36.生きてりゃいいのだ!
クラップタウンの役所の相談室にて、ジュリオは以下にして異世界人勇者のパーティがアナモタズによって崩壊したかをルトリに聞かせた。
勿論、話の全てを聞かせた訳でない。
特に、自分が王子である事と、ヘアリーが他言無用と言った箇所は徹底して伏せていた。
「すいません……あまり、上手く話せなくて……」
ジュリオは曇った顔で謝罪をした。
右肩に重みを感じて視線をやると、アンナが寄りかかって爆睡している。
コイツ寝ていやがったとジュリオは苦い顔をした。
「ねえアンナ起きて。聞いてた? 僕の話」
「んぁ? ……あ、ああ。聞いてた聞いてた。あんたが役所をたらい回しに話だろ?」
「話のド頭で寝てるじゃんそれ……」
「あら、アンナちゃんが人前で寝るなんて珍しい。ジュリちゃんの事気に入ったのね」
ルトリの台詞に違和感を覚えた。
アンナに気に入られる……と言うのは、何だか凶暴で有名な近所の野良犬に餌をやったら懐かれた、といった心持ちである。
「ジュリオの事か? う〜ん。気に入った……つーか、なんか目を離したら死んでそうな捨て犬みたいな感じ」
どうやらアンナもジュリオの事を犬の様に思っていたらしい。しかも捨て犬だ。
嫌な意味でお互い様である。
「あんたみたいな男初めてだよ」
台詞だけなら男としては嬉しい台詞であるが、ダルそうな半笑いを浮かべるアンナに言われると、舐めとんけワレと文句の一つでも言いたくなるものである。
「奇遇だねアンナ。僕も君みたいな女の子初めてだよ。『凄い』意味でね」
ジュリオが冷たい目をしてそう返すと、アンナは「やるねぇ……」と楽しそうなニヤリ顔をした。その悪そうな表情は、さすが下町スラム育ちの女であろう。
生粋の王子様育ちなジュリオにとって、アンナは異性というよりも初めて出会う新種の動物に近い。
命の恩人に随分と上から目線であるが、それはジュリオが深窓のバカ王子故の傲慢さにある。
「ふふ……っ。ごめんなさいね、仲良さそうで笑っちゃって」
書類やノート類で散らかったローテーブルを挟んで向かいに座るルトリが、少女の様な顔でくすくすと笑う。
ルトリは大人の女性であるが、無邪気な少女めいた表情を見せることもある。不思議な色気を持つ女性だなと思った。
「大丈夫? ジュリちゃん。……辛い話をさせ過ぎてしまったものね……」
「え、いえいえ。とんでもないです。……こちらこそ、気を使わせてしまってごめんなさい」
ルトリから心配そうに言われ、ジュリオは慌てて返事をした。
「ごめんなさいねジュリちゃん。さっきのお話で一つ気になるのだけど、良いかしら?」
「え……良い、ですけど、なんです?」
今までジュリオが聞かせた話は、色々と隠した部分もあるので、辻褄が崩れている箇所もあるだろう。
もし、その部分を追求されたらどうしようかと不安だったが、ルトリの疑問点は全く違う部分であった。
「異世界人勇者の男の子の言う、『アイツ』についての心当たりはあるかしら?」
「え、あの、一体」
「異世界人勇者の男の子は『アイツが言ってた休憩小屋』『そう言われてる筈だろ』って言ってたのよね? ……この台詞を聞いて、おかしいとは思わなかったの?」
「ルトリさん……? えっと」
言葉が詰まった。
ルトリの表情と声が、あまりに冷たく怖かったからだ。
これではまるで別人のようである。
ルトリと言う名の女優が、明るく優しい女性役から、腹の内が読めない氷のような冷たい女役へと変わった感覚に近い。
ヘアリーも、ぶりっ子バカ女から真摯な新聞記者へと豹変していたが、それとは比にならない程の変貌である。
「確かに……言われてみれば気になる台詞ですけど……。でも、例えおかしいと思っても、あの時の僕にはどうすることも」
「そ、そうよね……っ! やだっ! 私ったら! ごめんなさいね……。細かい所まで聞くのが私の仕事だから。許してね」
「!? あ、いや……その……はい……」
ルトリは一瞬で元の優しそうな明るい女性の顔に戻った。
先程の氷のような冷たい顔は幻だったのかと思うほどだ。
「僕の方こそ……お力になれず……ごめんなさい……」
今回のアナモタズ襲撃事件は、ただの事故では無いのかもしれない。
異世界人勇者が『アイツ』と結託して引き起こした惨劇の可能性が浮上したが、それを考えたところで異世界人勇者はアナモタズに食い殺されてしまったし、どうにも出来ない。
まさに、死人に口無しである。
それにしても今になって思えば、土下座をさせられた時に一発でも怒鳴り返しておけばとも思うが、あの時はいきなり巨大な化け物が人を生きたまま食ったり、小屋の壁をブチ破って登場したりしたのだ。
その後、目の前で異世界人勇者がバリバリと食われている絶望の状況下の中、ジュリオのような温室育ちの王子様に出来る事など何もないだろう。
ジュリオが暗い顔をすると、アンナが悲しそうな表情で話しかけて来た。
「……何にせよ、ヒールしか扱えないジュリオは囮にされて巻き込まれただけ。気に病むな」
「アンナ、ありがとう。でも……もし僕が、あの時勇気を出してへアリーの元に飛び出せていたら……」
「……それでも、低級魔法のヒールじゃアナモタズに食われた人の治癒は不可能だし、そもそもあの時点であんたがへアリーさんの元に行ってたら、今頃あんたもアナモタズの腹の中だよ。……そう言うのは勇気じゃない。……ただの勇ましい自殺だ」
「……勇ましい、自殺……」
「ああ。そうだ。……アナモタズがうようよといる場で、迂闊に動いたり大声を上げなかったあんたは、あの場で一番最善の選択をしてたんだ。……もし、あの状況下で異世界人勇者と口喧嘩でもしてみろ。……キレた異世界人勇者に切り殺されるか、無駄にアナモタズを興奮させてあんたまで食い殺されるところだったんだ。……あたしにこれ以上死体を見せないでくれ」
アンナが静かな声で言い、ジュリオの肩を抱いてくれる。
確かに、あの状況下でヘアリーの為に飛び出しても、ジュリオにはアナモタズに食い殺された相手を生き返らせる事は出来ないし、異世界人勇者と喧嘩をしても、戦闘力ゼロのジュリオはチート戦闘力に切り殺されて終わるだけだ。
あの場でジュリオに出来た事など、何も無い。
「……ありがとう……アンナ」
「事件に駆けつけたあたしからしたら、ジュリオが生きてただけで良かったよ…………もう、人が死ぬのは見たくない。……もう、嫌なんだ。……だから、その、元気出してくれ。……せっかく助けた相手が生きてることに負い目を感じるのは、助けた側としては……辛い」
「…………そっか……」
アンナは、これまでの人生で、人が死ぬのを何度も見てきたのだとわかる。
役所の安全課から要請を受けたら、アナモタズの獣害事件へ出動する立場のアンナは、きっと様々な光景を見てきたのだろう。
「ジュリオが無事で良かった。今は、それだけ考えといて。……へアリーさんを助けられなかったとか、見殺しにしたとか、そういう場違いな自己嫌悪を抱く必要は無い。……あの状況で、マリーリカさんだけでも救えて、良かったじゃないか」
「……」
「冒険者がアナモタズに食い殺されるなんて、ありふれた話だからな。……死と隣り合わせなんだよ。魔物を狩るってのは」
「猟師が言うと、説得力あるね」
何とかこちらを励まそうとするアンナの長く白い睫毛に縁取られた赤い目にじっと見つめられ、ジュリオは見惚れてしまう。赤い目はザクロのようで美しくもあるが、その一方で血溜まりのようにも見えてしまい、恐ろしさすらある。
可愛らしくも恐ろしさも持つアンナに似合う色だと思った。




