88.ジュリオ、実家に帰る!?
アナモタズとの死闘の後、しばらく放心状態だったジュリオ達は、二階から降りてきたローエンとマリーリカに引っ張られ何とか立ち上がる事ができた。
しかし、改めて大部屋を見てみると、真っ二つになったアナモタズのアホでかい死体や、飛び散った血飛沫やらでひっでぇ有様である。
この後始末どうすんねんワレと引きつった笑いを浮かべていると、落とし扉を支えていたであろう無数の鎖の一本がガシャンと落下した。
「……カトレアさん……落とし扉や鎖の修繕費や血飛沫の清掃費用……経費で落ちますよね……」
「それは絶対大丈夫だよ……。もし駄目って言われたら、ルトリちゃんを人質にして役所に立てこもるよアタシ」
全員が全員アホほど疲れた顔をしている。
当然、ジュリオも力の抜けた顔をしていたが、負傷しているアンナの事を思い出し、すぐさまスマホで連絡を取った。
「アンナ!! 大丈夫!? 生きてる!?」
『ああ……生きてる……地獄はまだ遠いよ』
アンナはジュリオの言った『君が死んだら、地獄の果まで追い回して連れ戻す』というセリフを覚えていたのだろう。
「君が仕留め損ねたアナモタズは、僕らが協力して倒したから。すごいでしょ?」
『そりゃすごいな……どうやって倒した?』
「落とし扉をぶち落として真っ二つにした」
『……やるじゃねえか。こりゃ地獄行き待った無しだな』
アンナは微かに笑ったが、通話越しに聞こえる声は明らかに弱りきっている。
早く治癒をしなければと焦ってしまう。
「アンナ、今どこで何してる?」
『……今は……ヒーラー休憩所に向かってるよ……裏口の方にな……。アナモタズの気配はもうしないけど、気をつけて帰ってくるよ……』
「わかった。裏口の方は板外して開けとくね」
アナモタズの気配はしない、と言うのは猟師の勘だろうか。それにしては神がかり的な冴え方をした勘である。
もしかして、ハーフエルフの体に流れる、魔物を感じ取るエルフの力がそうさせるのだろうか。
ペルセフォネ人とエルフの混血であるアンナの事はあまり良くわからないので、今度聞いてみようかと思う。
「……ほんと、大変だったよ……」
ヒナシというクソテレビ屋に密着取材され、『ふざけんな』の連続だった。
しかもアナモタズが大暴れし、大量の怪我人と死傷者が出た。彼らの治癒と対応に追われながら、八つ当たりや罵詈雑言を受けた。
それでも根性で立ち向かった結果、事態は良い感じに進んだが、本命のアナモタズの襲撃を受け、目の前で人が食われた。
そのアナモタズによる猛撃を防ぎながら、落とし扉をぶち落としてアナモタズを真っ二つにした。
今日という日は、本当に目まぐるしい。
もうこれ以上のゴタゴタは勘弁してくれよである。
「地獄みたいな一日だった」
『……安心しろ。この世は元々地獄だ』
アンナの冗談めいた返しにジュリオは小さく笑うと、裏口の板を外しに向かう。
その後を、カトレアとオギノ少年とローエンとマリーリカがついて行った。
◇◇◇
ジュリオ達は板を外そうとするが、頑強に釘を打たれた板は中々外れそうにない。
オギノ少年がアナモタズ戦で振り回したチェーンソーを使おうかと思ったが、チェーンソーはアナモタズの猛攻を防ぎ続けた結果ぶっ壊れたらしい。
仕方がないのでローエンの工具を使いながら、裏口のドア補強のための板をせっせと取り外していた。
そんな時だ。
ガシャンという音と共に窓ガラスがぶち割れ、割れた穴から入ってきた手が、窓ガラスの鍵を外した。
まさか、ここへ来て強盗か!? とパニックになったが、そのぶち破られた窓から転がり込むように侵入してきたのはアンナだったので、ローエンが『窓ガラスぶち割って帰ってくる』と言った通りになったなと呆れたように笑う。
「アンナ、大丈夫? 今すぐヒールで治すから」
「ああ……悪ぃな……」
アンナの肩には、アナモタズによる爪の斬撃の傷が痛々しく走っている。
こりゃ背中も酷い事になっているだろうと、上着を脱がせ背中を見た瞬間、ジュリオは怯んだように息を呑んだ。
「何……これ……何で……肌が……紫に」
アンナがアナモタズから斬撃を受けた傷口周辺の肌は、黒いオーラを纏うアナモタズの皮膚と同じ紫色に変色していた。
「い、今治すからッ!」
詠唱を破棄して『オーバー・ハート・ヒール』をかける。
当然、アンナの傷口はみるみる塞ぐが、変色した紫の肌は戻らない。
「カトレアさんッ!!!」
ジュリオは悲鳴に似た声でカトレアを呼んだ。
カトレアはアンナの肌の変色具合を観察すると、厳しい顔をした後
「ごめん。今からアンナの体の触診をするから、君らは出てってくれるかな」
と暗い声で言うのだった。
◇◇◇
「結論から言うよ。……アンナの体は今、ジュリオくんでも手が付けられない程に強力な呪いと毒に食い尽くされてる」
「え……」
ジュリオを初めとする一同は、カトレアから部屋を追い出された後、しばらくの間無言で診断結果を待っていた。
そして、戻ってきたカトレアから診断結果を聞かされ、ジュリオは絶望に叩き落されたのだった。
「ハーフエルフの体の触診は難しくて……。アタシが若けりゃ生魔力や勘も冴えてたんだけどさ……。老骨の今じゃ……気づくのも遅れて……」
「……ど、呪いと毒……って、それじゃすぐに治癒魔法をしないと!」
ジュリオはアンナの元へ駆け寄り、急いで治癒魔法をかけた。
ぐったりしているアンナを抱きかかえ、治癒魔法を発動し、これで治るはずと思った……のだが。
「……なんで……何で治らないんだ……?」
ジュリオが治癒魔法をかけても、アンナの皮膚の変色には全く効果が無かった。
「……呪いがね……体のすごく深いところまで侵食してたんだ……。呪いが何層に渡って癒着して体に入ってて、そこで弱った体を呪いと毒が食い荒らしてるのが、今のアンナの状態だね……。…………アンナ、キミは呪い耐性が低いどころか、呪いを通しやすいのかもしれないね……まあ、これはアタシの堪だけど」
何で気付けなかったのか、とカトレアは床に座り込み項垂れている。
「仕方ねえよ婆さん……。ヒーラーって年取ったら勘も生魔力も鈍るんだろ? ……てか、呪いが何層もって、あたしの体どうなってんだよ……? 魔物かあたしゃ」
「寧ろ魔王じゃない? そこまで行ったら……」
心配で死にそうな声を出すジュリオに抱きかかえられたアンナは力無く笑っているが、その顔には怯えが見えていた。
そりゃそうだ。自分の体が何層に渡る呪いに食い荒らされていると聞かされ、怯えない筈が無い。
「でも、呪いが何層って一体……どう言う事なんです、カトレアさん」
「……単純に、呪いが入った時期の差だよ。…………詳しく触診してやっとわかったんだけど、一層目はまだ真新しい呪いで、二層目は数カ月前? ……くらいのやや新しいもので…………それ以外は、生まれた時からあるって感じだった」
一層目の呪いが真新しく、二層目の呪いが数カ月前……?
と言うか、生まれたときから……!?
カトレアの説明を聞き、ジュリオは混乱しながらも考えを巡らせた。
状況を整理すると、アンナが呪いと毒を受けた原因は、黒いオーラを纏うアナモタズによる傷だろう。
何故なら、傷口から肌が紫に変色しており、それを触診したカトレアが『呪いと毒に食い荒らされている』と判断したのだから。
黒いオーラを纏うアナモタズの攻撃を受けると、呪いと毒が体に入る。
アンナの体には呪いが何層も入っている。
その内の二層目の呪いは、数カ月前のものだ。
と言う事は、アンナは数カ月前、黒いオーラを纏うアナモタズから怪我をさせられたと言う事になる。
数カ月……黒いオーラのアナモタズに。
「まさか、二層目の呪いが体に入った時って」
ジュリオとアンナが初めて出会ったあの夜だ。
黒いオーラのアナモタズを協力して倒した時。
アンナはあの時、黒いオーラを纏うアナモタズにかすり傷を負わされた、あの時だ。
「あの時は……ただ、擦り傷だけだったのに」
確かあの夜は、アンナは黒いオーラのアナモタズによる攻撃を避けきれず、腹部に掠り傷を負っていた。
そして、その掠り傷をジュリオはヒールで治癒したのだ。
しかし、塞いだ傷口の奥には、呪いがじわじわと侵食していたのだろう。
「あの時、アンナの体に入った呪いの気配に気付けていたら……」
アンナの体に入った呪いにジュリオが気付けていたら、こんな事にはならなかった。
そう思うと、心当たりは沢山ある。
アンナは海でバイトをした際『今年に限って』熱中症になったり、偽葬式の前では体調が悪そうだったり、さっきもアナモタズ退治に森へ出た時も、『いつもなら平気な筈なのに』船酔いをしていたり。
地味でわかりにくい症状だが、毎日毎日アンナと寝起きしていた自分が注意深く観察していたら、この異常に気付けたのではないか?
カトレアはアンナとそこまで関わりが無い上に、老骨で勘と生魔力が鈍った身である。この異常に気付けないのも無理は無い。
しかし、まだ若い上にチート性能最強ヒーラーのジュリオが、何故気付けなかったのか。
「ペルセフォネ人相手の生魔力の流れなら……ある程度の異常はわかるようになってたのに……」
「……ハーフエルフはペルセフォネ人とエルフの生魔力が複雑に絡み合ってるから……専門的な勉強をしていないとわからないよ……。キミのせいじゃない……」
カトレアはそう言ってくれたが、それはジュリオがきちんとヒーラーの勉強をしていたのなら気付けた可能性がある、と言う事になる。
勿論、カトレアはジュリオを責めるつもりも無く、ただ事実を言っただけだろう。
そもそも、ヒーラーとして働き始めたジュリオに、難易度の高いハーフエルフの勉強をする時間など無かったのだ。
だが、それはつまり。
「……僕が王子時代に遊び呆けてた時間……。どうせ何やっても僕はバカだから無駄だって、諦めて捨ててきたあの時間や、ヒーラーの本が山ほどある城の図書室……。あの時間と環境の中……諦めずに努力し続けていたら……。チート性能の生魔力のお蔭で、気づけたんじゃ……」
ジュリオは元々、勤勉で真面目な少年だった。
だが、ジュリオがどれだけ真面目に勉強をしても、頭の出来がそこまで良くないせいか、回復魔法の詠唱暗記を始め、良い結果は出なかったのだ。
しかも、弟のルテミスの凄まじい天才っぷりに劣等感を懐きまくっていた上に、周りからは『何をさせてもダメなバカ王子』の烙印を押されると、ジュリオは全てを諦め自堕落になった。
どうせ無駄だと。自分のような無才が努力した所で何も出来ないと。
それならば、生まれ持った恵まれた容姿や地位や金を存分に使い倒して、楽で楽しく生きた方が良いではないかと、ジュリオは一切の勉強や努力を放置したのだ。
その結果がこれだ。
命の恩人一人を救う事すら出来ない。
「……アンナの不調にすら気づけないで、何がチート性能最強ヒーラーだよ……」
自分が遊び倒した莫大な時間と捨て去った恵まれた環境があれば、例え頭の出来が悪くても、学べる事は沢山あっただろう。
ジュリオは、今までの人生を猛烈に恥じた。
「……でも……あんたが勤勉なままだったら、追放なんて……されてないだろ?」
「え、まあ……確かに……そうだけど」
勤勉さや真面目さを捨ててバカ王子になったから、追放されてアンナに会えたのだ。
その事実は変えようが無い。
「……ま、自分を責めるなよ……。過ぎた事はどうしようもねえだろ」
腕の中のアンナは苦しげに笑っていた。
その苦痛に満ちた笑顔を見たら、アンナの言う通りにあの時努力してればと過去を悔やんではいられない。
自分がバカ王子として浪費した時間は帰って来ない。
だが、やれる事が全部無いかと言われたら、それは否である。
今の自分ですら治せない呪いと毒を治癒出来る可能性なら、あるのだから。
「冥杖ペルセフォネ……」
ジュリオはかつて、子供時代に死にかけたルテミスを冥杖ペルセフォネで治癒した事を思い出す。
まだ子供でしょぼいヒールしか使えないジュリオに、片目の眼球を投石で潰され大怪我を負ったルテミスを治す事など不可能だっただろう。
しかし、冥杖ペルセフォネと言う国宝の杖のお蔭で、ルテミスを救う事が出来たのだ。
それならば、その冥杖ペルセフォネさえあれば、どんな呪いも治癒出来るのではないか。
「カトレアさん……僕、しばらく有給取りますね……」
もう泣き言は言わない。
過去を悔いたりもしない。
ジュリオは覚悟を決めて、口を開く。
「聖ペルセフォネ王国……実家の城から、冥杖ペルセフォネを取って来ます」
追放された国へ戻る。
それは、処刑される可能性もある危険な選択肢であった。




