153.裏切り者
ルトリの手紙にあった北フォーネの安宿『ルルディ』に辿り着いたジュリオ一同は、割れた窓ガラスから室内を見て、絶句した。
「この金髪……まさか」
窓枠に巻き付いて引き千切れた様な短い金髪を見た瞬間、ローエンが口元を手で抑えてその場にうずくまる。青ざめ顔は今にも吐きそうと言わんばかりだ。
一方、アンナは酷く冷静な顔をして、
「中、入るぞ」
と割れた窓から鍵を開け、荒れに荒れて血塗れの部屋へと入っていった。
「中から鍵開けるから、みんなはドアから入って来な。窓はガラスがあって危ないし」
アンナは感情を殺したような顔で室内を見回している。
その姿は、ジュリオがアナモタズ襲撃事件に巻き込まれたあの夜に見た、猟師アンナとしての姿だった。
◇◇◇
室内には争った形跡があり、壁よりも床に血が飛び散っていた。
「この匂い……この前嗅いだアナモタズのメスのフェロモンと一緒だ」
「……て事は……やっぱり……フロントが……」
そもそも、ルトリを大富豪ハーフエルフのカリオテ殺人事件の容疑者として指名手配したのは、ヨラバー・タイジュが最初だった。
ルテミス達の話では、ヒナシもそれに付いては知らなかったという。
つまり、ヨラバー・タイジュ……フロントが自社の新聞を使ってルトリを追い詰めたということになる。
「現場の状況を見るに……フロントは窓ガラスを叩き割って部屋に侵入した……って事だよね」
ジュリオも、アンナと最初に出会った惨劇の夜を思い出しつつ、無理矢理冷静でいようと踏ん張った。
何故なら。
「ローエン……大丈夫……?」
いつも能天気で明るい筈のローエンが、青ざめた顔で口元を抑えているからだ。
ローエンは便利屋ではあり、凄惨な現場どころか死体などもしょっちゅう見ているだろうが、今回は違う。
長い付き合いのある友人の、しかも自身の初恋の女性が相手となると、窓枠に絡みついて引き千切れた金髪を見ただけで心が崩壊するのも無理は無いだろう。
「ローエン、僕と聞き込みに行こうか。……両隣の部屋や、宿の管理人さんに話を聞きに行こう? ……ね?」
ジュリオは、返事すら出来ないローエンを連れて外へ出た。
◇◇◇
ローエンを落ち着かせた後、ジュリオは両隣の部屋や管理人に聞き込みをしたが、北フォーネの安宿と言う事もあり、利用者や管理人は血飛沫飛び交う修羅場には慣れているようだった。
北フォーネと言う地区は、聖ペルセフォネ王国の国境付近にある地域なので、金持ちが多く住んでいる地域もあれば、今いる場所のように密入国や密輸入等のヤバイ行為を生業とするならず者が多い。
最低最悪のクソ民度を誇る掃き溜めの町クラップタウンとは、また別のヤバさを誇る地域である。
利用者や管理人は、『窓ガラスが叩き割られ謎の破裂音が二発したが、地元のならず者の抗争かと思って巻き込まれたく無かった』と口を揃えて言うが、そりゃそうかとジュリオも思う。
聞き込みを終えて部屋へと戻ると、ローエンは青ざめた顔のまま
「悪かったな……。男のくせに情けねえ」
と無理矢理笑っていた。
そんな笑顔を見るのが辛く、ジュリオは
「この世で最も男らしい行為って知ってる? それは女装して男に抱かれてメスイキする事だよ。だって男にしか出来ないから」
と冗談を言った。
ローエンは力無く笑っており、ジュリオはそんなローエンの肩を抱いて「怖いのはみんな同じだよ」と聞かせた。
「……ありがとな」
ローエンは引きつった笑顔をしながら、ジュリオへ笑って答えた。
そんな時である。
「おい……みんな……こっち来てくれ」
アンナが落ち着き過ぎている声で、一同をドレッサーの元へ呼び寄せた。
◇◇◇
ドレッサーの台には、血で汚れた紙に『私を狩ろうとせん者よ。猟犬の命が惜しければ、慟哭の森の休憩所跡地へ来い。決着をつけよう』と書いてある。
「現場の状況から見て、猟犬ってルトリさんって事だよね……。って事は……『私を狩ろうとせん者』って……カツラギ先生……ってこと……」
ルトリはフロントに襲撃されこの場から連れ去られた。
しかも、安宿の利用者達は『謎の破裂音が二発した』と言ってた事から、フロントが銃でルトリを撃った事が分かる。
氷魔法の使い手であるルトリが負けたという事を考えると、両足を撃たれたと考えてもおかしくないだろう。
「カツラギ先生の部屋に、ヘアリーやアディルさんと三人で写ってる写真があったもんね……。ルトリさんの手紙通り、やっぱりカツラギ先生は、フロントを殺すつもりなんだ……」
ルトリの手紙では、カツラギ先生の復讐を止めようとするルトリの心情が痛い程伝わってきた。
「慟哭の森の休憩所跡地……か」
「どしたのアンナ」
「あそこはな。今じゃ有名な廃墟なんだけどさ。……十年前にアナモタズの事故が合ったとかで……閉鎖されたんだよ。……その被害者や、細かい情報は全部聖ペルセフォネ王国側が管理しててわからなくてさ……。ほら、ヒーラー休憩所ってのは、ペルセフォネ教の建物を使うだろ? だから、ペルセフォネ教……つまり聖ペルセフォネ王国のお膝元って事さ」
「それってまさか……アディルさんの事件現場なんじゃ」
ジュリオは、アディルの事件の概要を思い出した。
ヘアリーは確か、アディルは魔物に関する知識や経験が豊富で、アナモタズに遭遇して食い殺されるようなミスはしないと話していた。
しかし、アディルは慟哭の森の調査中にアナモタズに食い殺されてしまったのだ。
これはつまり。
「フロントはアディルさんを殺した後……その死体をアナモタズに食べさせて証拠隠滅をした……」
ジュリオは、大富豪ハーフエルフのカリオテ殺人事件の真相と、アディルの事件を合わせて考えた。
「慟哭の森で調査中の新聞記事が、ヒーラー休憩所で夜を明かしてもおかしくないよね……。それに、聖ペルセフォネ王国のお膝元のヒーラー休憩所で起きた事件なら……何とでも言いようがあるし……」
慟哭の森内にあるヒーラー休憩所ならば、人を殺しても死体をアナモタズに食わせたら、それは事故として隠し通せてしまう。
後は、ヒーラー休憩所を国が閉めてしまえば問題が無い。
ジュリオがアホなりに考えている最中、ネネカが
「取り敢えず、一度休憩しましょうか。……ローエンさんもヤバい感じですし。……ほら、ルテミスさん! 一番年下なんですから! 全員分のジュース買ってきてください! そこのコンビニで!」
とルテミスの腰に手を回して元気良くパシリに出した。
ルテミスはネネカの目を見た後、
「またパシリかよ……。俺これでも元王子だぞ」
とヤレヤレしながら部屋から出て行く。
ジュリオは、最近ルテミスって良くパシられるよなあ〜と呑気に思いつつ、ローエンの顔色を見ると『確かにこれは何か飲ませた方が良いか』と思った。
ネネカは気が効くなあと、ジュリオは呑気な感想を懐きながらも、そんなネネカが浮かべている顔が、追放される前にまだ聖女として振る舞っていた頃の笑顔である事に違和感を覚えていた。
◇◇◇
パシられたルテミスは両手にジュースを抱えて帰って来た。
この光景、最近よく見るなあとジュリオはパシリ役となった弟の汗をハンカチで拭ってやる。
「ありがとうルテミス。今度は僕も手伝うよ。王子兄弟でパシられようよ」
「…………ありがとうございます。……ところで兄上……先程マリーリカさんから連絡があったのですが、ご存知ですか? 何やら……大事な話したいから、他の方に聞かれない場所で、二人っきりで喋りたいと仰っていましたよ」
「え? マリーリカが……? スマホの電源は入れてるから、着信が来たらわかる筈なのに……」
マリーリカには、危険な事があったらすぐに連絡してくれと伝えてある。
それなのに、ジュリオをすっ飛ばしてルテミスに連絡をすると言うのは、一体何なのだろうか。
「……もしかして、愛の告白では? ……危険な状況ですし、不安が後押ししたのだと思いますよ」
ルテミスは完璧な笑顔を浮かべている。
一切の隙の無い完璧な笑顔は、やはり追放前に完璧な王子様として振る舞っていた頃のルテミスの顔だ。
「あの、ルテミス……」
「ほら、早く答えて上げてください。……ローエンが元気を出してキレ散らかす前に、早く、マリーリカさんのお話を聞いて差し上げては?」
「え、ええ……うん」
ジュリオは戸惑いながらも、マリーリカからの連絡ならば答えなければと、カトレアの護衛を任せたマリーリカへの心配しながら部屋の外へ出た。
まさか、本当にこの状況で愛の告白なのか。
ジュリオは、部屋に話し声が聞こえないよう、安宿の入り口付近へ移動し、マリーリカへ連絡をした。
◇◇◇
「え!? マリーリカ何も連絡してないの!?」
『うん……今カトレアさんと二人でゲームしてた……』
マリーリカへ連絡をしたが、当のマリーリカは特に何の問題も無くカトレアと呑気にゲームをしていたそうだ。
しかも、ルテミスへ連絡をしたかと聞いたら『ううん。何も』と答えたではないか。
凄まじく嫌な予感がして、ジュリオはマリーリカとの連絡をすぐに切り上げ現場に戻った。
すると、そこにはルテミスとネネカはおらず、缶ジュースを持ったまま床に倒れているアンナとローエンがいた。
しかも、アンナは鯖裂きナイフをパクられている。
「みんな! 起きて!!!」
ジュリオはすぐに眠りの解除魔法を施し、二人を叩き起こした。
「ルテミス……ネネカ…………まさか」
ルテミスは、ネネカ共にフロントを殺しに行ったのではないか。
可奈子と言うルテミスの妹を、殺めただけでなく無惨な姿にしたフロントへ、復讐しに行ったのでは。
その際に、邪魔なアンナとローエンを眠らせ、眠りの状態異常が効かないジュリオを無理矢理外へ出したのだろう。
「そんな……」
ジュリオは震える手でルテミスへ連絡を取ろうとスマホの画面を触るが、当然ながら一切の応答は無かった。
◇◇◇
ジュリオがアンナとローエンを叩き起こしている頃、ルテミスとネネカは夜の海を舟で渡っていた。
「香弥子……お前の薬の効き目はエグいな。……さすが、元製薬技術者」
ルテミスは、腰ポケットに入った薬の小瓶を見ながら呟いた。
その薬とは、先程ネネカから腰に手を回された際に、ポケットへねじ込まれたヤツである。
注射器と共にねじこまれた薬の小瓶は、缶ジュースに薬を仕込めと言わんばかりの代物だった。
「そりゃどうも。……まあ、眠るだけですから、特に体にも害はありませんよ。…………それでも、ジュリオさんには一切無効ですけど」
「兄上の状態異常耐性はまさにチートだからな。……さすがはデメテル様の息子だ」
ルテミスはネネカを香弥子と呼んでいる。
香弥子とは、異世界人であるネネカの本名であった。
「……竜一郎さん。フロントをぶっ殺した後は、どこの国へ飛びます?」
ネネカ――香弥子も、ルテミスを彼の本名である竜一郎と呼んでいる。
「そうだなァ……取り敢えず、ドワーフの国にでも飛ぶか。……クラップタウンには、もう帰れねェもんな。香弥子は、どっか行きたい国でもあんのか」
「いえ、別に。……竜一郎さんとなら、どこへでも」
お互いを本名で呼び合う二人は、それぞれ覚悟の決まった目をしていた。
恐ろしい程に爽やかで、澄んだ目をしている。
「俺と一緒に地獄へ落ちてくれるってのか」
「ええ。汚え裏切り者同士、仲良く地獄巡りでもしましょうや」
「……そいつは良かな。……でもよ、香弥子。……俺は、この世界と異世界人の世界のどっちの地獄に落ちるんだろうな」
「さあ? まあ、どこへでもお供しますよ? 竜一郎さん」
ルテミスとネネカ――――竜一郎と香弥子は、北フォーネの港から船に乗って、慟哭の森へ向かっている。
スマホにはジュリオとアンナとローエンからの鬼電が入っているが、そんなの構いやしない。
「待っててくれ、可奈子。もうすぐ……お前の仇は取るからな」
竜一郎は、眠らせたアンナからパクった鯖裂きナイフを手に、夜の海を見ている。
月も星も無い、どろりとした重たい雲が流れる夜空を写す海は、まるで魔物のようだ。
「兄上……すまねェな……」
竜一郎は、自分へ鬼電をかけてくるジュリオからの通知が写るスマホの画面を見る。
そして、香弥子と一緒にスマホを夜の海に投げ捨てたのだった。
竜一郎の手には、自分の本当の父親である、この世界に最初に召喚された異世界人の花房隼三郎がアンナに与えた鯖裂きナイフが握られている。
その鯖裂きナイフに刻まれた、花房家の家紋が鈍く輝いていた。




