卑劣な山主を狩れ
三疎知啓刑事は、苗字の「三疎」と名前の「知る」という文字から、「みそしる刑事」という綽名で呼ばれている。
本人は、この愛称なのか悪口なのか微妙な綽名を、割と気に入っていた。狢の六科警部のような太々しい風格はないが、二十代半ばで狸や狐と呼ばれたいとは思わない。
ただ、母親から「みそしるちゃん」と呼ばれるのは流石に勘弁してほしいと思ったいる。愛知県のゆるキャラみたいだ。
母親から月イチでかかってくる長電話から解放された直後に、緊急で呼び出された。
非番の日に呼び出される用件は、現在ひとつしか抱えていない。
「とうとう、殺人にまで発展した」
六科警部が厳しい顔を作って言った。目の下に隈がべっとりこびりついている。宝石の行方を睡眠返上で探しているのだ。実際は、居眠りで取り返しているのだが、一応隈くらいは作っておかないと面目が立たない。
「あの山嫌いの嬢ちゃんが、個人的に活動していたみたいでな」
「岩波のお嬢様ですか」
「ああ。手下の男衆を使って、宝石強盗の片割れ……四人のうちの一人だから、四片の一つを見つけた」
「も、もしかして、捕まえる前にやりすぎて殺してしまったんですか⁉」
羽裔の扱いがなろう系のチート主人公だ。山賊を十人くらい漁船の舳先に吊るして「何かまずいことやったかな?」なんて言ってそうだ。
「見た時には死んでた。あそこの缶詰工場だ。ああ、入る前に鼻をつまんどけよ」
「へ」
言われた通りに鼻をつまむ。
つまんでも、視覚から臭いが嗅覚に伝導するかのような、酷い環境だ。
鼠が足元を這って、動物嫌いの三疎刑事はわっと飛び上がる。
「相変わらず、苦手か」
「警部はよく平気ですね」
「狢は鼠を喰うんだぜ」
「え……ほ、本気ですか」
「ばーか。獣の方だ、本気にすんなや」
実際には、酔った勢いで食ったことがある。鼠料理を出すあの居酒屋は、もう潰れただろうか。
「こ、この中に入るんですか」
「無理か」
「遺体を見て吐く刑事はいますけど、遺体に近づく前に胃が空になりそうです」
「なら、あの嬢ちゃんの聴取でもしていろ」
「すみません」
「無理するこたねえよ。三島の馬鹿共の尻ぬぐいだ……おっと、その馬鹿の使いがきたぜ」
小さな目に軽蔑を浮かべて、やってきた警官に会釈した。
大柄な男だ。がっしりした肩から、横柄な態度がにじみ出ている。
「現場はここか」
「そうだ」
「殺人だそうだな」
「ああ、骸は中だ」
「ふうん。おええっ」
鼻を鳴らして、さっさと入ろうとする警官の鼻に、容赦なく異臭が流れ込む。
ざまあみろ、とほくそ笑んだ六科警部が、こっちだと案内する。
遺体は油にまみれて、無骨な機械の横に、埋もれるように臥せっていた。
検死官が不愛想に会釈する。
「死因は」
「首に鬱血、顔にチアノーゼ。十中八九、絞殺だ」
「残りの一、二は」
「ひどすぎる臭いに息ができんくなって、窒息した」
「それなら、俺が呼ばれた意味がないな」
「それは困る。本部から、何が何でも宝石を取り戻せと言われているからな」
おめえさんらが困るのは本望だ、と警部は思った。
検死官が、遺体の拳を開いて、中から赤い石を取り出す。
「少なくとも、見た目のむさくるしさほど貧乏じゃなかったらしい」
「宝石強盗直後だ、貧乏なはずがない。身分を証明するものは」
「鞄の類は持っていなかった。財布もだ」
「そうか」
首肯した六科警部は、すたすたと歩いて工場から出る。
「おい、どこへ行く気だ」
「どうせ、三島の主導で捜索を行うんだろ」
「当たり前だ。元から、こっちの管轄だからな」
「なら、熱海は捜査権を提供するだけだ。とりあえず、この工場を好きなだけ調べることだな」
「おい、この工場の捜査に限ってはあんたらに譲ってもいいが」
「いいや、殺人現場の捜査こそ、三島に相応しい華々しい活躍の場だ、なぁ?」
そう言って、振り返らずに坂を下って行った。熱海警察と三島警察は、割と仲が悪い。山と海ほどではないが、とある事件の際に徹底的に仲たがいをしてしまい、それを引きずっているのだ。
そのころ三疎刑事は、まつの鮮魚店にて羽裔と話していた。
まず驚いたのは、巨大な木刀だ。鯨でも殴り殺しそうな凶器を、後生大事に抱いている。
「それで、誰を殺したんだい」
「殺してない!」
「あ、間違えた」
噛みつくように、羽裔が吠えた。
しかし、そう勘違いしてしまうのも仕方がないほど、羽裔はピリピリしていた。
死体を見るのは初めてでない。海に生きれば、いとも簡単に死と対面する。大いなる海は、いかなる幸福をも与えるかたわらで、いかなるものをも飲み込むのだ。それは、親しい者の命も、例外ではない。
誕生日を「在り難」と寿ぐのは、それだけ生きるのが難しいということの裏返しだ。
しかし、人に殺された遺体を見るのは初めてだ。大自然の脅威ではなく、人の悪意によって死に至らしめられたのだ。
「とりあえず、発見したときの様子を教えてくれ」
「……工場の近くに、これが」
手下が拾ってきた、キラキラした石を渡す。
キュービックジルコニアだ。
「なるほど……本気で犯人を捜してたのか。でも、どうして」
「アイツが大きな顔してんのが、気に入らなくて」
「ああ、川端の……張りあってるわけだ」
「御鏡が、アイツの事を凄い凄いって褒めるから、それくらい大したことないんだって証明しようとしただけ」
どこか拗ねたように、羽裔がそう言った。
気に食わないやつに、親友がとられそうになっていると思ったのだ。
牆に鬩ぐ内輪の争いに口を挟むのは、三疎刑事の仕事ではないので、これ以上のコメントは控えた。
「はあ、アタシとしたことが、情けないったらありゃしない。次は、絶対に負けない」
「そう何度も、殺人に遭遇するもんじゃないと思うけど」
「次に見るのは、アイツの骸にしよう」
「うーん、極力非番の日にしてほしいな。知り合いを逮捕するのは気が引けるから」
木刀が怖いだけである。
ひょこりと、食堂の入り口に六科警部が顔を見せた。
「あ、終わったんですか」
「ああ、地獄は三島の頭でっかちに預けてきた。俺はこっちだ……おおい、腹が減ったから何か見繕ってくれい」
「あいよ!」
普通に食事をしにきたようだ。
和布と海鮮かき揚げのうどんが出てきた。
ずるずると啜りながら、大した話は出てきそうにないなと思った。
一瞬見ただけで、死んでいるかどうかも判断できなかった。それは救急車も同時に呼んでいることからわかる。
悪臭と鼠をやりすごしてじっと見ていると、色々なことが分かった。
例えば、男の服が、意外に高級なものであることだ。長い逃亡生活で垢に塗れて、汚れていたものの、オーダーメイドの特注品だとわかった。店のロゴから、注文者を探れば身元が特定できるはずだ。それは三島警察の仕事である。
それから、犯行が二人以上の手によって行われたこともわかった。手首にも鬱血の跡があったのだ。縛られていたのではない。人間の手形である。手首を強く抑えられて、首を絞められたのだ。少なくとも二人の実行犯が必要だ。
これらのことから、第一発見者を疑う必要性がほとんどなくなった。羽裔は一人であったし、木刀を抱えているのに絞殺するのもおかしいし、何より男一匹捻り殺すのに他人の手を借りなければならないほど弱くない。
なにせ、四人の強盗犯を叩きのめそうと一人で乗り込むような女だ。
「分け前か何かで、揉めたのかな」
「なんにせよ、人を一人殺した以上、早くカナロアを処分したがるはずです」
「だな。確か、フルーツを欲しがってた野郎は、フランスのボンボンだけじゃなかったな?」
「カナロアの裂果ですって。あとフランスじゃなくて、スコットランドです」
「だから、フランスの都市だろ?」
「イギリスですよ」
「変わんねえよ。元々はフランスだったんだし」
そんな歴史はない。英国民が聞いたらロングサーベル振り上げて抗議するだろう。
意外にも、イギリスとフランスの違いを知らない人間が多い世の中である。
「三島からの情報では、中畝忠房という人物が、三億円出すから譲れと粘っていたそうです」
「素性は」
「それが、要領を得なくて……どうも、偽名のようなんです。というか、商売や私生活、購入登録などで名前を使い分けているような人物だそうです」
「なるほどな……滅茶苦茶怪しい」
「ええ……どうも、どこかに大きな山を持っているとか」
「山主⁉︎」
羽裔が食いついた。三疎刑事が、しまったと後悔する。
「やっぱり、アイツらの仕業だったんだ……」
「いや、川端家ってわけじゃ」
「ここらで山持ちって言ったら川端しかないよ。カナロアを渡すなら、近くに寄らないといけないでしょ? わざわざこっちに逃げてきたのも、川端家に接触するためだとしたら」
「そ、そうと決めつけるわけには」
「それに! あそこの当主なら、名乗らない理由もちゃんとある! アイツの父親の名前は射蛙。いい大人が「イデア」なんて、恥ずかしくて名乗れないよね!」
プラトンが一生懸命作り上げた理論を、言下に断ずる。
先ほどまで青ざめていた顔色が、興奮によって赤くなっている。身を乗り出して鬼気迫る表情に、警部も刑事もたじたじだ。
「まあ、山持ちってことで、一応事情は確認しなきゃ、な?」
「そうですね」
熱海の南部にも、伊東、伊豆、河津、下田と土地には不足しない。そこあたりの山持ちだという可能性もある。何かの理由によって足手まといになった男を、通りがかりの缶詰工場で殺害して、すでに南下しているかもしれない。
とはいえ、それは管轄が違う。管轄を越えて嫌な顔をされるのは、三島市警の仕事だ。
形ばかりでも捜査に協力した体面があれば、それでいいのだ。
警官二人はやる気ゼロだ。そもそも刑事は、非番の日に呼び出されている。
しかし、羽裔はやる気に満ちている。目には真っ赤な闘志。ゆらゆら、紅蓮の炎が燃えている。
黒い瞳に宿る炎は、夜の海に浮かぶ漁火のようだ。
「さあ……山狩だよ! 及ばずながら、アタシも手を貸しますね!」
「か、狩りって……」
「もう、好きにさせてやろう。どうせ、ガキの頃からこの調子なんだろうぜ」
憎き川端を潰す好機に、岩波羽裔はすっくと立ち上がって気焔を吐いた。




