174.その水、ヤバいぞ!!!
ついに現場から出動要請を受けたジュリオは、ヒーラー休憩所の控室にて、ツザクラから色々と説明を受けていた。
「会食をした貴族連中がまとめて呪いの病に感染してね……。お蔭様で、現場で働く私らヒーラーは、持ち込みの飲料を飲んで一息つく暇すら無いんだ。……まあ、元々クソ忙しくて水すら飲む暇は無かったけどね。……だから、バカ王子の手も借りたいって所さ。……でも、勝手な事はするんじゃないよ」
「……わかった。……取り敢えず、僕を現場に出すっていう判断をしてくれたのには感謝するよ。…………でも、アンナに失礼な事を言ったのは、必ず謝ってもらうからね」
「……なんだい、あれくらい。……私があのカキタレくらいの歳の頃なんか、もっと酷かったよ。これくらいでガタガタ言わないで欲しいね。笑って受け流しな」
ツザクラは張り付いたような笑顔で笑っているが、その目は笑ってないどころか、虚無のように乾いている。
きっと、ツザクラにも色々とあったのだろう、とジュリオはすぐに察するが、だから何だと言う話だ。
ツザクラの人生とアンナへの侮辱は全く別の話なのだから。
「あんたにやらせたいのは、ポーションや薬草などの物資の運搬や、うちのヒーラーの補佐として、病人の記録を書類にまとめること。……あんた、いくら頭が足りてないとはいえ、字くらい書けるだろ?」
「病人の治癒を……僕にはさせないってことか」
「当たり前だよ。ここは私達ペルセフォネ教の縄張りだ。ペルセフォネ教を軽んずる追放されたバカ王子の立場を弁えるんだね」
ツザクラは、どうしてもジュリオに治癒をさせたくないらしい。
わからず屋な態度に腹も立つが、ここは堪えなければならない。
それに、病人の様子を見る事は出来るのだ。
部屋に軟禁されていた頃よりはマシである。
「今からヒーラーの総回診が始まるからね。あんたは、記録係として、一切余計な事をするなよ」
ジュリオは『そんな事言ってる場合かクソババア』と怒りたくなるのを堪え、感情を手放した。
◇◇◇
王立ヒーラー休憩所の内部は、エレシス家の建築らしい豪華絢爛さがある一方で、室温や換気などの機能面はクソであった。
豪華な廊下には、美しい花瓶や壷等が飾られており、思わずぶつかってしまいそうになる。
無駄どころか邪魔じゃないか、とジュリオは呆れてしまった。
クラップタウンの役所と言う、異世界文明の空調設備が整っている過ごしやすい空間を知ってしまった以上、この金だけかけた大宮殿は『箱物建築』の様だとジュリオは思う。
ちなみに、箱物建築とはローエンから習った言葉だ。
「薄暗いし空気は淀んでるし、何より酷い匂いだ……。でも、やっぱり……土の匂いとは違う……」
ジュリオは、ヒーラー達の総回診の列に並びつつ、独り言をもらした。
「無駄口を叩くなバカ王子」
「……はい」
総回診の先頭を歩くヒーラーの男性に釘を刺され、ジュリオは大人しく従う。
この偉そうな男はヒーラー達のリーダーらしく、ツザクラの右腕と言ったところだろうか。
地獄を潜り抜けてきたヒーラーの、乾いた目をしている男である。
「我々の縄張りに追放されたバカ王子が物見遊山で遊びに来るなど……邪魔で仕方が無い」
こっちだって仕事なんですけど! とジュリオはイラッと来つつも、それ以上にこの建物内の匂いと、この建物が建っている土の匂いの差がどうにも気になって仕方がない。
ジュリオは考えつつも、今は情報が少な過ぎると判断した。
情報が少ない今、記録係としての雑用は寧ろ大歓迎だ。
「今から病室に入る。皆、私の説明を心して聞くように」
偉そうなヒーラーのリーダーが病室のドアの前で言うと、部下のヒーラー達は姿勢を正して返事をした。
よく統率が取れているなあ……と感心する。
ジュリオの現場も野戦病院並に激務を誇るが、ここまでの統率性は無いからだ。
「入るぞ」
そう言ってリーダー格のヒーラーが病室のドアを開けた瞬間、生臭さが鼻を付いた。
その次に、床がやけにぬるぬるしており、まともに掃除がされていないのだろう。
「……ヒーラー様……息が……」
病人の女性の掠れた声が聞こえ、ジュリオはすぐに傍へ駆寄ろうとしたが、リーダー格のヒーラーに睨まれ「動くな」と言われてしまう。
「……大丈夫。女神ペルセフォネの名の元に、私が治癒魔法で楽にして差し上げますからね」
リーダー格のヒーラーは、病人の女性に手をかざして詠唱を唱えた後「カース・ヒール」と口にした。
ジュリオは自宅学習最中に、解呪の魔法について学んだ事を思い出す。
解呪の魔法には色々と種類があり、ジュリオが使うカース・ブレイクはそれらの中で最強である。
だが、今回使用されたカース・ヒールと言うのは、呪いへの耐性の有無関係なく、勉強したら誰でも扱えるレベルの下位魔法だ。
こんな言い方は失礼であるが、『その程度の魔法で呪い食いが治れば苦労はしないよ』と言うのがジュリオの感想だった。
「この力は、女神ペルセフォネが与えてくださった奇跡の力です。だから、きっと、女神の加護が貴女をお守りするでしょう」
「ありがとう……ございます。お蔭で……息が……」
病人の女性はお礼を言っているが、その皮膚は呪いの病――――呪い食いの感染者らしく紫に変色しており、ところどころポツポツと小さな穴が空いている。
見た目がそもそもおぞましい病の為、王立ヒーラー学院卒業したてのお坊っちゃんお嬢ちゃんヒーラー達は、皆顔をしかめていた。
それを見ると、このリーダー格のヒーラーは、顔色一つ変えずに呪いの病の病人へ向き合っているのだ。
リーダーが、『私の指示に従え』と頭ごなしに権力を行使するのも良くわかる。
そうしないと、ヒーラー達は病に怯えていらん事をするかもしれない。
「エンジュリオス。記録を」
「はい」
ジュリオは、この偉そうなリーダー格のヒーラーを少し見直しつつ、指示に従いながら記録をしていった。
ああ、字が綺麗で良かったなあ……と、思わぬところで役に立った自分の数少ない利点に感謝する。
「えっと……息苦しさや、咳…………それに、口の中や瞼などの柔らかい皮膚が紫に変色……」
「…………エンジュリオス……殿下?」
ジュリオがリーダー格のヒーラーから言われた事を繰り返して言いながら、せっせと記入していると、病人の女性が掠れた声で話しかけて来た。
「どうされました?」
ジュリオはすぐに病人の傍により、床に膝を付いて耳を視線を合わせた。
「……テレビ……見ましたよ……。…………実物も、お綺麗ですね」
「ありがとうございます」
「…………何だか……お恥ずかしですわ……。私は……こんな腐りかけてしまって」
女性はまつ毛の抜け落ちた瞼を伏せがちにし、悲しそうな顔をする。
紫に変色した皮膚は頭皮にまで広がっており、髪の毛もまだらに抜け落ちていた。
これはまるで、呪い食いの症状にかかった黒いオーラをまとうアナモタズと同じである。
ジュリオは、書類を挟んだバインダーをリーダー格のヒーラーに押し付けると、病人の女性の紫に変色して爪すら剥がれ落ちてしまった手を握り、
「そんな悲しい事言わないでよ。病気が治ったらデートにでも行こ? ね?」
とバカ王子の脳天気な笑顔をして見せた。
「このバカ王子がッ!!! 状況をわかってい」
「っくく、あははっ……! ……ええ、楽しみに、しておりますよ」
リーダー格のヒーラーは、当然この脳天気なバカ王子にブチ切れてバインダーで殴りかかろうとしていたが、病人の女性がクスクスと笑っている所を見て、殴りかかろうとした手をゆっくりとおろした。
「おい……バカ王子。……お前、病室でもナンパかよ、この野郎……」
すると、女性の真向かいで寝ていたおっさんが、力の無い声で憎まれ口を叩いて来た。
紫に変色した皮膚の顔は薄っすらと笑っており、ジュリオへ親しみを覚えているようだ。
「バカ王子……お前……新聞で描かれてたよりも……良い女じゃねえか……。俺の若い頃、そっくりだ」
病室のおっさんが冗談を言うと、病室に微かな笑い声が起こる。
「…………」
リーダー格のヒーラーは、小さな笑い声が起こった病室内を見回しながら、ジュリオがおっさんの元へ行くのを黙って見ていた。
「そうでしょ? 新聞で僕の風刺画描いてたあのヘッタクソな絵描き、アイツ絶対売れないよ。自信を持って言えるね」
「だろうな……。でも、まあ…………俺の若い頃には負ける……かな」
「え〜じゃあ、病気が治ったら写真見せてよ。……もし僕の方が美人だったら、何か奢ってね」
ジュリオは、おっさんの紫に変色してところどころポツポツと穴が空いた手をそっと持つと、ベッドに優しく戻してやる。
「…………エンジュリオス。無駄話をしていないで、病人から症状の話を聞くんだ」
「ああ、ごめんなさい。……えっと、じゃあ記録するからそれを」
ジュリオが立ち上がろうとした時、リーダー格のヒーラーが、
「私が記録する」
と真面目な顔をした。
「え、でも」
「……お前のようなバカ王子に記録をさせるくらいなら、猫に書かせた方がマシだ」
リーダー格の男性は少しだけ笑って、ジュリオに何を聞けば良いのか教えてくれる。
ジュリオは、その指示に従い病人から症状を聞いて行った。
そして、病人全員から話を聞き終えた後、病室を出たジュリオは
「さっきはありがとうございました。……あの……今更ですけど……お名前、お伺いしても」
と、リーダー格のヒーラーの名前を聞こうとした。
「キジカクだ。……エンジュリオス」
キジカクは愛想もクソもない顔をしているが、最初の頃に見せた取り付く島もない雰囲気は無くなっていた。
「グズグズするな。次の病室へ行くぞ」
「……はいはい」
ジュリオは先へ進んでしまったキジカクの後を追いながら、先程記録した書類を見ていた。
「……共通しているのが、咳と呼吸がし辛いのと、瞼や口内などの柔らかい皮膚が紫に変色している事……。それに、嘔吐や下痢等の症状……これは……」
しかし、ながら歩きは危険とよく言ったもので、ジュリオは花瓶が飾られたサイドテーブルに躓き盛大に転んでしまう。
「ふぎゃっ」
「! チッ……このバカ王子がッ!! 邪魔をするなとあれほど!」
キジカクは苛立ちを隠さずジュリオの元へ戻ってくるが、ジュリオは倒れた花瓶からこぼれた水が気になって仕方が無い。
水が廊下にぶちまけられたせいで、『水の匂い』が広がったのだが…………その水の匂いが。
「……外の土と同じだ……」
地質調査をして、汚水と産業廃棄物によって汚染されたと判明された土と同じ匂いをしていたのだ。
この建物内に長い間いると、匂いに鼻が慣れてしまいわからなかったが、花瓶が倒れ派手に水がぶちまけられた事で、ようやくわかった。
「…………どうした?」
真面目な顔をしているジュリオの様子に、キジカクも苛立ちを忘れたのか、落ち着いた声を出した。
「ねえ…………この花瓶の水って、どこから取ってるの?」
「それは当然、この王立ヒーラー休憩所の水道からだ。……悔しいが、エレシス家のお膝元の水路の水だからな。……この国のどの水よりも安全で美しいものだ」
「…………それって、まさか…………病人が飲む水も……同じなの?」
「ああ」
ジュリオはそれを聞いて青ざめた。
◇◇◇
『ジュリオさん、結論から言って、王立ヒーラー休憩所の水は、汚染されています。敷地内の土地が汚染されていたのは、その地下にある水路がそもそも汚染されていたからでしょう』
「やっぱり……」
ジュリオは総回診を終えた後、アンナとローエンと、テレビ通話で繋がっているネネカとルテミスが待つ部屋に戻る前、ネネカの勧めでローエンに取り寄せてもらっていた異世界企業製の強力な手洗い剤で手を洗った。
そして、汚染された花瓶の水を被った服をビニール袋に詰め、あからじめ用意していたジャージに着替え、なるべく清潔な格好をして部屋に入る。
これは、カトレアから習った異世界人式の医療の常識だった。
その後、ネネカとテレビ通話をして、病人の様子と水の話をしたら、この結果というわけだ。
『そこの地下の水路が汚染されているせいで、飲水自体が危険なものになっています。……ジュリオさん達は大丈夫ですか?』
「僕らは平気だよ。出前でアホほど頼んだ飲み物があるし。……それに、ここで働くヒーラー達も、忙しくて水を飲む暇もないみたいだから、持って来た飲料を飲んでたってツザクラさんが言ってたよ」
『そうですか……それなら、まだ良かったです。……治癒する側が病にかかるのは、避けたいですから』
ネネカは安堵したような顔をした後、
『私もそっちに行けりゃ良いのですが……』
と悔しそうな顔をしている。
「取り敢えず、まずは水路調査だよね……。……アトリーチェさんに連絡してみる」
ジュリオはネネカと通話をしたまま、アトリーチェに連絡を取った。
「アトリーチェさん? いきなりごめんなさい。ジュリオだけど。……うん。貴女に頼みたい事があるんだ。…………大司教として、僕にこの水路を調査する命令を出してくれる? …………大司教命令なら、ツザクラさんだって文句は言えないだろうし。……だいたい、調査対象は『エレシス家の水路』だからね。……ツザクラさんは手出しできないよ、きっと」
ジュリオは、アトリーチェに連絡を取ったあと、今度はクラップタウンの地元の飲んだくれの清掃業者に連絡を取った。
その清掃業者とは、以前ジュリオが毒沼のドブさらいをした時、仲良くなった業者さんである。
「……追放されてからの初仕事も、毒沼のドブさらいから始まったんだよなあ……」
ジュリオがクラップタウンと言うクソ民度の町に受け入れられたのも、毒沼を浄化する事で、近くにあるクラップタウンの水源を守った事がきっかけだった。
今思えば、非常に懐かしい。
あの時も、カトレアとローエンの人脈と、アンナの弓や自分のチート性能などの総合力で戦ったのだ。
今度も、きっとその総合力で戦う事になるのだろう。
「僕の心臓……早く復帰してくれないかな……」
チート性能を思うように扱えないジュリオの顔が曇っているのを、アンナは心配そうに見ていたのだった……。




