32.ろくでもねえこの世界!
ジュリオがまだ事故に巻き込まれる前、異世界人勇者の冒険者パーティでコキ使われていた時のことである。
異世界人の少年が、ハーフエルフの美少女ヒーラーに「俺はハーフエルフを差別しない! ハーフエルフに偏見なんか無いぜ!」と言い、仲間に引き入れようとしたことがあった。
そう言われたハーフエルフの美少女は、困ったように笑ってその場を去ったのだが、異世界人の少年はその困ったように笑った意図に気付けず「この世界にもハーフエルフ差別があるんだな、胸糞悪いぜ」と暗い顔をしていたのだ。
「……ごめん、あたしもう出るわ。……悪かったな」
「待って、行かないで! お願いだから……っ」
立ち上がって湯船から出ようアンナ引き止めた。手を掴んで「行かないで」と懇願する。
「あんたは聖ペルセフォネ王国の王子だろ? ……あたしと一緒に風呂入って嫌じゃねえの?」
「嫌なわけない! 僕は……アンナと一緒にいたいよ……」
聖ペルセフォネ王国は保守的であり権威的な一面がある。その事はとても有名だった。
聖ペルセフォネ王国の王都では、今だにハーフエルフとペルセフォネ人が同じテーブルで食事が出来ない料理店もある。それはまだ良い方で、中にはハーフエルフお断りの店すらあるのだ。
ペルセフォネ人が住むには、治安も良く町並みも美しく上品でとても良い国であるのだが、ハーフエルフや異世界人からしたら、何かとしんどい一面もあった。
「……あんたは平気なのか」
「平気とかそんな話じゃないよ! 何なら今ここでアンナの風呂の残り湯飲んでみせようか? 喜んで飲むけど!」
我ながら気色悪い事を言うなあとジュリオは思うが、そんな事にかまっていられない。
アンナへ『ここにいて欲しい』と分かってもらえるなら、どんな気色悪い事だって言おうと思う。
「ごめん……本当に、ごめん……。アンナ、お願いだから……行かないで」
ジュリオは必死に頼み込む。
「ごめん……君と同じ『終止符』体質だったのを、壊れてるなんて言って……ごめんなさい……」
「いや、そう言うことじゃない。……あたしは……ジュリオには、自分自身を笑い者にして場を和ませるなんて事、して欲しくなかっただけだよ」
アンナに言われて気づく。
ジュリオは、知らない内に自分自身を笑い者として扱っていたのだと。
男として生まれたせいで大聖女にはなれず、大聖女を生む可能性のある聖女にもなれず、そもそも大聖女デメテルの血を後世に繋げようにも、子供を作る機能が無いためそれも出来ない。
そして、母である大聖女デメテルは、まだ体が出来上がっていない少女の身でジュリオを出産したせいで、体を壊し杖無しでは歩けなくなった。
自分を産んだせいで不幸になった母や、自分の子供を作れない体に絶望して泣き喚く周囲の人に報いるため、回復魔法や勉学や剣術などを学んでも、何をやっても不出来で周りを失望し続けてきた。
周りを失望させ続ける自分でいるくらいならいっそ、『美貌のバカ王子として笑い者』として振る舞う方が精神的に楽だった。
最初から『自分はバカで駄目なヤツです』と証明した方が、失望させずに済むからだ。
「あたしはただ、自分自身を笑い者にして、歪んだ顔で笑うあんたを見るのが……苦しかっただけ」
「……そんなに、酷い顔してた……? ……笑顔には自信あったのに」
「あんた、作り笑いの才能無いよ」
ジュリオに腕を掴まれたままのアンナは、少し悲しそうに笑っていた。
◇◇◇
ジュリオに引き止められたアンナは、渋々湯船に戻って来たが、先程のようにジュリオに近づこうとはしなかった。
アンナが近寄ってくれないなら、こっちから近寄ってやるとジュリオは距離を詰める。
不安な顔で逃げようとするアンナの肩に頬を擦り寄せ、逃げられないよう寄りかかった。
お互いタオル一枚の姿でとんでもない事をしている自覚はあるが、こうでもしないとアンナはすぐに逃げてしまうだろう。
「やっぱ、あんた遊び人だろ。そうやって何人の女落としてきたんだよ」
「……僕を舐めちゃ駄目だよ? 女だけじゃない。男だって落としたんだから」
「そりゃすげえな。……負けたよ、あんたには」
何が何でもアンナを離さないぞと決め込むジュリオに、アンナは根負けしたようで、諦めた様に笑っている。
片目が隠れるほど長い前髪をかき上げる仕草は格好良くも色っぽい。
アンナこそ、男でも女でも落とせそうな気がした。
「……君と手を握りあった時さ、何か違和感があったんだよね。……今思えば、ペルセフォネ人とハーフエルフは魔力の流れ方が違うから、違和感の正体はこれだったんだなって」
「そっか……わかるもんなんだな」
「確実ってほどじゃないけど……まあ、何となくってとこかな。カトレアさんだったらもっと正確なのかも」
カトレアといいローエンといいルトリと言い、この町の住民は、アンナがハーフエルフだと知っているのだろうか。
もしかして、クラップタウンの住民にもアンナは自身がハーフエルフと言う事を隠しているのでは、と思った。
「アンナ……その、さ。クラップタウンのみんなはこの事」
「ああ。知ってるよ」
「そっか。……あ! じゃあ、ローエンさんとこで弓の修理したとき、ローエンさんがアンナと複合弓が同じって言ってたのは」
確かあの時、ローエンはアンナの弓を修理しながら、「お前と同じ複合」とかなんとか言っていた気がする。
「ああ。ペルセフォネ人とエルフの複合って意味だよ。……別に嫌味とかじゃねえんだ。ガキの頃からの憎まれ口。……クラップタウン流の挨拶だな」
「…………すごいね。言葉の殴り合いって感じ」
バカ王子が言うのもあれだが、知性も品性も無い挨拶だなあと思う。
クラップタウンの文化に触れるたび、ドン引きばかりである。
「クラップタウンには、ペルセフォネ人もハーフエルフもエルフも異世界人もなんもねえ。……あるのはただ、金持ちか貧乏人かってだけ。ここの連中は皆、あたしを含めて無学でバカな貧乏人だからさ、差別出来る知性も余裕もねえんだよ」
「別の意味での限界集落って感じだね」
貧乏人の町クラップタウン。
民度も倫理も知識も教養も最底辺の貧乏人の町だが、ジュリオの知らない別の顔もあるようだ。
だからといって、別にこの町を『保守的で権威的な聖ペルセフォネ王国と違って、クラップタウンこそ素晴らしい町だ! 下町の人情って素晴らしい!』なんて称賛する気は毛ほどに無い。
金持ち冒険者の馬車荒しは日常茶飯事だし、怒鳴り合いの声や命乞いの声はしょっちゅうだし、町の住民はいつも警察から逃げてるし、公的書類の偽造は買い物感覚で行えてしまう。
道を歩けば汚いおっさんが寝てるし、酔っ払いはゲロを吐いてるし、違法ポーションや脱法薬草の売人はそこら中にいる。
手放しにこの町を好きかと言われたら、断じて否である。
「にしても、悲惨な迫害の歴史を持つ筈のハーフエルフが、今じゃ異世界人を差別してんだもんな。……世も末だわ」
「……そうだね」
百年前はペルセフォネ人がハーフエルフを差別するという構図であったが、現代は違う。
それは、チート能力と進んだ文明を持つ異世界人が、今の主な差別対象となっていたからだ。
ハーフエルフよりもさらに下の差別対象がこの世界に召喚されてきたため、差別構図に一段下の階層が生まれたのだ。
異世界人勇者がハーフエルフの美少女ヒーラーに「俺はハーフエルフを差別しないぜ! 偏見なんか無いぜ!」と格好良くキメていた裏で、その美少女ヒーラーが「チート能力振りかざしてイキってる異世界人猿がなに調子に乗ってんだ」と煙草を吸って毒づいていたのをジュリオは目撃している。
「ほんと、この世はろくでもないね」
どこを向いても理不尽だらけだ。
げんなりする事ばかりである。
「この世界を創造したとかいう女神様ってさ、絶対性格悪いよね」
「……少なくとも、慈悲深くはねえだろうな」
そう言って笑い合った。
ジュリオとアンナが楽しげに笑い合う様は、傍目から見たら金髪の美女と白髪の美少女がお湯に浸かって親しげにしている様にも見えるが、ジュリオのお湯に浸かって見えない体は男のそれである。
当然、男のアレがアレしっぱなしなので、ジュリオは膝を抱えたままであった。
「なあ、ところでさ、なんであんたはさっきから膝抱えたままなんだ?」
「え!?」
アンナに顔を覗き込まれ、ジュリオは戸惑ってしまう。
タオルでは隠しきれないアンナの体の艶めかしい凹凸感や、汗とお湯が伝う白い胸の谷間はとても下半身に良いが、良く無い。
「あの……アンナ、男の人と深い仲になった事ある? いや、変な意味じゃなく、今の僕の姿勢に関わってることなんだけどさ」
「何も無いけど、それとあんたの姿勢がどう関わってんだ……?」
アンナが誰かと『深い中』になった事が無いと聞いて少し嬉しくなったものだが、だから何だと自分にツッコミを入れて苦笑いをした。
「アンナ、風呂から上がるときは、絶対僕の方を振り向かないでね」
「なんで」
「……だって……ねえ」
ジュリオは目を逸らして気不味そうに笑う。
頬は真っ赤になり、困ったように眉を寄せた。
そんなジュリオの様子に、アンナは何かに気づいたようだ。
「そうだジュリオ……。就職祝に背中流してやろうか?」
アンナはニヤニヤと笑いながら迫ってくる。
「とっても魅力的な提案なんだけど、ごめん、別の日にしてくれる?」
「今日限定のサービスだ」
「じゃ、じゃあさ、冷水浴びる時間とかくれたりしない? 別に僕は見られても構わないけどさ、アンナにとっては、別に見ても良いものじゃないと思うよ」
「いや、興味あるわ……。ローエンが酒に酔ってビンに突っ込んで抜けなくなった萎びたアレを一回見ただけだからさ。……今のジュリオがどうなってんのか興味あんだよ……」
膝を抱えて縮こまるジュリオに、アンナは意地悪そうに笑って密着してきた。
抱えた膝にアンナのタオル越しの柔らかいものが触れ、もう色々と大変である。
「さっきあんたはあたしの体見たんだからさ、あんたも見せてくれよ」
「やめた方が良いと思うよ! ほんと!」
やめておけと止めるジュリオに、アンナは楽しげに笑ってちょっかいを出してくる。
見せろよ、やめときなよ、あたしの体も見たんだから良いだろ、それなら僕の胸で勘弁してくれる?
と言う泥仕合がかなりの間続いた……その結果。
◇◇◇
「風呂で遊んでのぼせるって、あんた達……アホなのかい?」
番台のおばさんが呆れた顔でため息混じりに言う。
ジュリオとアンナは風呂で泥仕合をしていたため、二人とものぼせてしまったのだ。
両者ともぐったりした顔で伸びており、異世界文明の扇風機が忙しそうに首を振って風を送ってくれている。
「なあ……勃ち上がったアレって、どんな感じなんだよ……」
「まだそれ言うの……?」
泥仕合の結果は、ジュリオの粘り勝ちであったのは、二人のみぞ知る結果である。
泥仕合に負けたアンナは、「敗者復活だ。今からスマホでジュリオののぼせたエロい顔を撮ってやる」と、ロッカーにしまったスマホを取りに行ったのだが。
「ジュリオ。……ルトリから『ヒーラー免許の受け取りとその他諸々のために役所へ来て頂戴~~』だってさ」
アンナはスマホの画面をジュリオへ見せながら、「こんな事してる場合じゃねえな」と言ったのだった。




