188.冥杖ペルセフォネと冥弓ハデス
「フィラムさん……アリスさん……。その……人ん家にずかずか上がり込んで……申し訳ありませんでした……」
ジュリオが本当にヤバイと察し、文字通り駆け付けたアンナは、階段から転げ落ちそうになったジュリオを抱き支えて事故を防いだ後、家主のフィラムとアリスに頭を下げて謝った。
「いいえ。こちらこそ、エンジュリオス大司教の為に駆け付けて下さって、ありがとうございました」
フィラムとアリスは穏やかに笑って答えてくれる。
そして、アリスが
「今日はもう遅いですし、馬も休ませたいですから、今日の所はどうぞお泊りになってください。エンジュリオス大司教のお体の為にも」
と提案してくれたので、ジュリオとアンナとネネカはありがたくお言葉に甘えたのだった。
◇◇◇
アリスとフィラムが淹れてくれた気付けの紅茶を飲むと、身体が温まり落ち着く。
そして、別室にてネネカに心音を測られた所、まだ無理は禁物だが、程々に落ち着いてはいると診断された。
リビングに戻り、ソファーに座って姿勢を正したが、フィラムから
「お体の為にも、どうぞ楽にして下さい」
と言われたので、アンナに寄りかかって姿勢を崩す。
アンナからは「膝枕でもするか? ん?」と言われたが、流石にそれは枢機卿一家の前ではアレなので、残念だが断った。
「今日のご飯はシチューでしたから。多めに作っておりますので、どうぞ召し上がって下さいね」
アリスに微笑まれ、ジュリオは
「ありがとうございます……! 最近、コンビニで売ってる栄養機能食品のクッキーとカップ麺ばかりだったので……」
と力無く笑った。
「エンジュリオス大司教……。ご苦労様です……」
フィラム枢機卿に労われると、ここ最近の激務も報われる心持ちだ。
そして、アリス手製のシチューが完成し、フィラムが皿を出してくれる。
この皿も、何の装飾も無いシンプルな物だが、見ていて不思議と暖かい気分になった。
飾り棚にちょこんと置かれている陶器の馬やリスの人形と同じ雰囲気なので、もしかしたら皿も手作りなのだろうか。
「すみません、このお皿は……どなたが作られたのですか?」
「ああ、それは私ですわ。陶芸が趣味でして……」
アリスは良い匂いのシチューを皿によそいつつ、楽しそうに笑っている。
「ああ……久しぶりのちゃんとしたご飯だ……。しばらく酒とソーセージとカップ麺しか食べて無かったから……」
ネネカが紅茶を飲みつつ、疲労に打ちのめされた声を出す。
この女も、ジュリオが大司教となってから、研究にテレビ出演に、各地のヒーラー休憩所から救援要請を受けるジュリオのお供として駆けずり回っていた為、まともな飯を食う余裕が無かったのである。
「おネネさん……お願いですから人らしい食生活をして下さいね……」
ロアナから心配そうに言われ、ネネカは「面目無い」と笑って答えた。
◇◇◇
ジュリオ一同は、アリスが作ってくれた美味しいシチューを食べながら、世間話をしていた。
シチューの野菜はとても美味しく、ここ最近の無茶苦茶な食生活でボロボロになった体に良く染みる。
「そういや、ロアナさんは何かご趣味があるのですか?」
ネネカはロアナに質問をする。
確かに、フィラム枢機卿は家庭菜園で、その嫁さんのアリスは陶芸が趣味なのだ。
それなら、娘のロアナは何をしているのだろうと思う。
「趣味とは……少しそれるのですが、私は、大学で神話学を学んでおります。まあ、趣味と実益を兼ねて……ですね」
ロアナは照れながら話してくれる。
そんなロアナに、ネネカが続いた。
「失礼ですが、大学はどちらの……?」
「ペルセフォネ大学です」
「最上級の名門ですね……さすが……」
「ありがとうございます……。どうしても、そこで神話学を学びたかったものですから」
ロアナは照れながら紅茶を飲んだ。
ネネカは、ロアナの神話学と言うのに興味を持ったのか、
「あの、神話学……と言うのは、具体的にどのような事を学んでおられるのですか?」
と質問をする。
確かに。名門大学で神話学を学ぶロアナには興味がある。
それに、先程ジュリオに対して『乱〇パーティかと思いました☆』とヘラヘラ笑って言い放ったロアナに対しては、正直神話学よりも本人に興味があった。
「ペルセフォネ教の神話は、実はデタラメなのではないか? と言う事です」
「え!!??」
ネネカはシチューを食おうとしていた手を止めて、勢いよくフィラム枢機卿を見た。
フィラム枢機卿は特に気にした様子も無く、シチューの野菜を上品に咀嚼した後、「今年のニンジンは甘く育ったなあ……」としみじみしている。
アリスも「今度は『激情』をテーマに食器を作ろうかしら……」と真面目な顔をしており、この夫婦が娘の趣味や研究については自由にさせているとわかる。
敬虔なペルセフォネ教の枢機卿の娘が、ペルセフォネ教の神話はデタラメだと言うのを研究しているなんて、そんなもんは余程家族仲が最悪か、それとも仲が良い故に自由主義にしているのかのどちらかだろう。
「あの……フィラム枢機卿……ロアナさんの研究については……その……」
ジュリオも流石に心配になり、フィラム枢機卿に恐る恐る聞いてみた。
すると、フィラム枢機卿は照れながらヘラヘラと笑って
「最初は『どうしようかなあ』と悩みましたが、娘に泣きつかれて『お父さん大好き』と言われてしまうと……ねえ……」
と、ただの子煩悩なおっさんの顔をした。
なんちゅう親子や……とジュリオは思う。
このおっさん、何やかんや真面目に枢機卿をするくせに、娘にはゲロ甘じゃねえかと。
そして、そんなフィラム枢機卿に『仕方ないおっさんだなあ』と思う一方で、『良いお父さんではあるんだよなあ』とも思う。
「私はペルセフォネ教の枢機卿として、女神の下僕である事に誇りを持っております。……しかし、娘の人生は、娘の物ですから」
フィラムはシチューをおかわりしに席を立つ。
不思議だけど暖かい家族だなあと、ジュリオは思った。
◇◇◇
「ところで、そのデタラメの可能性がある神話……とは?」
ネネカがロアナに聞くと、ロアナは目を輝かせて喋り始めた。
「この国の建国神話です。……ほら、女神の化身である聖女と、後に王子となる英雄が、民の為にこの土地を手に入れるため、魔王率いる魔物を倒した……と言うあれです」
ロアナの話を聞いて、ジュリオはネネカの
『ま、後はぶっちゃけ支持率目当てのパフォーマンスも兼ねてましたね。ほら、この国の建国神話に『王子と聖女が魔物を倒して民のために土地を手に入れた』ってありますでしょ? それをパクったんすよ』
と言う話を思い出す。
死にかけたルテミスとネネカを保護し、みんなで味噌煮込みうどんを食った後、そんな話をしたのだ。
「その建国神話は……実は、プルトハデスにも似たような物があるのですが、内容が大きく異なるんです」
「プルトハデスに? まあ……神話が似たような話になるのは世の常ですが……」
ネネカは考え込んでロアナの言葉を待っている。
フィラムもアリスも、穏やかな顔で娘の話を聞いていた。
だからこそ、ロアナが研究者の道を爆走出来ているのだろう……と思う。
「聖ペルセフォネ王国の建国神話では、女神ペルセフォネの化身である聖女は、魔王ハデスに連れ去られた後、後に王子となる英雄に助け出され、二人で魔王ハデスと魔物を打倒し、土地を手に入れ、聖ペルセフォネ王国を建国した……と言うのが、ざっくりした内容です」
それは、ジュリオも薄っすら知っていた。
歴史の勉強はサボり倒してきたアホだが、流石に建国の神話くらいは薄っすら知っている。
「ですが、プルトハデス国に伝わる神話は、全くの逆なのです」
ロアナは紅茶を飲んだあと、目をキラキラさせて早口で喋り始める。
「プルトハデス国では、女神ペルセフォネの化身である聖女、と言うのはまず存在しません。…………女神ペルセフォネ。その者が登場します。……まず、この時点で違うんですよ」
「なるほど……。確かに、女神ペルセフォネへの信仰を第一にするペルセフォネ教的には、女神が直接出て来ちゃうと価値が下がる感じがしますもんね……。だから、女神の化身の聖女、と言う形に落とし込むのはおかしな話では無いです」
ネネカがロアナの話へ補足をするように言葉を続けた。
そんなザ・インテリのネネカに、ロアナは「そうそうそうそう!!! そうなんですよ!!」と興奮している。
「プルトハデス国に伝わる女神ペルセフォネは、生命を司る存在なのです。……ですから、その名の通りに、色んな神とヤりまくっていたとんでもないクソビッチだった……と、文献に残っているのです」
とんでもない下品な言葉が、この穏やかで暖かな食卓の場に発せられた。
ジュリオは心配になってフィラムとアリスを見たが、この夫婦はまるで『いつも通りだなあ』と言いたげな顔をして、娘の話をニコニコと聞いている。
ジュリオは思った。
愛情と自由と尊重を大事にする家庭に育つと、子供は善性に満ち溢れたとんでもないヤバい奴になるのかもしれない……と。
さすがのアンナもシチューを食う手が止まっており、ジュリオに小声で「知識階級ってのは良くわからねえな」と引いていた。
「それでですね、あまりの女神ペルセフォネの自由奔放なクソビッチっぷりにブチ切れた、父親である運命の絶対神が、女神ペルセフォネを神の楽園から冥府へと追放してしまうんです」
「何かどっかで聞いたような話だな」
「確かにねえ」
ロアナの話に、アンナとジュリオが不思議そうに合いの手を入れた。
「そして、冥府に追放された女神ペルセフォネは、そこで魔王ハデスに恋をするんです。……そして、二人の間には子供が生まれますが、それを合図に女神の父親である運命の絶対神が、『娘をさらって子供を産ませた』と言いがかりをつけ、冥府に侵略を開始するんです。…………実は、冥府――――死の世界を手に入れようとしていた運命の絶対神は、娘の女神ペルセフォネを魔王ハデスに送り付けて、難癖を付けて戦いを仕掛けたかっただけだったんです」
「送り付け詐欺みたいなもんっすね」
ネネカの冷静沈着なコメントに、アリスが吹き出した。
「運命の絶対神に戦いを仕掛けられた魔王ハデスは当然冥府を守る為に応戦します。……勿論、女神ペルセフォネも、その子供たちも、魔王ハデスに加勢しますが…………。運命を司る絶対神には勝てず、魔王ハデスは神の国で処刑されてしまいます」
「魔王ハデス……超悲惨じゃん……。クソビッチのアホ女送りつけられて、その親父からはボコられて……」
アンナは魔王ハデスに肩入れしてしまっているのか、少し切なそうな顔をする。
「魔王ハデスは、自身の角と爪と骨と鱗と片目で作った『冥弓ハデス』と呼ばれる魔弓を使って絶対神と戦ったのですが…………。その『冥弓ハデス』は、魔王ハデスの処刑後に神に奪われてしまいます。…………そして、その弓は東ペルセフォネ地方にある、水の都の聖域に飾られているんです……。ペルセフォネ教の神官や聖女達が、長い時間をかけて浄化し、今は『聖弓』と呼ばれておりますね」
「…………神話の武器が……マジで今の時代にもあるんだな」
弓の話にアンナも食い付いたのか、興味がありそうな顔をしている。
そんなアンナに、ロアナは嬉しそうに言葉を続けた。
「『聖弓』は一般人が気軽に見れる武器として、観光地の目玉になっていますが、近年だと異世界人の勇者の中でその弓が扱える方がいないかと、試し打ちをするイベント等を開催して、ボロ儲けをしているそうですね。…………『聖弓』は、扱いが難しく、持っているだけで生命力を食らうものですから」
「何か、冥杖ペルセフォネと似てるね」
「そうなんですよエンジュリオス大司教!! あ、この呼び方長いんでジュリオさんでいいですか?」
「い、いいですよ……」
ロアナのグイグイ来るインテリ気質に、ジュリオはやや押され気味になりながら答えた。
「神話の話に戻りますと、……魔王ハデスが処刑された後、女神ペルセフォネはブチ切れて、父親である運命の絶対神に中指を突き立てます。……そして、運命の絶対神である父親を子供達や魔物達と一緒に倒した後、自らの体から骨を引っこ抜いて作り上げた杖――――『冥杖ペルセフォネ』を作り上げ、増幅した生命力を糧にし、処刑された魔王ハデスを生き返らせたのです」
「女神ペルセフォネって、つまり、親父ぶっ殺した後、死んだ旦那を生き返らせたとんでもねえクソビッチの話ってこと……?」
アンナが恐る恐る引き気味の顔で質問をすると、ロアナは興奮気味に答えてくれた。
「はい!! その通り!!! 女神ペルセフォネは、運命の絶対神に中指を突き立て、死者を蘇らせた唯一最強の存在だと、私は考えております!! くぁ〜〜〜!! どんな優秀なヒーラーでも不可能な死者を蘇らせるという行為をしてのけた女神ペルセフォネ……!! 会えるものなら会ってみたいです!!! どっかに生まれ変わりとかいませんかねえ……!!! 勿論……魔王ハデスにも会えるなら話を聞いてみたい!!!」
食卓の間に、沈黙が走る。
ジュリオは思わず『娘さんを何とかしてくれよ保護者……』とフィラムとアリスを見たが、二人は『そういや今日はあのドラマの放送日だね。後で録画したのを見ようか』と話をしている。
ペルセフォネ教の枢機卿としては異世界文明反対じゃなかったんかい!!?? とジュリオは思うが、フィラム枢機卿の自宅での顔は、ただの娘大好きな家庭菜園親父なのだろう。
そう思うと、フィラム枢機卿に解剖を認めさせるのは、絶望的では無いのでは……と言う希望も生まれた。
それに、冥杖ペルセフォネが、実は女神ペルセフォネが魔王ハデスを生き返らせる為に、自らの骨を引っこ抜いて作り上げた杖であった…………と言われ、『うわっ! そんな気持ち悪いもんを僕は振り回してたのか!』と思ったが、この説はあくまでロアナの研究中のものであり、確証はない。
そんな事を考えるジュリオを他所に、ロアナは楽しそうに話を続ける。
「『冥杖ペルセフォネ』は、『冥弓ハデス』と同様に、女神が自らの肉体を使って作り上げた最強の杖です。……ですから、持ち主の生命力を食らいながら力を発揮すると言う仕組みに無理はありません。………………ただ……」
「ただ?」
言葉を濁したロアナに、アンナが続いた。
「ただ……。この神話は、あくまでプルトハデス国に伝わる話でしかありません。…………聖ペルセフォネ王国の神話が正しいのか、プルトハデス国の神話が正しいのか、それを決定付ける証拠を私はまだ見付けられていないのです。…………エルフの友達にプルトハデス国を案内してもらって、色々と聞き込みをしたのですが……ペルセフォネ人である私と話をしてくれるエルフはあまりいなくて……」
ロアナはしゅん……としてしまう。
確かに、気位が高い敗戦国のエルフが、脳天気なペルセフォネ人の女の子と口を聞いてくれるとは考えられない。
寧ろ、良くエルフの友達が作れたなと感心するが、ロアナの朗らかでエキセントリックな性格を見ていると、確かに友達になったら楽しそうだと思う。
「女神ペルセフォネ……。聖ペルセフォネ王国に伝わる通り、慈悲深く優しく、死者すらも蘇らせる事が出来る生命の化身なのか…………。それとも、プルトハデス国に伝わるように、迷惑で我儘で自由奔放なクソビッチだったのか…………。私は……この真相が知りたくて仕方ないんです!!」
ロアナは興奮気味に話しており、さすがのネネカも引いたような顔をしていた。
アンナは「あたしは似たような奴を知っている気がする……」と悩んでいるし、ジュリオは『この場にローエンを呼んで、好奇心の化け物と性欲の化け物の頂上決戦が見たいなあ……』と呑気な事を思った。




