125.まだまだ暑いぞ!クラップタウン!
こんな筈じゃなかったと、目の前に横たわる男の死体が目で語っている。
それはこちらのセリフです、と顔面蒼白で返り血まみれのフロントは思う。
その両手には、この聖ペルセフォネ王国で禁じられた『金属製の武器』が握られていた。
「こんな筈じゃ……。ふざけるな……ふざけるな……」
青ざめて返り血まみれのフロントは、慟哭の森前のターミナルから少し外れた場所にある、如何にも金持ちが建てていそうな木造の豪華な邸宅の中で『金属製の武器』を持ちながら、ガタガタと震えている。
豪華な柱時計を見ると、今の時刻は深夜だとわかった。
この時間なら、人も寝静まっているだろうし、『金属製の武器』による『音』も聞かれていないと安心だ。
それに、この邸宅は人里離れた静かな場所にある。
人に『音』を聞かれるというのは、まず無いだろう。
しかも、例え『音』を聞かれていたからとはいえ、その『音』が聖ペルセフォネ王国に存在しない筈の『金属製の武器』によるものとわかる奴は誰もいない。
『異世界人なら気付くかもしれない』が、異世界人の話をペルセフォネ人警察がまともに聞くことはないだろう。
「魔力ゼロの身体強化型のハーフエルフは……これだから……」
目の前で胸から血を出し横たわる男の死体は、フロントと同じ片耳だけが尖っており、その容姿は異様に若々しい。
「どうにかしないと……。ったく面倒臭い……」
フロントは震えながら、今さっき死んだハーフエルフの男の豪華な邸宅を物色した。
木造の壁にはシカやアナモタズの首の剥製が大量に飾られており、この男の狩猟趣味が良く分かる。
暖炉の上にはハーフエルフ財団にめっちゃ金を落とした証である、名誉会員として贈呈された金の表彰盾が飾られていた。
「財団なんて……クソほどどうでもいい癖に……。ハーフエルフである事を忘れ、名誉ペルセフォネ人に成り腐ったお前が……」
フロントは憎らしげに地面に横たわる死んだ男を見るが、今はこの男へ憎しみを抱いている場合では無いと気づき、すぐにこの死体を処理しなければと頭を働かせた。
フロントはハーフエルフとして、魔力にも身体強化にも恵まれなかった。
しかし、恐ろしい程に効率的で冷酷な頭脳を、フロントは持っている。
「はあ……またこの手を使うのか……」
フロントはタバコを吸うと、一呼吸置いて落ち着いた。
「まあ、狩猟趣味の大富豪には、相応しい死に様でしょうね……」
フロントはタバコを吸い終わると、邸宅を出て、慟哭の森へと消えて行った。
◇◇◇
呑気な昼下りだ。
ジュリオとアンナは慟哭の森にて、黒いオーラ――呪い食いの症状を持つアナモタズを駆除していた。
アンナはいつもの服装だが、ジュリオはジャージ姿である。
それは、慟哭の森へアンナとアナモタズ駆除に行くなら、汚れても良い格好が一番だと思ったからだ。
「カース・ブレイク!」
ジュリオは片手から生魔力を放ち、アナモタズの黒いオーラを祓った。
後は、攻撃が通るようになったアナモタズを、アンナが黒い大弓で駆除してくれればミッション・コンプリートである。
『カース・ブレイク』の魔法に吹っ飛ばされ、苦しげに呻くヒグマに似た魔物――アナモタズは、腹に穴が空いており、そこから臓物がダラダラと溢れていた。
そんなとんでもない状態も、呪い食いによるものなのかとジュリオは恐ろしくなった。
「ジュリオ! 早く戻って来い!」
アンナに言われ、ジュリオは考え事してる場合じゃないや! と急いでアンナの後ろに隠れようとした……。
その時である!
アナモタズの腹から零れ出た血に足を滑らせ、ジュリオは派手に転んでしまった。
「ふぎゃっ!」
ジュリオはとてもドン臭い男である。
いくら黒いオーラのアナモタズを祓う作業に慣れたとはいえ、まだまだ油断大敵なのだ。
そんなジュリオ目掛けて、黒いオーラが祓われたアナモタズが突進して来る。
あれ、これヤバくね?
とジュリオの思考が停止した瞬間、アンナがすぐに矢を放った。
パンッ……と風を切る音が聞こえたと思えば、矢はアナモタズの眉間を見事ぶち抜いている。
アナモタズは絶命しながら、転けたジュリオに覆い被さるようにして地面に倒れてしまう。
「うわぁぁああああっ!!!」
瞬間、ジュリオの体にとんでもなく重い物がおっ被さってきてしまい、衝撃やら圧力や、息苦しさやら血生臭さやらでわけが分からなくなる。
瞬時にアンナがアナモタズの死体を蹴り飛ばしてくれたおかげで大事には至らなかったが、それでもジュリオはアナモタズの臓物と血塗れになり、完全に放心状態だった。
「何で……? ねえ、何で? 僕って……チート性能最強ヒーラー……なんだよね……? 何で……僕は血と臓物まみれになってるの……? 何で……人を治癒してチヤホヤされるみたいな状況にならないの……? どうして……僕は血と臓物にまみれてるの……?」
「……そんだけ口が回るなら大丈夫そうだな」
ジュリオは地面に座り込んだまま、ボケーッとした顔でひたすら「どうして?」と呟きながら、自分の体にかかった臓物を指で摘んで地面に放っている。
アンナもジュリオの手伝いをしてくれた。
「ほんと……何で……? ねえ……」
「女神ペルセフォネがクソビッチでクソ女だからじゃねえの?」
「女神ペルセフォネ……いつか会ったらぶん殴ってやる……」
ジュリオは今にも泣きそうな声で臓物を払うと、その臓物から何かが零れ出た事に気付いた。
「……? 何これ……?」
地面にコロコロと転がった血まみれの小さな丸い何かが鈍く光っており、ジュリオはそれを手に取った。
服でその物体の血による汚れを拭き取り、手の平に乗せる。
その物体は、鈍く輝く事から金属だとわかった。
潰れて丸っこくなったような、歪な金属片である。
「ねえ、アンナ……これもさ、ドブさらいした時と同じで、異世界人企業が不法投棄された物をアナモタズが食べちゃった的な展開……なのかなあ」
ジュリオは、毒沼のドブさらいをした事を思い出す。
毒沼の中心で完全に腐っていたアナモタズの腹から、異世界人企業による産業廃棄物の不法投棄の証拠を見つけた時の事だ。
あの時は、不法投棄関連の事をクラップタウン役所に務める安全課課長のルトリに任せ、ジュリオ達は目の前の毒沼の浄化に当たったのだが、今回もそんな感じなのだろうか?
「不法投棄された産業廃棄物に、ハーフエルフ財団の大富豪ねえ……随分グルメなヤツだな、このアナモタズは」
アンナはジュリオの手の平に転がる、謎の金属片を見ながら、呆れたように呟いた。
◇◇◇
ジュリオの職場のヒーラー休憩所は、まだ国に占拠されたままだ。
どうやら、血気盛んで暴れん坊な兵士達に、ヒーラー達が怯んでしまい、現場は混乱を極めているらしい。
このヒーラー達と言うのは、王立ヒーラー学院を卒業しためっちゃ優秀なエリート達であり、その大半は女性である。
それは、ヒーラー職というのが元々女性人口が多いからであった。
しかし、名門学院を卒業したてのご令嬢達に、ならず者と対して変わらないような兵士の治癒をさせるのには無理があるだろう。
ジュリオの予想通り、ヒーラー休憩所の現場は、命に関わる大怪我を負った精神的不安とアナモタズへの敗北による屈辱と、多くの同僚を亡くした悲しみに支配された兵士達が、色々と問題を起こしてヒーラー令嬢達を困らせているようだった。
「……僕も手伝いに行けたらなあ……」
ジュリオは臨時職場のバー『ギャラガー』にて、いつもの白い服を着た姿で、カウンター席に座っている。あの後、さすがにシャワーを浴びたいと家に帰り着替えたのだ。
その隣には血で汚れたアンナもおり、二人はバーテンダーの夫婦から出された殆どジュースな安酒を飲む。
そんな二人へ、カトレアが近づい来た。
「アンナ、ジュリオくん……。ご苦労だった。……ありがとう」
「カトレアさん……」
「しかし物騒な事故だったね……。ハーフエルフ財団の大富豪が、狩猟中にアナモタズに食われた……なんてさ」
ジュリオ達にハーフエルフの大富豪を食殺したアナモタズ駆除を任命したカトレアは、バー『ギャラガー』に駆け込んできた怪我人の治癒をしながら、二人へ礼を言った。
そんな時である。
汚えバー『ギャラガー』に場違いな、綺麗なお姉さん――ルトリが現れた。
「ジュリちゃん、アンナちゃん、ごめんなさいね、遅くなって……。企業の産業廃棄物の不法投棄の書類探してて……。しかも、走って来たらヒール割れちゃって……」
ルトリは走って来たと言う割には息一つ乱していないし、汗もかいていない。
きっと、凄く体力があるんだろうな〜と、ジュリオは能天気に思った。
「ヒール割れたんか。見せてみ?」
アンナは自分が座っていた席にルトリを座らせると、足元に跪いてルトリの靴のヒールの状態を見た。
「一応……応急処置をしとくから……後でローエンのとこで修理してくれや」
アンナは上着のポケットから工具セットを取り出すと、ルトリの靴の割れたヒールを接着剤や小さなハンマーなどを使って修理をしていく。
弓だけじゃなく靴のヒールも修理出来るんだなあと、ジュリオはアンナの器用さに驚いた。
「そうだわ、ジュリちゃん。……その、例の金属片ってのを見せてくれる?」
ルトリに言われ、ジュリオはジッパー袋に入れた金属片をルトリに渡し、状況を説明した。
◇◇◇
状況を説明した後、ルトリは「仕事があるから、ローちゃんのとこで靴直してもらって役所に帰るわ。ご報告ありがとうね」と笑って、バー『ギャラガー』を後にした。
もう少しここでゆっくりしても……とジュリオは慌ただしいルトリを心配するが、公務員の仕事がそれほど忙しいのだろうと納得する。
ルトリがローエンの元へ靴を直しに行った、その直後である。
店の外からトンカントンカンキュイーンと言うやかましい音が無くなったのと同時に、Tシャツにジャージのズボン姿のルテミスとネネカが、金槌と電動工具を持って、フラフラの汗まみれになりながら店の中へ入って来た。
「このクソ暑い中で肉体労働かよ……。落ちぶれたもんだな……俺達も……」
「私……片腕義手なんすけど……そこら辺融通効かせてくれませんかね……」
ルテミスとネネカの元王子と聖女コンビは、ともにTシャツの袖を肩までまくり、首にタオルをかけていると言うザ・肉体労働な姿で、店のソファー席にだらりと寝転んだ。
そんな二人にバーテンダーの姉ちゃんは、
「だったらその義手電動工具に改造してもらって。ウチの店の壁元通りにするまでは、例え元王子でも隻眼隻腕の聖女でも関係無く、クソ猛暑だろうがコキ使うからね」
と二人にペットボトルのスポーツドリンクを差し出した。
ルテミスとネネカはそのスポーツドリンクをガブ飲みした後、同じタイミングでテーブルに突っ伏した。
仲いいなこの二人……とジュリオは思う。
「大丈夫? 二人とも」
ジュリオとアンナの各々が、ルテミスとネネカの隣に座って肉体労働後の二人をメニュー表で扇いでいる。
「何で……アンナさんは血まみれなんですか……」
ぐったりしたルテミスは、血まみれのアンナに疑問を投げかけた。
「さっき、アナモタズの駆除の要請が出てさ。それ」
「なるほど……。ご苦労様です……」
「あんたもね」
アンナはルテミスの伊達眼鏡を抜き取ると、工具セットから柔らかい磨き布を取り出し、汗で汚れた伊達眼鏡を拭き始めた。
「ルテミスまた伊達眼鏡かけてるの? もう必要無いでしょ」
「それが……長年の癖で……無いと落ち着かなくて……」
「なるほどね……」
ルテミスの素顔は涼し気だがどこか幼げでもある。
異世界人の顔は年の割に幼い雰囲気があると、ジュリオは、ルテミスとネネカの顔を見て思う。
「……ルテミスは汗まみれで壁の修理に、僕はアナモタズの血と内蔵まみれか……。聖ペルセフォネ王国の王子も地に堕ちたね」
「……何でこんな事に」
ルテミスはペットボトルのスポーツドリンクをガブ飲みして、ソファー席の背もたれに寄りかかってぐったりとしている。
その向かいに座るネネカも、スポーツドリンクをガブ飲みした後、
「酒を……」
と言うが、ルテミスから
「こんな時に酒飲むなよ、脱水症状になりてェのかお前は」
と一蹴されてしまう。
ジュリオは、この地に堕ちたルテミスとネネカをメニュー表で扇ぎながら、この二人と仲良くなれた嬉しさを堪えきれず、自然にニコニコとしてしまうのだった。




