107.嫌な予感〜!!
ルテミスと喧嘩別れのようになったジュリオは、とぼとぼとアンナの元へと戻って行く。
会場のドアに手をかけ中に入ろうとしたら、室内からアンナの『てめぇ何しやがる! ふざけんじゃねえ!』と言う叫び声が聞こえてきた。
「! アンナ!? 大丈夫!?」
急いでパーティー会場に入ったジュリオの耳に、アンナと若い男が揉めている様な声が飛び込んできた。
人を掻き分け急いでアンナの元へ近寄る。
アンナは何やら若い美男子と揉めているようで、まさか何か嫌な事でもされたのか!? と恐ろしく不安になる。
「ふざけんなてめぇ! このテーブルの料理は全部あたしらが持って帰んだよ!! 金持ちは帰れ!!!」
「いやだから、料理じゃなくてあんたと話して来いってオスカー様に言われてんだよ! タッパーに詰めるの手伝ってやるから話だけでも聞いてくれる!?」
「え、マジかよ、手伝ってくれんの? じゃあそこの鶏肉切り分けてくれる?」
特に問題無かった。
オスカーがこの美青年にアンナと話して来いと命じたのは気になるが、それ以外には何の問題も無くて安心した。
「アンナ、ただいま」
「おう、お帰り。どうだった?」
「今更兄貴ツラすんなって喧嘩になっちゃった。……まあ、仕方無いよね」
「男兄弟なんて喧嘩する生き物なんだし、殴り合いにならなかっただけマシだろ」
「そうだね。ルテミスに殴られたら僕なんかヒーラー休憩所送りだよ」
そんな下らない事を話しながら、ジュリオは再びタッパーに高級料理を詰める作業に戻る。
貧乏くさい作業中のジュリオの元へ、また貴族のねーちゃんやにーちゃんが寄ってくるが、その度「見せもんじゃないよ!! 見物料取るからね!」と言って追っ払った。
ジュリオが鬱陶しい見物人を追っ払った一方、アンナはタッパー詰めを手伝ってくれる美男子の兄ちゃんの手元を見ている。
「兄ちゃん、あんたナイフ捌き上手えな。どこで覚えた?」
「いや、実は初めてなんだけどさ。多分、筋肉とか筋とか、そう言う流れにそって切り分けたら良いんだろうなって思って」
「それに気付くとはやるねえ……。あんた猟師向いてるかもよ」
アンナは弾んだ声で兄ちゃんを褒めている。
それを聞いて、何だか少しモヤっとしてしまった。
僕だって肉くらい捌ける……と言いたいが、残念ながらジュリオが今出来るのは、手を切らずに野菜をぶつ切りにする事くらいだ。しかも、出来栄えはとんでもなく不揃いで不格好である。
取り敢えず、兄ちゃんの顔よりも自分の顔の方が遥かに上だと嫌味な溜飲の下げ方をするしかあるまい。
そんなジュリオの複雑な内心など知る由もない兄ちゃんは、「猟師かあ……」と嬉しそうな声で独り言を言うのだった。
どうにかして、アンナと兄ちゃんの会話に割込もうとしたジュリオは、先程から気になっていた事を聞いてみた。
「ところでさ、気になってたんだけど、君……オスカー叔父様に何言われたの?」
「え」
「いや、さっき『オスカー様にアンナと話して来いって言われた』って言ってたし」
「ああ……それは……」
ジュリオに聞かれ、兄ちゃんは気まずそうな顔をする。そして、「そのまま作業を続けながら聞いてください、殿下」と小声で話し始めた。
その小声が聞き取りづらく、ジュリオは兄ちゃんの隣に近寄ると、料理をタッパーに詰める作業をしながら聞き耳を立てた。
「俺は、オスカー様に言われて、アンナさんを誘惑して来いと言われました」
「んな無茶な……」
オスカーへの怒りよりも、無茶振りされた兄ちゃんへの同情心の方が思い。
ブチギレたアナモタズにバターナイフで襲いかかる様なもんである。
「本当に無茶ですよ。……それに、人の感情を弄ぶ様な事、やっぱりやりたくないや」
兄ちゃんはそう言って、鶏肉を丁寧に切り分けている。
アンナの言うとおり、肉捌きが上手い。
「俺、地方貴族のギリギリ男爵だから、オスカー様には逆らえなくて……」
確かに、その立場なら逆らうのは難しいだろう。
それに、この兄ちゃんは来賓の誰よりも美男子である。
だからこそ、アンナを誘惑して来いだのと無茶振りをされてしまったのだ。
ひたすらに可哀想である。
「でも……アンナを誘惑して来い、だなんて……何でまたそんな……地獄みたいな事をさせられたのか」
ジュリオは嫌な予感がして考え込んでしまう。
だいたい、今回エレシス家へ行く前も、どんな目に遭うか分かったもんじゃないと警戒していた。
だからこそ、大貴族のパーティーなんぞ不釣り合いなアンナを連れてきたのだ。
オスカーは一体、この兄ちゃんにアンナを誘惑させジュリオから遠ざける事で、何をするつもりなのか。
そんな事を考えていると、先程オスカーと修羅場になっていたメイドさんが、トレイの上にワインを乗せてこちらへ近づいてくる。
正直、エレシス家から直接自分達へ配膳された飲み物に、口を付けるのが恐ろしい。
丁重に断ろうと思った矢先――。
メイドさんがすっ転んでしまい、ジュリオにワインがぶっかかった。
「うわっ」
ぶっかかったワインが口にも入り、咄嗟に飲み込んでしまう。
ぶっかかったのは白ワインであるから、白い礼服にシミが出来る事は無かったが、これはさっさと着替えたいものだ。
「も、申し訳ございませんっ!! エンジュリオス殿下!!」
「良いよ。大丈夫。赤ワインじゃなくてラッキーだった」
メイドさんは必死に謝ってくる。
その謝り方は、必死さの中に悲壮さがあった。
そんな様子が気になるものの、ジュリオは気さくに笑って流した。
「す、すぐにお着替えの準備を致しますので、部屋へご案内致します……」
「……」
メイドさんの様子はやはり何か変だ。
ジュリオから視線を逸しつつ、どこか悲壮感が見え隠れする怯えた顔をしている。
そりゃ、追放されたとは言えこの国の王子にワインをぶっかけたのだから、怯えた顔くらいするだろうと思うが、だとしてもこの様子は何かがおかしいと本能が訴えてくる。
「さあ、部屋へご案内致します」
「……それなら、アンナも連れて行くから」
「え!? わ、わかりました……」
メイドさんは驚いた顔をして兄ちゃんを見た。
一方、兄ちゃんは気まずそうにしている。
そんな二人の意味深な様子を、ジュリオは観察していた……その時である。
「ぅ……っ」
急にふらりと目眩がして、ジュリオは思わずその場にしゃがみ込んだ。
「どうした、ジュリオ!?」
「…………なるほどね………そう言う事か」
いきなり体調を崩したジュリオへ、アンナは心配そうに近寄ってくる。
アンナに支えられながら何とか立ち上がると、ジュリオはふらつき呼吸を乱しながら、メイドさんに「休める部屋、あるんでしょ」と聞いた。
「はい。『休憩』ができる部屋に、ご案内いたしますね」
メイドさんは表情をすっと無くしてジュリオ達を導く様に歩き出す。
ジュリオはアンナに支えられながらメイドさんの後へ着いて行った。
その道中、ジュリオはアンナに小声で
「多分、部屋の前に着いたら、メイドの子は君を何としてでも引き剥がそうとする……。だから、恫喝でも頭突きでも何しても良いから、絶対に僕から離れないでくれる?」
と伝えた。
それを聞いたアンナは心配そうな顔をしながらも「暴力なら任せとけ」と答えてくれた。




