187.あんたに会いたくて!?
馬車に乗り、ジュリオ一同はフィラム枢機卿の家へと向かった。
「……冥杖ペルセフォネを持ち歩いてて良かったです。……いつヒーラー休憩所から救援要請を受けるかわかりませんし、これを持ってテレビに出たら、大司教としてアピール出来ますから」
ジュリオは冥杖ペルセフォネをしっかり握って、フィラム枢機卿に優しく語りかけた。
フィラム枢機卿は青ざめた顔で泣きながら、「申し訳ありません……申し訳ありません……」と呟いている。
この申し訳ありませんが、ジュリオに対してなのか女神ペルセフォネについてなのかは分からないが、フィラム枢機卿が謝る事は無いのでは? と思った。
「私は……愚かなクソジジイです……。あれだけエンジュリオス大司教に偉そうな事を言っておきながら、娘が呪いの病に倒れた瞬間には、エンジュリオス大司教に来てもらわねば……と、貴方の居場所を聞いて馬車を出してもらったのですから……」
「……僕も、弟の事になるとそんな感じですから。…………人なんて、そんなもんですよ」
ジュリオだって、ルテミスがフロント――メティシフェルに復讐をしようとした時、『弟を人殺しにしたくない』と言う我儘に突き動かされた結果、考え無しに飛び出して弟の代わりに銃で撃たれてこのザマなのだ。
「ルテミス殿下……ですね。…………ペルセフォネ教の枢機卿としては中々複雑なお方ですが……」
フィラムは涙をボロボロと零しながら、優しい微笑みを浮かべている。
「あくまで、フィラムと言うただのクソジジイとして申し上げるならば、私は、ルテミス殿下の幸せを、祈っております。……その幸せがどのような形であれ、彼の幸せを、私は望んでおります」
枢機卿としての顔と娘思いの父としての顔を切り分けないと、長年に渡って枢機卿を務めるのは困難なのだろう。
「今は、貴方がそう思ってくれる事が何よりです。……でも、いずれ時代は変わりますから。ペルセフォネ教の教えも、変化していく事でしょう。……僕も、大司教である間は、変化させる努力を惜しむつもりはありません」
ジュリオはフィラム枢機卿に礼を言いつつ、自分の意思をキチンと伝えた。
ペルセフォネ教と言うこの国の国教は、道徳心や倫理観であると同時に、この国を縛る頑強な鎖でもある。
その鎖を、時間をかけて良い感じに緩めて外していければ良いと思った。
しかし、だからと言ってペルセフォネ教を全否定する事は出来ない。
ペルセフォネ教を大事に思うからこそ、頑張って生きていける人もいるのだから。
中々、難しいもんである。
だが、一つだけ確かに言える事がジュリオにはあった。
「……僕は、弟が大好きですから」
ジュリオはしっかりとそう宣言した後、スマホの着信音に気付き、フィラム枢機卿に「すみません、ちょっと良いですか?」と断った。
そして、ジュリオの『弟が大好き』と言う台詞を聞いて、ネネカが少し切なそうな顔をしたのだが、ジュリオが気付く事は無かった。
「どうぞ。ご友人からのご連絡ですか? ……正直、私もスマホを持ちたくて仕方ないのですが、枢機卿と言う立場上、異世界人文明の象徴たるスマホを持つ事が出来ず出して……」
フィラム枢機卿は照れ臭そうに笑っている。
「それなら、まずはそこから教えを変えていく必要がありそうですね。僕が大司教をしている間に、スマホの所持が認められるよう頑張ります!」
ジュリオが冗談めいた事を言うと、フィラム枢機卿も笑ってくれた。
そして、すぐにスマホを確認すると、アンナからメッセージが入っている事がわかる。
『今日は予定よりも遅い帰りだな。大丈夫か? ぶっ倒れてないか?』
と、ジュリオを心配する内容だった。
一日に二回もメッセージを入れて来るなんて、アンナにしちゃ随分と珍しい。
ジュリオは、『フィラム枢機卿の娘さんを治して来るから大丈夫だよ』と言う内容のメッセージを送った。
しかし、ジュリオは度重なる疲労と寝不足により注意力が散漫していたため、実際に送ったメッセージは
『フィラム枢機な娘さわを治すとるから大丈夫だよ』
と言う、めちゃめちゃ誤字まみれの内容になっていた。
◇◇◇
フィラム枢機卿の家は王立ヒーラー休憩所からそこそこ距離のある所だった。
予想だが、馬車で片道三十分と言ったところだろうか。
「付きました。……それでは、よろしくお願いいたします」
フィラム枢機卿の自宅は、程々に広い庭とそこそこ大きな家である。
しかし、エレシス家のような無駄な装飾は無く、素朴ながらも暖かい雰囲気の家であった。
庭も良く手入れされており、花壇の他に家庭菜園の畑もある。
ジュリオが家庭菜園の畑を見ていると、フィラム枢機卿は照れた様に笑って、
「私の趣味なのです……。今年はトマトを植えておりましてね」
と教えてくれた。
そして、フィラム枢機卿の後に付いて家に入ると、泣き晴らした顔の嫁さんが出迎えてくれた。
「エンジュリオス殿下……ありがとうございます……っ」
少しふくよかで優しそうなフィラム枢機卿の嫁さんは、泣きながらジュリオに頭を下げてきた。
ジュリオはすぐに「頭を上げてください。お願いします」と伝えて、娘さんが寝ている部屋と案内される。
部屋の中も建物の外観と同じで、嫌な派手さや華美さが無い、落ち着きのある暖かな雰囲気であった。
庭で見た草花がリースが壁に飾られていたり、陶器の人形が飾られていたり……と、この一家がどのように過ごしているかが良くわかる。
少なくとも、自分の実家に比べたら楽園だなと思った。
◇◇◇
フィラム枢機卿の娘さんは、苦しげな浅い呼吸器をしながら眠っており、綺麗な顔にも紫の変色が現れていた。
しかし、まだ皮膚に穴が空いたり髪が抜けたり……とまでは進行しておらず、これならすぐに治せるだろうと安心する。
ジュリオは、冥杖ペルセフォネを構えてカース・ブレイクを唱えると、黄金の眩い生魔力が室内に広がる。
そして、治癒魔法を終えると、再び心臓が破裂しそうな程に激しい鼓動をし始めた。
息が吸えず目眩がするが、長年作り続けた王子様の微笑みを顔に貼り付け、何事も無いように装う。
そんなジュリオをネネカはちらりと見るが、ジュリオは静かに首を振った。
「ロアナ……ロアナ!!」
フィラム枢機卿は娘のロアナを優しく揺すり起こすと、ロアナはゆっくりと目を覚ました。
「お父さん……お母さん……」
ロアナはまだ病み上がりでボケーッとしているが、そんな娘にフィラム枢機卿とその嫁さんが泣きながら抱きついている。
そして、ロアナも状況を理解したのか、静かに涙を流しつつ、「私、生きてるねえ」と一言呟く。
仲良いい家族なのだと、すぐにわかった。
ジュリオは、この優しい一家を見て暖かな気持ちになるのと同時に、強烈な寂しさを抱えてしまう。
僕も、こんな家族の元に生まれたかったな……と、考えても無駄な意味の無い事を思って、余計に寂しくなった。
そんな家族を見ながら、ジュリオは心臓のうるさい鼓動によって目眩がし、冷や汗が止まらず、フラフラとしていた。
「ジュリオさん……。大丈夫ですか」
「うん。大丈夫だよ。……大丈夫」
ネネカに小声でそう言われて、ジュリオはにこっと無理矢理笑う。
しかし、どう頑張っても目は回っており、これは本当に不味いかもしれないと思う。
「エンジュリオス殿下!? 大丈夫ですか!? リビングのソファーに横になってください! 私は気付けのお茶の準備をします! 貴方! お湯をお願い!」
「ああ。わかったよ! アリス!」
フィラム枢機卿と、その嫁さん――――アリスはすぐにリビングへとすっ飛び、色々とジュリオの為に準備をしてくれている。
そして、その娘のロアナも病み上がりの体でフラ付きながら手伝おうとするが、それは流石に不味いとネネカが止める。
すると、ロアナは「おネネさん……!!」と目を輝かせており、ふと部屋を見たらロアナの部屋にはテレビも空調機器であるエアコンもスマホもゲーム機もあった。
枢機卿として異世界人文明は駄目なんじゃないんかい、と笑ってしまう。
フィラム枢機卿による娘の溺愛っぷりを見ると、ジュリオはさらに寂しい気持ちになり、ロアナには悪いが彼女へ妬みの感情すら抱いてしまいそうになる。
この部屋から出たいと思った。
両親から愛されて育った子供の部屋から、早く立ち去りたいと焦る。
「僕は大丈夫だよ。平気平気! これでも王子時代は女の子五人を相手に」
「ジュリオさん!! ロアナさんロアナさん!!」
「? ……女の子五人を相手にどうされたのです?」
ジュリオは心配をかけまいと、いつもの様にバカ王子時代の下品な武勇伝の話をしようとしたが、ネネカから『ロアナさんの前でそりゃ駄目だ』と言われ、『やっべえ! いつもの癖で!!』と反省した。
「女の子五人相手に……カードゲームの連戦をしたものですから」
「そうなんですか……てっきり私は女の子五人と乱〇パーティでもしたのかと」
「…………はい」
ロアナはふんわりとした可愛らしい笑顔で、ケラケラ笑いながらそんな事を言う。
ジュリオは観念したかのように真実を言い、ネネカは「……すんません」と燃え尽きたような顔をしていた。
「ま、まあ……取り敢えず……僕は元気だから安心してよ。……あはは、大丈夫……大丈夫」
ジュリオは笑ってロアナの部屋を後にすると、ヘラヘラと笑いながらフラつく身体で歩く。
大丈夫だとは言ったが、実際は目が回るし、何だか吐き気もするし、異様に汗は止まらないし……と、本格的に心臓のヤバさを実感した。
そんな時である。
リビングから呼び鈴が聞こえ、アリスが対応する声がした。
アリスは「すみません、どちら様ですか!?」と慌てている。
「すみません! あの、ジュリオ……いや、違え、エンジュリオス大司教はいますか!?」
アリスの問に対応する返事の主の声は、ジュリオが死ぬほど聞いてきた『あのヤンキー女』の声である。
しかし、『あのヤンキー女』がここにいるわけ無いので、多分自分の幻聴だろうと思った。
これだけ目眩がするのだ。そりゃ、幻聴の一つも聞くだろう……と。
ジュリオはフラフラと歩きながら、冥杖ペルセフォネを文字通り杖にし、階段を降りようとした。
ネネカはロアナに呪い食いにかかっていた時の様態を聞いている為、手を借りるわけにはいかない。
大丈夫。階段くらい。自分で降りられ、
られ……ら、
りるれ…………。
フラリ。
頭がふらっと軽くなり、視界がぐらりと傾く。
足が滑り、手から冥杖ペルセフォネが滑り落ち、『あ……階段から落ちるな』と思った瞬間。
「良かった…………間に合った……」
「…………アンナ…………何で?」
ここにいる筈のないアンナが、階段から転げ落ちそうなジュリオを抱き止めていた。
「あんたのメッセージ、誤字だらけでマジでヤバかったからさ。……メッセージもらった瞬間、流しの馬車に行けるとこ飛ばしてもらって……後は、走って来た」
「……走って来たの……? そっか……走って来たんだ……あははっ…………ははっ……」
アンナの顔を見ると、走って来ましたと言わんばかりに汗まみれで、とんでもなく心配しましたと言う表情を浮かべていた。
僕を心配して、文字通り駆け付けてくれたのか。
そう思った瞬間、ジュリオはアンナに抱き付き、力無く笑いながら泣いていた。
「僕が心配で……走って来たの?」
「ああ。そうだよアホ。あんたに会いたくて、走って来た。…………今度はちゃんと、窓じゃなくて玄関から入ったから、文句は言わせねえ」
アンナはジュリオを抱き止めながら、頭を撫でてくれる。
その時、ジュリオからは今まで抱いてきた寂しさや、ロアナに抱いていた妬ましさが消えていた。
「ありがとう、アンナ」
ジュリオはアンナの首筋に顔を埋めて、笑いながらも静かに泣いたのだった。




