海の民 岩波羽裔
熱海市は、観光都市として全国的に有名だ。
多くの人間が、温泉地帯や海水浴場を思い浮かべるだろう。
しかし、人工的なもの全てを取っ払って俯瞰すると、海岸線のすぐそばに丘陵があり、大半が山がちな地形であるとわかる。
これは熱海に限らず伊豆半島全域に言えることであり、昔の熱海周辺のイメージと言えば「頼朝公が流されたとこ」「金持ちが行く湯治場」「濡米で儲ける網代商人」といったものだった。
濡米とは、西国から海路で米を運ぶ際に、波飛沫を浴びて長くは保たくなった米のことだ。洗ってすぐに食べれば何の問題もない。山だらけで米の育ちにくい地域でありながら、米に不自由することがなかった。
そうして港町が繁盛するのを、伊豆の山持ちは苦々しく思っていた。
直接利害が対立することは多くないのに、事あるごとに諍いが絶えない。
永承四年(1049)、現在の上多賀から下多賀にかけての山を所持していた国人の東久丈ら一党と、海岸線を治めていた亘理初人という謎の人物との間で大規模な戦いがあり、一月余り死傷者が絶えず、山の土も海の水も血の赤きが消えず、と古文書は伝える。
また、浅間山の噴火と大規模な飢饉で日本全国津々浦々が地獄を見た天明年間、甲斐から流れてきた山鯨鹿兵衛という渡世人と網代の網元海神屋尭作の間でも大抗争が勃発、近隣の沼津藩や小田原藩が波及を恐れて様子を伺うほどに血が流れたという。
炉鹿は鹿兵衛の、羽裔は尭作の血を引いている。
顔を合わせれば争うのは、宿命として根付いているのかもしれない。
「君たちが犬猿の仲だというのは、十分理解しているつもりだよ」
校長先生は、微笑を浮かべて諭すように言った。
教育者として、一応の注意はしておかなければならない。二人の闘争はもはや学内の名物行事と化していて、非公式で管理委員会まで設立されているくらいだから、無くなると困る。校長自身が賭けのタネにして怖い妻に隠れてへそくっているのだ。
しかしまあ、年頃の男女が睦み合うのではなく牙を剥き出しに威嚇し合うというのは、やや問題があるのではないか。校長先生はそうも思っていた。
「もう少し、こう、矛を収めて接することはできないのかね」
「出来ません」
「不可能です」
「そ、そうか……こういう時は息がぴったりだよね。それを活かして歩み寄る気は」
「ありません」
「あってたまるもんですか」
「ふうむ。これはこれでいい気がしてきた」
と、こういった感じで毎度の説教は終わる。
最後に、山の幸と海の幸を机に盛られて、満足げな笑みをよだれ交じりに浮かべるのだ。
「いつもすまんね」
「それは言わない約束ですよ校長先生」
「そうですよ。塩は抑え気味にして炙ったときの香りが引き立つように加工しておきましたから、脂っこいだけの獣肉なんかよりお口に合うはずです」
「何をべらぼうな。海の安酒すら旨く飲めるよう仕込みも煮込みも腕によりをかけたんですよ。こっちが配慮してやったんです」
「はん。山猿がなにかぐちゃぐちゃ言ってるわ」
「海獣が、磯臭い口を閉じてもらおうか」
「ぎゃーす」
「ぎゃーす」
「ううむ、これはうまい。君たち、もう行っていいよ。行っていいって。ちょ、物を投げるでない! ああ、ワシの胸像が水槽に」
どこまでも、山と海は相容れない。
校長室が小綺麗な廃墟レベルに汚くなったところで、二人は口汚く罵り合いながら部屋を後にした。校長先生は、退行する毛髪に対抗して蓄えた髭を揺らしながら、後片付けを案じつつ舌鼓を打つのであった。