凍雨の港
墨汁をにじませたような空の栓が決壊し、冷たい雨がザアザアと降り始めた。
羽裔は灰色の空と波立つ海面を前に、厳しい顔を向けている。
傘もささず、刃のような雨に濡れて身震いもしない。真冬の海に単独で漕ぎ出でて、転覆して一時間泳いで陸まで帰った経験がある。体温調節に関しては化け物級なのだ。
屈強な港の男衆も、こんな天候の時に好んで外に出たりしない。羽裔はそれを好機と「素振岩」と呼ばれる海岸線に突き出した岩の上で、荒波打ち寄せて白き玉を散らす光景を腕を組んで眺めた。
どうしても考えなくてはいけないことがある。
三日後、とある男の誕生日なのだが、それをどう扱えばよいのか、だ。
友人ではない。むしろ宿敵である。
しかしながら、たとい宿敵でも親の仇でも、海に生きる者として誕生日は特別扱いしなくてはいけない。
伊豆の漁師の間では、誕生日は「在り難祭り」とも呼ばれる。いつ海の藻屑と消えるか知れぬ命、生まれた日を繰り返すことができたことを、先祖や神仏に感謝しながら、宴を開くのだ。こういった風習は、漁師だけでなく遠洋の伊豆諸島で流人たちの間でも存在する。
特に網元や名主の誕生日には、たとえ漁業権で揉めている間でも蟠りを忘れ寿がなくてはいけない。それをしないと最悪の背徳者として石を投げられて村八分にされる。
だから、顔を合わせれば罵り合いつかみ合い、犬と猿も顔を見合わせるような大喧嘩を繰り広げる間柄であったとしても、一応の祝いは述べておきたいと考えた。
しかし、自ら土臭い山まで足を運ぶ気にはなれない。山の土なんぞを踏んだら足が腐ってしまう。
誕生日なのだからこころばかしのプレゼントを贈れば義理は果たせるだろう。
そのプレゼントの内容について、深く深く悩んでいるのだ。
羽裔は懊悩を他人に見せるのを嫌い、どうしても一人になりたい時はこの素振岩の上で独り沈思する。
「あんなやつに、海の幸のありがたみがわかるはずもないし……」
祝いの席に相応しい物なら山ほどある。なんなら大ぶりの鯛を丸ごと冷凍保存で送ってもいい。だが、鯛はそんなことを望まないはずだ。山の蛮族の口に入るくらいなら、死に鯛と言うはずだ。既に死んで冷凍されているが。
酒、という手もあるが、先日安酒だと馬鹿にされたばかりだ。あの発言を撤回してこないうちは、一滴たりとも飲ませる気にならない。そもそもが、炉鹿は未成年だ。送っても親の寝酒になるのがオチだろう。
かといって、売れ残りの雑魚を贈るのも大切な誕生日を軽んじているようで気が咎める。しかし、日用雑貨などを贈るにしても、山の生活がどんなものか知らない。知りたくもない。きっと、洞窟で壁画を描きながら土砂崩れの被害を予想しているに違いない。
「なら、海も山も関係ないもの、だよね……服とかか」
それも問題だ。羽裔は、服装なんて丈夫で潮に耐えられる素材なら、何でもいいと考えている。
年頃の女性らしい羞恥心とか見栄とかいうものが欠落しているのだ。炉鹿との乱闘でシャツのボタンが全て弾け飛び、サラシに巻かれた胸が露出しても気にせず殴りかかった。
そんなものだから、他人に服を贈るに足るセンスというものを持ち合わせていない。アクセサリーなど言語道断だ。ましてや、相手は昔取っ組み合って首を捻り殺した猪の牙を自慢げに鞄に飾る野蛮人だ。時々採れる真珠なんぞを送っても、炭酸カルシウム以上の価値を見出すことはまずない。
「くそっ! なんでアイツのために、こんな頭を痛めなきゃいけないんだよ」
岩の上に転がる、豆のような石をぽんっと蹴る。岩肌を数回跳ねて、荒波に消えた。
肌を切るような冷たい雨が、羽裔の健康的な身体を濡らす。大岩の上でぬれそぼる羽裔の姿は、真実を追求する求道者のような凄みがある。
「やっぱ、鯛を贈るか」
海の有難さを理解することなどないだろうが、やはり理解してほしいと思う。
自分が愛してやまないものを、他人にもわかってほしいと思うのは自然な感情だ。特に羽裔は、そういう感情が強い。
それに、炉鹿はいけすかない男だが、食べ物を粗末にする程人間が腐っていないということは、信じている。
「……そうだ」
やはり、鯛を丸々一尾、というのはもったいない。それに、あまりの美味さに心臓が止まるかもしれない。それはそれで素晴らしい結果と言えるが、誕生日が命日というのはあまりに可哀想だ。
まずは、大量のアラで出汁を取って、その美味さに悶絶すればいい。
これこそ妙案と、打ち寄せる波がひときわ大きく弾けた。
後日、飾り気のないメッセージカードと共に、五十キログラムの鯛のアラがめでたく届いた。