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51.バカ王子とチンピラ女

アンナと一緒に慟哭の森を進んでゆく。

慟哭の森には恐ろしくおぞましい記憶しか無かったが、真っ昼間の森の光景は雄大でとても美しいものである。

力強い木の根や生い茂る葉から差す木漏れ日に、色とりどりの草やキノコが生える大自然の道のりには、ついつい見惚れてしまう迫力があった。





「ジュリオ、大丈夫か? 今気づいたんだけど、この道のりはあんたにはキツかったかもな……悪い」 


「だ……大丈……夫…………うわっ!」


「おい!」





地面に生えた苔に滑って転びそうになったところを、アンナに抱き止められて事無きを得た。

さすがにまたアンナの乳に顔面ダイブという事にはならなかったが、それでもアンナの首筋に顔を埋めると言うのも、髪の微かな甘い香りや肌の柔らかさがギュッと胸と下半身を締め付けるような気分になる。





「ごめん……」


「良いよ。あんたに怪我させたら、あたしがカトレアさんにドツかれるわ。従業員に何してくれとんじゃってな」


「え、ああ……うん。そうだね……気をつけるよ」





ジュリオが言った『ごめん』の真意は、アンナへ性欲を抱いてしまった事による『ごめん』であったが、アンナはそれを『足手まといでごめん』と言う意味として捉えたらしい。


この勘違いは寧ろありがたいものなので、ジュリオは何も言わなかった。





「ほんと、ごめん」





アンナへ性欲を抱くたび、強烈な罪悪感と自己嫌悪に陥ってしまうのは何故だろう?


それはきっと、母が望む王子様から外れた恥ずべき行為だからなのかと幼少の記憶が





「ジュリオ、着いたぞ」


「え!? そ、そっか!! ありがとう!!」


「……どうした?」


「ううん。何でもない……何でも……」





母との記憶に飲まれかけたジュリオは、アンナの声で呼び戻された。





「何、ここ……? 石の……塔?」





アンナに連れてこられたのは、鬱蒼とした慟哭の森の中でも少し異質な雰囲気をもつ場所だった。


木漏れ日が神々しく差す場所に、石の塔と素朴な組木の門が建っている。

その奥にある石の塔の前に置かれた石材の台には、酒やら食べ物やら動物の角などが置かれていた。





「ここは、慟哭の森の祠なんだ」


「祠……。ここが……」





そう言われてみると、確かに厳かな雰囲気を感じる。

ほっと一息つける安心感と、この世を超越した何かに見られているような緊張感という矛盾した感覚があった。





「昨日の夜、理由が理由とはいえ、アナモタズを必要以上に狩っちまったからな。だから、慟哭の森に『昨夜は騒がせてしまってごめんなさい』って、謝りに来たんだよ」


「慟哭の森に……? 森相手に……?」


「そう。森相手に。……まあ、わかりやすく言えば、森の神さんに謝りに来たってとこかな」





アンナはそう説明すると、木組みの門に一礼して中をくぐると、石の塔に空いた穴の中にあるロウソクへ火を灯す。

そして、上着のポケットに差し込んでいたビールの中瓶を取り出すと、石材の台にそっと置いて、地面に片膝を付いて手を組んで祈りはじめた。





「アンナ……」





いつもは下町のチンピラみたいな輩のアンナだが、こうして静かに祈りを捧げている姿を見ると、アンナの儚げで可憐な容姿も相まって、聖女の様にも見えてしまう。

赤いフードの着いた上着と白髪の長い髪のコントラストが、より一層神秘性を高めていた。

木漏れ日に照らされキラキラと光る白髪は、神々しいとさえ言える。





「……こういった習慣はさ、クラップタウンを造った異世界人によってもたらされたんだよ」


「異世界人が、もたらした習慣……? 文明じゃなくて?」


「ああ。文明じゃなくて、習慣だ。……森だけじゃねえ。海にもこう言った祠があって、漁師が『いつも海の恵で食わせてくれてありがとう』って祈りを捧げたりすんだよ」


「へえ……祈りを捧げる相手が……、海……なんだ」





聖ペルセフォネ王国にも祈る習慣はあるが、それは女神ペルセフォネへの祈りのみである。


飯が食えるのは全て女神の導きと加護のお蔭である、という考え方の聖ペルセフォネ王国で育ったジュリオにとって、森や海に感謝をして祈りを捧げる、という異文化は奇妙ですらあった。

何故なら、その森や海を創造したのも女神ペルセフォネであると教えられてきたからだ。



しかし、だからといってアンナ達の習わしを否定する気は全く無い。


ただ、不思議な考え方だなあと思うのみであった。




「聖ペルセフォネ王国では、森や海を造ったのも女神様って教えなんだろ? そんなら、あたしらの習慣は変なもんに見えるかもな」


「変じゃないよ。……ただ、不思議ってだけ」





ジュリオは熱心なペルセフォネ教徒とは程遠い。寧ろうっすら馬鹿にしている節がある。


しかし、ペルセフォネ教の教えを道徳の基準とした教育をずっと受け続けてきた故に、ジュリオの根っこにあるのは、どう足掻いてもペルセフォネ教の考え方だ。





「森や海に感謝する……かあ。僕らは女神様が世界を造ったって教えられてるから、祈りは全て女神様宛なんだよね。……でも、毎日森や海みたいな自然と戦う猟師や漁師からしたら、こっちの方がしっくり来るんだろうな……」


「まあ……あたしらは森や海に食わせてもらってるようなもんだしな。……それに、森や海にも神がいるって言う考え方は、異世界人の風習から来てるものだし。……なんか、ペルセフォネ教に比べてすげえ適当だなって思うわ」


「適当ってわけじゃないと思うよ。……きっと、狩猟で生きる人達にとって、異世界人の考え方の方がしっくり来たんだよ。……狩猟って、目の前の動物や魔物と戦う事でしょ。だから、目に見えない女神様より、目に見える自然相手を敬う方がわかりやすいんだと思う」





ジュリオはバカなりに考えた事を話した。


そして、アンナがしたように一礼して木組みの門をくぐり、石の塔の前で片膝を付いて、アンナの隣で片膝を付き祈る姿勢をとった。


祈る姿勢をとったからと言って、森に対してどう祈れば良いかはわからない。

取り合えず、アンナが怪我しませんように……とだけお願いをしておいた。





「ジュリオ……あんた、何を祈ったんだ?」


「アンナが怪我しませんように……って」


「……そうかい、ありがとよ」





アンナはぶっきらぼうに言って立ち上がると、すぐに後ろを向いて膝についた土を手で払った。

こちらに顔を見せないという事は、照れているのかと思う。


ただ無事を祈っただけなのに、こうもわかりやすく照れてしまうのは、アンナが肯定されたり大事にされたりする経験に乏しいからなのか。

そりゃ、クラップタウンという雑な町で育てば、理解出来なくも無い話である。





「アンナ、頼むから……怪我しないでね」


「怪我してもジュリオがいるだろ。チート性能ヒーラー様がよ」


「でも、怪我したり苦しんだりするアンナを見たくないよ、僕」





肯定されたり大事にされたりする経験に乏しいのは、ジュリオも同じだ。


だから、アンナからド直球に褒められたり気遣われたりすると、何だか相手を騙している気分になってしまう。


もしかしたら、自分とアンナは似たもの同士なのでは……と思った。


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