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山と海の千年戦争  作者: 大魔王ダリア
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山の民 川端炉鹿

 相容れぬものがある。

 水と油。

 固陋な老人と流行を気取る若者。

 酒と健康。

 野党と与党。

 これらはどうにかこうにかして、無理矢理宥和させる事ができる。

 水と油なら卵黄を混ぜて鹸化させればいい。

 老人と若者は部屋を分ければいい。

 酒は二十歳になってから楽しく適量を守っていればさほど健康を害さない。

 野党と与党は勝手にどうぞ。

 だが、何をどう足掻いて弾くって繕っても、相容れないものが存在する。

 山と海だ。

 山の民と、海の民だ。

 宥和も迎合もあったものではない。鹸化を勧めても喧嘩にしかならない。

 静岡県熱海市に山林を所有する川端家長男、川端炉鹿(かわばたろじか)は生粋の山の民だ。

 幼き頃より鹿や猪を狩り、その肉を焼いて大木の枝葉を屋根に夜を過ごし、次の日の登校に遅れるという生活を繰り返して十五の冬を迎えた。

 三日たてば十六になる。熱海高校一年の冬、もうこれ以上遅刻はできないというまでに遅刻欠席を繰り返していた。酒好きの担任と教頭に猪の味噌鍋だの新鮮な山菜だのを賄賂として贈っていなければ、留年は確実だった。

 それが、山の民というものである。


「き、貴様……もう一度言ってみろ!」

「いくらでも言ってやるわよ! いい年して黄ばんだ猪の牙なんかぶら下げてイキってる男がしゃしゃり出る幕じゃないってね!」

「こんの阿婆擦れぇ……体中から鯵の腑の臭いを撒き散らしてる女こそ引っ込んでろ!」


 炉鹿と、今にも取っ組み合いになりそうな勢いで争っているのが、海の民たる岩波羽裔(いわなみはすえ)だ。

 江戸へゆく廻船米の停泊地として栄えた漁港、網代の網元の娘だ。

 網代漁港の権威である岩波の一人娘は波濤のごとき荒ぶる気性と恐れられ、またその野趣溢れる美貌と遠慮も忖度もない舌鋒に惹かれる被虐癖の男に絶大な人気を誇っている。

 幼き頃より船の上で寝起きし、気分が乗れば離れ小島に一人で乗り込んで二日三日そこで過ごし、その間の学校のことなど完全に忘れ去るという生活を繰り返してきた。すでに遅刻欠席回数はギリギリの崖っぷちまで迫っており、酒好きの担任と教頭に鯵の天日干しや烏賊の姿煮などを賄賂として贈っていなければ、留年は確実だった。

 その日も船の上で寝過ごして、飛び起き早々と支度した。全速力で電車に飛び乗り、その体感速度の遅さに苛立ちながら、開くドアを蹴破らんばかりに多賀の駅を飛び出して、校門を乗り越え教室の扉までたどり着いた。

 これなら三時限に間に合うと思った矢先、山を駆け降りる猪のごとき炉鹿に突撃されて、教室前で争いが始まったというわけだ。


「おーい、授業中だからもうちと静かにやってくれんか」


 教室から教科担当が顔を出して注意した。


「わかりました! 続きは校庭でやろうじゃねえか」

「望むところよ。粉々にして体育倉庫の石灰の袋に混ぜ込んでやるわ」


 そう言って、行ってしまった。

 教科担当が、呆れたようにつぶやく。


「まあ、顔を見せたし、一応出席でいいか……見返りは猪と、地酒にしようか」


 網代は魚だけで無く酒もうまい。炉鹿が丁寧に血抜きした猪とともに啜れば、冬の寒さも教師としての倫理観も吹き飛ぶこと請け合いだ。


「せんせーい! あの二人、またやってたんですか?」

「そうみたいだなぁ。恒例の、犬も食わないアレだよ」


 教室がどっと湧く。

 たしかにあれだけ喧しく喚いていれば野良犬も近づき難いだろう。

 気を取り直して授業に戻ろうとしたのだが、時制柄開け放たれた窓から寒風とともに怒鳴り声が舞い込んでくる。


「抜け抜けとよくもそんなことを言えるなあ⁉︎ この見事なまでの脂身にケチをつけるんじゃねえよ!」

「あんたこそこの惚れ惚れするような白身の光沢に馬鹿らしい文句言ってんじゃないわよ!」

「ぎゃーす」

「ぎゃーす」


 校庭の真ん中で、先生方への賄賂の品についてこき下ろしあっている。

 ついにつかみ合いが始まった。

 高いところから見物する野次馬。

 指笛で囃し立てたのは授業を中断した先生だ。

 服が乱れ、砂まみれになって掴み引き倒し、投げ飛ばし踏みつけ、修羅場とも痴態とも言えるバトルが展開されている。

 二人ともあられもない姿になったところで、体力が尽き仰向けに倒れた。

 歓声と拍手が響き、小銭を投げる不届き者までいる始末だ。

 一階西の窓越しに、校長と教頭が悩んでいる姿が見える。どちらの勝ちか判別がつかず、賭けた金が動かせないのだ。


「ぜぇっ、ぜぇっ、くそ、寝起きで力が出ねえ」

「船で寝て体が凝ってなけりゃ、あんたなんかひとひねりなのに……」

「負け惜しみか? 情けねえ」

「負けてない! あんたこそ息が上がってるわよ、けほっ」


 そのまま二人はしばらく仰臥して動かず、三時限終了のチャイムがなるとのろのろと起き出して、部活動棟に向かった。

 砂まみれでは授業を受けられないので、シャワーを浴びるのだ。

 どっちが先にシャワーを浴びるかでまた争い、結局昼休みまで二人が教室の扉をくぐることはなかった。

 賄賂の効果は覿面で、格別の温情をもって本日の授業はすべて出席扱いになった。

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