83.地獄は過ぎ去り……
異世界人の少年オギノが協力してくれたからと言って、事態が激変するという事は無い。
しかし、ジュリオとしては、自分が治癒した女性の仲間が力を貸してくれる事だけで、このひっでぇ現場に立ち向かう気力が湧いてくるというものだ。
怪我人に高威力のヒールをかける今この時も、心強さが断違いだ。
「……これで、怪我は治ったから。でも、しばらく安静にしててね」
ジュリオの高威力回復魔法によって高濃度の生魔力を受けた相手は、体内にて急激に生魔力が上昇したため、一時的に精神がおかしくなる。
だからこそ、なるべく安静にしてもらう事が大事だった。
「それにしても、オギノくんすごいなあ……」
異世界人の少年オギノは、チート性能の回復魔法は使えないものの、現場に慣れるの速度が異様に速かった。
特に、パニック状態の相手を落ち着かせる対応や、死亡者を連れてきた冒険者への対応が抜群に上手いのだ。
ジュリオが危惧していた、高威力の回復魔法で意識を取り戻した対象が、精神錯乱を起こしてパニックになる……と言う状況も、オギノ少年の対応力で回避出来ている。
これも、カンゴイリョウのコウコウ……看護医療の高校とやらの施設に通っていたからなのだろうか。
オギノ少年の対応力を見るに、看護医療の高校とやらの施設での学びは、とても良質なものなのだろうとわかる。
異世界での学びの水準は、きっとこの聖ペルセフォネ王国の水準よりも高いと予想できた。
異世界の文化や文明やその他の進歩の具合は、ジュリオからしたら想像もつかない。
「おーい! ヒーラーさん!! 頼む! 助けてくれ!」
「! わかった! 今行くよ!」
なんて、異世界の進み具合に感心してボケーッとしている場合ではない。
ジュリオの仕事は、この現場にやってくる怪我人の治癒なのだ。
「……我が生命よ。生魔となりて、彼の者の糧となれ。……ヒール」
気合を入れて怪我へ治癒魔法をかけていた、そんな時である。
「ごめん……ジュリオくん……アタシ、しばらく休んでくるよ……」
「カトレアさん……! 大丈夫ですか!?」
顔面蒼白のカトレアが、よろけながらジュリオの元へと歩いて来た。
「少し休めばキミの補佐くらいは出来ると思うから、ごめんね……。少し、休憩してくる……」
「はい……ありがとうございます……!」
カトレアや普通のヒーラーは、ジュリオと違って己の生命力を生魔力に変換する手順が必要である。
自身の生命力を削って他者へ分け与えるヒーラーは、一日で使用できるヒールの数が限られていた。それ故、この地獄の現場をチート性能ヒーラーのジュリオが一人で回さねばならないのだ。
そんな状況下で頑張ってくれたカトレアは、体力と精神共にかなり厳しい状況なのだろう。
「何かあったら連絡してね」と奥の休憩室へと歩いて行った。
その黒衣の背中を見守りながら、ジュリオは再び怪我人の治癒へと当たった。
◇◇◇
人は、異常事態やパニック状態であるとまともな判断も出来ず、防衛本能で攻撃的になってしまうのだろう。
しかし、その異常事態に慣れて精神が落ち着き余裕が生まれると、今度はその異常事態に立ち向かう人へ協力したいと思う人が出てくる。
勿論、全員が全員……と言うご都合主義にはならないが、それでもジュリオに協力したいと申し出る人はちらほらといた。
「ヒーラーさん、指示をください。私もヒーラーなので、お力になれるかと思います……。ヒーラーさんのように回復魔法を連発するのは無理ですけど……。回復魔法が使えなくなっても、怪我人の手当や応急処置くらいならで出来ます!」
ジュリオによって、仲間の命を救われた女性が、協力を申し出てくれた。
「ありがとう! でも、無理しないでね。中には相手を舐めて我儘言ってくる怪我人とかいるからさ」
残念ながら、ジュリオや女性といった見た目が弱そうな相手を舐める人と言うのは、性別問わずいるものだ。
ジュリオがそう説明すると、その背後からぬっと大柄な男性が出てきた。
この男性は、ジュリオが最初の頃に治癒した相手である。
ということは、最初の頃に治癒した怪我人が、そろそろ目を覚ます頃合いなのだろう。
「……そう言うときは、俺が間に入るよ。俺、いつも怖いって警戒されてるから、きっと力になれると思う」
「あら? とっても優しそうなのに」
女性がそう笑うと、大柄の男性は無愛想ながら照れた様に笑っている。
そして、その女性ヒーラーと大柄な男性などが協力してくれた事で、現場の地獄絵図具合が休日昼飯時の人気ファミレス程度には改善された。
まだまだ大慌てで混乱を極める現場ではあるが、ある程度状況が良くなって来ているのは、人手がポツポツと増えたお蔭である。
ジュリオがどれだけ詰られようと八つ当たりされようと、歯を食いしばって根性で怪我人を治癒し続けた結果だった。
ヒーラーとは、怪我人を治すのが当たり前である。別に特別な事でもない。
感謝なんかされないし、怪我を治しただけでチヤホヤなんかされるわけがない。
それが仕事なのだ。
それで金を貰って飯を食うのだ。
ただ、それだけ。
けれど。
「ヒーラーさんよ……さっきは怒鳴って悪かったな……。仲間が死んだのは、俺の判断の甘さのせいであって、あんたのせいじゃない。……それなのに、あんたに八つ当たりして怒鳴り散らして……本当に、すまなかった」
こうして、ジュリオへ頭を下げてくれる人もいた。
目の前のおっさんは、心底すまなそうな顔をして、ジュリオに頭を下げ続けている。
「ヒーラーさん。俺は回復魔法なんか使えやしない。この現場にいても迷惑になるだけ……だけど、建築現場で鍛えた腕力と技術がある。簡易ベッドもそろそろ足りなくなる頃だろ? 木材とか毛布がありゃ、簡素なベッドくらい余裕で作れるからさ」
「ありがとう! 木材ならこの休憩所の資材置き場にたくさんあるから、お願いするよ!」
おっさんはそう言うと、先輩ヒーラーに資材置き場の場所を聞きに行った。
「…………よし」
ジュリオは気合を入れ直し、再び怪我人の治癒へと向かった。
ヒーラーとは、怪我人を治すのが仕事だ。
怪我人を治すのは当たり前。
それで金貰って飯を食って生きている。
怪我を治したところで、感謝やチヤホヤなんかはされるわけがない。
けれど、中にはこうして力を貸してくれる人もいる。
「簡易ベッドの補充も、ヒーラーの人数も増えてきたし、補佐の人も増えてきた……。後は、物資なんだよなあ」
ローエンが運んで来た物資も、そろそろ限界が来てしまっている。
ここでまたローエンに物資を取りに行ってもらうのは、現場の貴重な戦力が減るという厳しい選択だと言える。
どうにかならないかと、思ったその時だ。
「待たせたな、ジュリオ」
聞き慣れた声が背後からした。
振り向くと、そこには包帯やらポーションやらの物資が詰め込まれた木箱を持ったアンナが、ニヤリと笑っているではないか。
「アンナ!? それにマリーリカも……! 後、後ろの屈強な方々はいったい……。というかアンナ、なんでそんなTシャツ着てるの!?」
「良いだろこのTシャツ。『諸行無常』って言うんだよ。カッケェだろ? 意味知らねえけど」
「……Tシャツのロゴって大体そんなもんだよね」
アンナとしょーもない会話をした事で、ジュリオの張り詰めた緊張が解れてゆく。
そんなジュリオの元へとアンナ達は近寄ると、先輩ヒーラーに物資の受け渡しをし始めた。
「ジュリオから連絡があって船に乗ったんだよ。そしたら今度はローエンから連絡が来てさ。『船乗ってんなら乗客から物資掻き集めてくれ』って頼まれたんだ」
「ローエンさん……。大体の事出来過ぎでしょ……」
「んで、物資を掻き集めてたら、今後ろにいる冒険者パーティに事情を聞かれてな。慟哭の森前のターミナルに手負いのアナモタズがカチコミに来るって言ったら、ブチギレたアナモタズの処理は無理でも、現場の力になれるかもしれねえって、来てくれたんだわ」
アンナの説明を受けた後、屈強な方々へ目を向けた。
リーダーと思われる筋肉質で体格の良い女性が前に出て来てくれて、挨拶をしたあと手を差し伸べてくれた。
その手を取ると、力強く握手をされる。
「お兄さん。私らは治癒とか手当とかは出来ないけど、物運ぶとかの力仕事なら出来るよ。……指示をくれるかい?」
「ありがとうございます。……そうですね……。力仕事の人材は足りてますし……えっと……あ!!!」
少し悩んだ後、彼らにピッタリの仕事を思い付いた。
「ここから奥の部屋にチャンネル・マユツバーのスタッフとヒナシプロデューサーがいるんです。今は大人しくしてるけど、いつここに来て現場を滅茶苦茶にするかわからないんで、足止めしておいてもらえますか? 必要ならタックルまでの暴力を行使してくださって構いません!」
「わかったよ! 法律の範囲内で済ませられる合法の暴力を使うとするさ!」
先程ジュリオがブチギレたためか、ヒナシ達テレビ屋は大人しくしている。
しかし、いつ・どんなタイミングで・どのツラ下げて襲来するかはわからない。
だからこそ、せっかく回り始めた現場を守るために、屈強な彼らにはヒナシを止めてもらおうと思った。
奥の部屋へと向かう、彼らの屈強で頼もしい背中を見送る。これで現場の秩序は保たれたと思った。
「ジュリオ! ごめんね、私サンダル借りてくる!」
マリーリカは先輩ヒーラーに事情を話してサンダルを借りに軽傷者の部屋へと走っていった。
確かに、この現場で華奢なヒールの靴は厳しいだろう。
残されたジュリオとアンナは、これからアンナにアナモタズの駆除をしてもらうため、状況説明の話をするべく大部屋の隅へ移動した。
ジュリオが一時的に現場を抜けても、協力してくれる数十名のヒーラーが活躍してくれるため心配する必要は無い。
「本当……来てくれてありがとう。物資もありがとね」
「ああ。それにしてもジュリオ。お前良く頑張ったな。すげえよ」
「そりゃ、チート性能ヒーラーだからさ。回復魔法の連発くらい、大した事無いよ」
実際、自分がした事と言えば、ローエンやカトレアやオギノ少年や回復した怪我人やその仲間達の力を貸りたり、チート性能をフル活用したりしただけ。
ここでジュリオ一人ですべて解決☆ っと決まれば良かったのだが、ジュリオはそんな器じゃなかった。
チート性能を持ったバカ王子に出来ることなんて、たかがしれている。
「そりゃ、チート性能もそうなんだけどさ、それよりも。……現場をここまで育てたジュリオの根性が、すげえって思うよ」
「……根性……」
「ああ。……あの時あんたから連絡もらってさ。正直かなり厳しい状況になるだろうって思ったんだ。……アナモタズに怪我させられた奴らが押し寄せる中、ヒーラーとしてまともに回復魔法を使えるのはジュリオだけだったろ?」
「でも、カトレアさんがいてくれたし……」
「そりゃそうだけどさ。老体でどこまでやれるかわからないだろ。婆さんだって万能じゃねえから。…………それにさ、怪我した奴らの精神はまともじゃない。……八つ当たりやパニックからの暴言や罵声もあるだろうなって」
「……その通りだよ」
「その地獄の現場が今、ジュリオが救った怪我人達の協力でどんどん改善されている」
アンナに言われ、ジュリオは改めて現場を見た。
ジュリオに救われたヒーラー達は活躍してくれて、回復魔法が使えない人も、それぞれの特技を活かして協力してくれている。
建築現場で鍛えられたおっさんは、簡易ベッドを次々と作ってくれていた。
今でこそジュリオが抜けても回る現場に育ったが、最初の頃はそれはそれは酷い地獄絵図だった。
八つ当たりに暴言罵声は当たり前であり、感謝されるなんて程遠い最悪っぷりだったのに。
「良く頑張ったよ。……すげえよあんた。よくここまで頑張れたな……」
「……ありがとう」
ジュリオの肩をさすって優しく笑ってくれたアンナは、ジュリオの頬を見て表情を曇らせた。
「ジュリオ……どうしたその頬……怪我人に殴られたか?」
「ああ、これ? これはさっきヒナシプロデューサーに裏拳でベシってやられたんだ。ほら、今日一日密着されるって言ったでしょ」
「マジかよ……。後でアイツの顔面ボコボコにして歯ァ全部折ってやる」
「魅力的な提案だけど遠慮しとくよ。……それに、その後僕もブチギレて機材蹴り倒して壊したし」
「マジかよ。良くやった」
アンナに拳を突き出されたので、グータッチをして応えた。
「それじゃ、今からアナモタズ討伐会議を始めようか。……例のアナモタズと戦った冒険者パーティのリーダーやってる、オギノ君を呼んでくるよ」
ジュリオはアンナにそう言うと、オギノ少年を呼びに走った。
現場はまだまだ厳しい状況であるし、アナモタズはいつ襲撃してくるかわからない。
しかも、時刻は夜になり、休憩所の外は真っ暗である。
ジュリオは、アンナに命を救われたあの惨劇の夜の事を思い出していた。




