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山と海の千年戦争  作者: 大魔王ダリア
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精肉図書館

 炉鹿の友人に、古井千紘(ふるいちひろ)という男がいる。かなりのイケメンで、校内の女子人気は天井知らずに鰻登り、ただし勉学は大の苦手で、単位は底なし沼に沈んでいく。

 炉鹿とともに、留年の危機に瀕しているのだ。補講の常連者であり、その繋がりで仲良くなった。

 お互い、女のような名前であることも、心を通わすきっかけになった。


「よっ。炉鹿、これをやろう」

「むん? ああ、誕生日か」

「おめでとう。金曜日には会えなかったからな。十六か」

「ああ」

「抱負とかあったら聞かせてくれよ」

「あの阿婆擦れ海獣を狩ってヒイヒイ言わせてやる」

「おう……まあ、頑張れや」


 変わらぬ一年になりそうだ。新年の抱負も、新学年の抱負も、きっと同じ内容だろう。進級すればの話だが。


「むしろお前ら、揃って留年しそうだよな」

「千紘ぉ……他人のことが言えるのかよ?」

「うっ。それは、まあ、俺は出席日数足りてるし……?」

「試験の点数は?」

「最高の数字だよ……一桁の中では」


 国語数学理科社会家庭科技術科保健体育、ペーパーテストの成績はすこぶる振るわない。今の今まで、二桁の点数を取れた教科は片手の指で事足りる。一年の先生に女性教師が多く、顔面の点数を大幅に加点してくれなければ、留年は確実だった。

 流石にこれではまずい、と本屋で「もくもくけいさんドリル」を買ってきて、繰り上がりの計算に唸っているところだ。炉鹿は付き添いである。


「今日はどんな喧嘩をしたんだよ」

「南極の氷山の形について、意見が分かれた」

「なんでも喧嘩のネタにするよなお前ら。ごった煮だよ。闇鍋だよ」

「あの能無し女が言ってんのは北極の氷山の形だったんだ。それを指摘してやったら、山の人間が海の問題に口を出すなってほざいてさ。そこからは、わかるだろ?」

「盛大に論破してやったのか」

「いや、殴り合った」

「話し合いで解決する気ゼロだな⁉︎ 争いのタネはかなり知的なもんなのに」


 千紘は呆れて、やれやれと肩をすくめた。

 二人がいるのは学校の南西にある個人経営の図書館だ。学校の図書室と違って、大声で話しても咎められないのがいい。黙して無機質な数列に立ち向かっていては、たとえ勉強嫌いでなくても気が滅入る。踊り狂うさんすうに、精神力を削ぎ落とされてしまう。

 壁の向こうからガッチャンガタンと音が聞こえる。図書館のオーナーの本業は精肉屋なのだ。絶滅危惧種に指定されている、町場のお肉屋さんだ。

 炉鹿は幼少の折に、ここの主人に獣の解体方法を教わった。うるさい女の解体方法も教わっておけばよかったと後悔している。

 精肉処理室と薄い壁を隔てて、書架が立ち並ぶ広い空間がある。さまざまな書物典籍を揃えた十三の書架は、個人の趣味とは信じられない充実度合いだ。

 ギリシア語で書かれた哲学書から昭和のエロ本まで、幅広いラインナップが楽しい。

 なにより金がかからない。炉鹿は金持ちだが千紘はドが付く貧乏なので、炉鹿に教えてもらってから通い詰めている。

 もっと繁盛しても良さそうだが、壁一枚隔てて獣の血と内臓の匂いが漂ってくるのと、ガサツな主人のせいで時々ページにベットリ血が付いているのが祟って通う人間はほとんどいない。そもそも、精肉店の裏に図書コーナーがあるなんて、普通に暮らしていれば思いもしない。

 なお、本業の精肉はかなり繁盛している。弟が港の方で魚をさばいているらしく、それをかなりライバル視しているのだとか。炉鹿は熱く応援している。


「34から、16が引けるわけないだろ」

「やってできないことはない」

「岩波さんとキスしてみなよ」

「反吐が出る」

「できないことって、あるだろ?」

「俺が間違ってた」


 34と16の引き算が計算不可能だと証明できたので、千紘はドリルを閉じた。

 折よく、主人がやってきて、小皿に薄く切ったソーセージを盛って机に出した。


「休憩しろ。勉強なんかにうつつを抜かしてたら頭が悪くなっちまうぞ。弟がそうだった」

「全くですよ……いいんですか?」

「おう、食え。この坊主は俺のところで修行してんだ。弟子の友達が訪ねたってのにもてなしもしねえようじゃお天道様の下を歩けねえや」


 主人は炉鹿のことを「坊主」、千紘のことを「兄ちゃん」と呼ぶ。

 ソーセージは噛むとスパイスが鼻に抜けるようで、旨味が三回くらいダメ押しで舌の上を転げ回る。酒の肴にはもってこいだ。


「父さんの晩酌の肴に買って帰るか」

「お、いい心掛けだ。家族は大切にしなくちゃあな」

「弟さんをぶち殺してやるって息巻いてませんでしたか?」

「ああん? ありゃ家族じゃねえや。魚とイチャイチャしてるような人非人なんざ、赤の他人よお」

「さすが師匠」

「へへ、愛弟子の注文だ、まけとくぜ」

「二人分頼みます」

「あいよ」


 同じソーセージと、豚肉の塊を買う。

 千紘が目を丸くした。

  

「お父さんってそんなに食べるのか」

「んなわけないだろ。腹下して死ぬわ。ほら、土産にしてやれよ」

「えっ……そんな、流石に悪いよ」

「遠慮すんな。時々うまいもん食わないと、冬は乗り切れないからな。それに、お前だけ肉食って家族に食わさないわけにゃいかないだろ?」

「それは……そうだな。助かった、ほんとに」

「へへへ」


 千紘の家は大家族だ。貧乏人の子沢山、とはよく言ったもので、ストーブの灯油を切らしたときはより集まって暖を取るような生活だ。

 ついでに、主人に頼んで酒も調達した。肴があって酒がなければ意味がない。


「兄ちゃん、いつでも来いよ。なあに、金に困っても肉にゃ不自由させねえ」

「ありがとうございます」

「ただし、魚を買うときに「まつの鮮魚店」だけは利用すんなよ。あそこは天下のゴミ溜めだからな。いいな?」

「は、はい……そもそも専門店で買う魚なんて食べたことありませんけど」


 店を後にし、二人は別れた。

 千紘が豪華な土産を携えて、青に変わった信号に向かって歩き出す。

 浮くような足取りで帰る背中をしばらく眺めて、反転し、夕陽で後光のさす山へ帰った。

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