お空の網
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こー坊は、じかに夜明けを見たこと、何回ほどあるか?
初日の出以外は、なかなか意識して見ようと思わんのではないか? 若いうちは眠りが深いこともあって、目が覚めればもう太陽が昇っている、ということも多かろう。
じいちゃんはここ最近、眠りが浅くなっとってな。ちょっと遅めに寝たとしても、夜明け前に起きることが増えちまった。おかげで夜が明けていくさまを、よく見かけるようになったのよ。
こー坊の夜明けのイメージはどんなだ?
まあるい太陽が、頭からじわじわ昇ってくる様子。地平線が赤みがかりながら、少しずつせり上がってくる様子。だいたいがそのようなところではないか?
しかし中には、いずれとも異なる光が見られることがあるんだ。そのときの話を聞いてみないか?
あれはこー坊が生まれるより、数年前のことだったか。
すでにじいちゃんには早起きの「け」があって、その朝も午前4時前には目が覚めておった。
若いころからの習慣は強いな。バナナを一本かじったら、外を軽く走って回り、適当なところで筋トレをする。もう衰えとるのが実感できるから、いずれも時間に余裕をもって、じっくりやった。
そうすると、家に帰りつくときには、ぼつぼつ日の出は見られるという頃合いになっとる。
あの日の夜明けは、いまでもはっきり覚えとる。
当時、日が昇る方向には、廃ビルが突っ立っとってな。晴れた日の太陽が、そこから昇るのを拝むことになるんだ。
だが、その日は少し具合が違った。ビルのてっぺんへ、かすかに陽がにじんだかと思うと、それが一気に広がったんじゃ。
その日の空は、太陽の出どころこそ晴れていたが、全体的に暗い雲に沈んでおった。ビルの両端も、画びょうで止められたかのような姿で、雲の生地の端っこが取りついておったんじゃな
その雲の表面を、走った。観音様の像の後ろなどに、後光が掲げられるものがあるだろう? あの一本一本の筋、扇の骨の広がるようにして、細かい光がいくつも足を伸ばしたんじゃ。
まさに光の網。それはあっという間に、ビルからじいちゃんの頭上、そのまた先のかなたの空まで走り、そして消え去る。
あの間、二秒あったかないかという、短い時。そうして迎えた朝から夕方までは、雲が一日中、空にひしめいておった。まるであの網に押さえつけられとると、いわんばかりにな。
しかし漏れる陽の光は多く、空そのものは明るい。気温もさほど落ちず、雨の気配もみじんもない。あの時は夏の盛りじゃったからな、カンカン照りにやられるよりはずっといいと、周りのみんなは歓迎しとったな。
じいちゃんは当時、まだシルバーテニスをしとって、その日は活動のある日だった。テニス仲間に今朝の空のことを尋ねてみたところ、何人かはじいちゃんと同じタイミングで、件の空を目にしたようだったな。
仲間の一人が話してくれたんだが、昔にも同じような空を見たことがあったらしい。その際、親は「お空の蜘蛛」の話をしてくれたという。
いわく、お空の蜘蛛はお天道様にほど近い場所に暮らす、特に大きな虫らしい。同類の虫どころか、人の手であっても届かぬところに住まうもの。いわば仙人ならぬ、「仙虫」とでも呼ぶべき存在なのだとか。
仙人がかすみのみを食べて生きていけるように、お空の蜘蛛もまた他の命を奪うことなく生きていける。その代わり自らと同じ、空に昇るに値する存在が現れると、あの糸でもってそれらを空へ召し上げるという。
仲間が空の糸を目にしたのは、ちょうど先の戦争が終わる前の日だった。ゆえに、戦争で亡くなった者の霊魂が、あの糸に引っ張られていったのではないかと、考えてやまないと話していたな。
しかし、今の日本は当時に比べればだいぶ落ち着いておる。いったい何が、お空の蜘蛛の気を引いたのか、地べたを這うわしら人間にはうかがい知れぬこと。経過を見守るよりほかにないとな。
やがてテニスも終わり、面子は解散。じいちゃんも午後は家でのんびりして、夕飯の食休みが済むと、じいちゃんは散歩に出た。
今朝に回った道とは違う。まだ田園の広がる一角へ向かう道筋じゃった。
数年前に開発の始まった工業団地と、昔ながらの田んぼ。そこの境界線には一本の川が流れておった。
走り幅跳びで対岸までかろうじて飛べるくらいじゃが、川そのものが低い位置にあってな。丁寧にかけられた橋の下は、川に至るまでの2メートル近く、両岸から手をつながんとするように生えた草たちに、覆い隠されておった。
じいちゃんは橋の真ん中で足を止め、しばし待つ。すると、真下の川からひとつ、ふたつと小さい光がほのかに浮かび、また消えてゆくのを繰り返しながら、漂ってくる。
蛍じゃ。
めっきり見られるところが少なくなったが、ここは近所で生息している貴重な場所のひとつじゃった。夏ごろにしか見られんから、じいちゃんにとって季節の風物詩といってもよかったな。
いつもなら一時間のうち、20ばかし光が見られればいい方じゃった。しかしその日は数えるうちに「まだ足りん、まだ足りん」と声が聞こえんばかりの増え具合。
橋の前後を何度も見やり、おそらくのべ100を上回る、無数の光にじいちゃんは取り巻かれておった。
普段、そう多くは見られないものが、この時に限ってたくさん現れる。
――まるで、空の流星群みたいだな……。
そう考えたじいちゃんは、ふと考えの糸がつながってしまってな。思わず、空を仰ぎ見ておったよ。
それは今朝のように、空へ光の糸が走る瞬間じゃった。
今度は雲なき空。代わりに星が散りばめられた夜空を、きっちりと区切った光の筋たち。
朝と同じで、その輝きはあっという間に消えてしまった。その代わり、じいちゃんの目には新たに浮かぶ光がある。
先ほどの蛍たちだ。これまでがせいぜい、橋と同じくらいの高さにしか浮かんでいなかった薄緑色の光。それが今は、見上げるじいちゃんの視界をかすめ、なお高くに昇っていくんじゃ。
小さいころ、タンポポの綿毛が風に吹かれて、目の前を覆いつくさんほどに飛び立つさまを見たことがある。それよりもゆるやかに、しかしとどまる様子も見えず、蛍たちはいよいよじいちゃんの手には、届かぬところ。更にはその先へと、歩を進め続けた。
あたかも空へ緑色の光たちが溶け込みきったとき、すでにこの川のどこからも、蛍はこれ以上、こそりとも姿を見せなくなってしまったんじゃ。
それから次の日、次の週、そして次の年を迎えても、この川より蛍の光は見られることはなくなった。
こー坊も知っての通り、あの川には蛍を取り戻す動きを訴える立て看板も置かれたが、じいちゃんは違うと思っとる。
蛍たちは滅びたのではなく、天へ召し上げられたのだと。決していなくなるわけではないのだと、そう考えた方が彼らの幸せも、祈ってやることにならんかな?