していたので、同じノリでやってしまった。正確には私有地の電柱も、電力会社に土地を貸しているという体なので、勝手に遊んではいけない。そのかわり、雀の涙だが毎年お金が入る。一本当たり年千五百円だ。塵も積もれば、小遣い程度にはなる。

 

「この宝石は、鴉がどこかから集めていたのか……まだ断定はできないけど、三島の『珠散(たまちる)』から強奪されたものの可能性が高い」

「小鴉が怪我をしてたんで、そこまで離れた場所じゃないと思います」

「だろうね。近隣を捜索しているよ」

「強盗犯って、どうしてここまで逃げ果せたの?」


 羽裔が割り込んできた。目が興味津々と物語っている。

 三疎刑事は、話していいものかと警部を見たが、寝息を立てて眠っていた。いや、名前の通りの狸寝入りだ。むじながたぬきになる時、目をつぶってやるという合図だと、新人時代からの付き合いである三疎刑事は知っている。

 事件を取り扱っていると、ときどき無関係の誰かに話したくなる。特に、探偵小説に憧れて刑事になった三疎知啓にはその傾向が顕著に表れていた。


「いいかい、ネットに書き込んだりしちゃだめだよ」

「安心してください、スマホを持ってません」

「右に同じ」

「えっと、私は持ってますけど、SNSはやってないので……」


 炉鹿も羽裔も、あんな薄い液晶の精密機器なんぞを持ち歩いたら、二晩でお釈迦になる。延命方法は家に置いたまま触らないことだが、それでは携帯電話と呼べない。


「強盗は三人組だった。二人が私服で店内に侵入して、防犯カメラの死角でライダースーツに着替えて、ショットガンを構えて犯行に及んだ。電気系統が落とされて自動ドアが開かずに、客も店員も逃げられない状態だった。もう一人は、車の中で待機して裏口を見張っていた」

「へー。手際がいいもんですね」

「それもそのはずだよ。強盗が逃げた後、三島市警が駆け付けた時に、従業員の一人の行方が分からなくなっていた。二か月前から雇われた新人の女性だったらしい」


 電気系統を落としたのも、防犯カメラの位置を教えたのも、その社員だと見ている。


「その人の名前は?」

「そこまでは教えることができないなあ」

「そりゃそうだ。少し考えればわかるだろ」

「うっさい」

「ははは、実を言うと、私たちも教えられていなくて。何せ三島市警の管轄だったし」

「さっきまでは、な」


 六科警部がいつの間にか目を開けていた。やはり、狸寝入りだったのだ。

 頭陀袋のようにぶよぶよした顔で風采が上がらず、なぜか愛嬌を感じる四十男だ。署内では「タヌキのおやっさん」で通っている。本人は悪口と受け止めていないが、年上の爺さん連中までおやっさんと呼んでくるのは勘弁してほしいと思っている。ラーメン屋の店主でもあるまいし。


「ともかく、残りを見つけるこった……」


 若い刑事が一人、食堂に慌てて飛び込んできた。


「宝石を発見しました!」

「どこだ」

「少し離れた民家の裏手のゴミ箱からです」

「よおし……」


 警部がのっそりと起き上がって、その民家の裏手へ向かった。

 なんとなく炉鹿たちもついていく。ここでぼけっとしながら待っているのもつまらない。

 十八時をまわり、冬の空は完全に暗くなっている。まばらな常夜灯と、灯台の明かりが宵闇に光る。

 民家は、まつの鮮魚店から緩い坂を降りた低地にあった。篠津只兼(しのづただかね)という、七十手前の老爺が一人で暮らしていた。


「家内が二年前に逝きましてのお。その三ヶ月後に、息子夫婦が孫もろとも交通事故で死んで、この港に引っ越してきたんですわい」

「それはお気の毒で……」


 枯淡の老人は、縮れた白髭を顎から垂らしていた。

 羽裔の祖父と同じ年頃だが、真反対の風貌だ。哀愁も俗臭も振り切った、仙人のような雰囲気がある。


「それで、何の用ですかな」

「実は……」


 三疎刑事が事情を説明する。

 強盗と聞いても、ダイヤモンドと聞いても、特に驚いた顔はしなかった。

 電信柱の鴉の巣から見つかった、と説明された時、白い髭がびくっと跳ねた。

 刑事はそれを見逃さなかった。


「どうかしましたか」

「ふぅ……何とも、不思議な(えにし)だとおもいまして」

「と、言いますと」

「息子夫婦と孫の命を奪った事故。その相手も、電柱だったのですよ」


 それは、風の強い日だった。どこかのベランダから飛ばされた毛布がフロントガラスにまとわりつき、驚いてハンドルを切ってしまった息子が電柱に突っ込んだのだ。


「もしかしたら、悲劇の多くは電柱から始まるのかもしれませんな」

「いえ、かなり特殊なケースだと思います」


 三疎刑事は、今まで担当した事件の中で電柱が重要な役割を担っていたものを思い浮かべたが、該当するものは最新の一件だけだった。つまり、この宝石強盗だ。


「裏手のゴミ箱から、これらの品が発見されました。心当たりはありますか」

「ほうほう……ダイヤに、真珠に、ラピスラズリ……綺麗なものですねえ。残念ながら、老い先短い私には縁の薄いものですよ」

「なるほど。あのゴミ箱は、なぜ家の裏に置いたのですか」

「さあ。私が引っ越す前からあそこにありましてな。中に入れる必要もないので、そのままにしているだけですよ」

「では、一度も中を見たことはないと?」

「引越し当初に、一回は開けましたが……それ以降は、開けていないです」

「なるほど……」


 実際には、ゴミ箱の蓋は地面に転がっていて、中身は剥き出しの状態だった。餌を探した鴉が開けて放ったのだ。

 そこに反応しないということは、この老人は本当のことを言っていると考えていい。

 それに、本人が言った通り、老い先短い七十の老人が宝石欲しさに強盗をやらかすとは思えなかった。ジュエリーよりも死装束のほうが似合っている。

 それからも、刑事はいくつか質問をした。

 聴取の間、六科警部はというと、三人の若者に混じって話し込んでいた。


「まあ、よくやるもんだぜ。顔を合わせりゃ喧嘩場等、おめえらいい夫婦(めおと)になれるぜ」

「やめてください焼き討ちしますよ」

「やめてください橋桁に括り付けて放置しますよ」

「なんだかな……」


 物凄い形相で睨まれて、心臓が縮み上がった。

 こんな二人だが、世間的にはお坊ちゃん、お嬢様と呼ばれてもおかしくない立ち位置にいる。

 川端はもとより、岩波も漁業と国内貿易を中心に、造船やサルベージにまで手を伸ばしている。

 公務員としては、是非とも仲良くしておきたい相手だ。特に、川端家とは仲良くしておかないと厄介だ。

 血が飛び散るほどの大喧嘩を行っているのに、なぜか戯れあっている犬と猫のようにも見える。数年間殴りあってきた腐れ縁が醸し出す貫禄かもしれない。殴り合いは二人の関係そのものなのだ。

 三笠御鏡がおろおろしている。

 既に二十時近い。争う二人は大汗をかいているが、冷え性の六科警部はぶるぶる震えて懐炉を握った。

 三疎刑事が警部の横に立った。聴取が終わって報告に来たのだ。


「篠津氏によると、家の周囲をうろついている怪しい人間はいなかったようです」

「んなことはどうでもいい。それよりも、フルーツの行方はわかったのか? あれを見つけねえと三島の木偶の棒が騒ぎ出すぞ」

「いえ……『カナロアの裂果』の行方について、有力な情報はえられませんでした」


 警部がフルーツと呼ぶのは、宝石店「珠散」がスコットランドの大富豪に売るはずだった極大のブルーサファイアだ。

 表面は疵ひとつなく、透かしてみると内部に細かな亀裂があるのがわかる。それがまるで、熟し割れた果実のようだとして、こう名付けられた。


「いい加減に、フルーツはやめてくださいよ。三百万ポンドで売れた宝石なんですよ」

「ポンドだのカナロアだの、横文字を並べられても価値がわからん。大体なんなんだ、カナロアって。金色の小鳥か?」


 それはカナリアだ。スズメ目アトリ科カナリア属の、カナリアだ。語源はラテン語のcanis(犬)。


「カナロアはハワイ神話の海神よ」

「へえ。海神ねえ」


 羽裔が割り込んできた。

 その足は、炉鹿の背を踏みつけている。一瞬の隙を衝いて、伏していた炉鹿が躍動する。羽裔がひっくり返って、炉鹿が攻勢に出た。


「ちなみに、大地の神ロノが山林を含む陸の豊穣を司ってました……っとお!」


 仰向けになったまま、羽裔の蹴りが炉鹿の下腹を襲う。体を捻って避けた。


「他にもカマプアやクーラが時化や豊漁を担当していてうあっ、危ないわね!」

「キラウエア火山はそれ自体が信仰の対象になって貴様、舌を噛んだらどうする!」

「噛み切れ!」

「ちぃ、くそ!」


 ご丁寧にハワイのアミニズム信仰を解説しながら、大喧嘩を続ける。

 インパクトのある授業内容は大人になってからも忘れないらしいが、六科警部は、二度とカナロアのことを忘れないだろう。ハワイの神様だ。


「君たち、もう遅いしそろそろ……」

「やめておけ。事件を解決する前に、死なれちゃ困る」


 二人の大人が、若さって素晴らしいなと遠い目を向ける横で、御鏡がおろおろしていた。

 なお、散々に荒らしたこの土地は、他人の敷地である。

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