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116.忘れてた!!!

幼い頃の記憶だ。



竜一郎の記憶にある母――ハルは、聖ペルセフォネ王国を鬼畜の国だと忌み嫌っていた。



だから、鬼畜の国の王であるランダーも、ハルにとっては所詮鬼畜の民でしかなかったのだ。





「良かですか? 竜一郎さん。……いつか、いつか私達の故郷に、隼三郎さんと一緒に帰れる日が来ます。だから……今は、あの鬼畜共に従うふりばして、耐え忍ぶ日々を送りましょう」





夕食には少し遅い夜に、竜一郎はハルに連れられ、訛りが混じった言葉でこんな事を言われながら、聖ペルセフォネ王国の王城にある厨房へ来ていた。





「鬼畜共と食卓ば囲むなんて、こっちから願い下げです。……自決した方が良か」





ハルは自分達異世界人を差別する、ペルセフォネ人の王族達を鬼畜と蔑みながら、憎らしそうな顔で料理をしていた。



自分達異世界人は、ペルセフォネ人と一緒に食事をする事が出来ない。


理由は単純だ。



ペルセフォネ人の王族達は、突如現れ国王ランダーの寵愛を受ける事となった自分達異世界人の母子を、殺したい程忌み嫌っていたからだ。



元々、ペルセフォネ人の王族は異世界人へ強烈な差別意識がある。


それに加え、数年前にいきなりこの地へ召喚されたハルは、毒薬により苦しむランダーをチート性能な治癒魔法で癒やしたため、ランダーから溺愛されていた。



差別階級ド底辺のぽっと出の異世界人が、チート能力のお蔭で国王の寵愛を受けたとなると、そりゃ国王の気を引く事に執心していた他の王族からは、死ぬほど嫌がられるだろう。



まだ四歳の竜一郎は、年齢のわりに聡明な頭脳で、この国での自分達の立場を察していた。





「誰が、鬼畜の施しなんか受けるか」





怒りに満ちた声を出す母を、幼い竜一郎は黙って見上げていた。



竜一郎は、この時間が何よりも嫌だった。



他の王族のクソガキから『ここはお前らの国じゃない。帰れチート猿共』と苛められる時間よりも、母がぶつぶつと怒りの言葉を発しながら料理を作っている時間の方が、何よりも苦しかったのだ。



竜一郎は調理中のハルの邪魔にならない場所へ移動し、空腹とクソガキ達から蹴られ殴られ怪我をした手足の痛みを、一人で我慢していた。



この国は自分達の国じゃない。


だから、こんな扱いを受けても仕方ない。



幼い竜一郎は、自分に立ち塞がる理不尽を運命だと受け入れ、我慢するしか出来なかった。





「下向き咲けよ、百合の花……。百合の花は下を向くから美しい……」





竜一郎は、ハルの口癖を小声で呟く。




下向き咲けよ、百合の花。

百合の花は下を向くから美しい。




この言葉の意味は、自分達よりも幸せな連中を見てもキリがなく、ただ腹立つだけなので、自分達よりも下の存在を見ながら我慢する事こそ美徳である……と言う事だ。



ハルは言っていた。

百合の花は下を向いて咲くからこそ、美しいのだと。



自身の美しさをひけらかす、いけ好かない毒々しい真っ黄色の汚らしい薔薇など、ただ下品なだけなのだと。


ハルは聖ペルセフォネ王国の国花である、ペルセフォネ・ビューティーと言う黄色い薔薇を忌み嫌っていた。



しかし、幼い竜一郎は百合の花など見た事がない。


下を向いて咲く陰気臭い花よりも、ペルセフォネ・ビューティーの方が綺麗だと思う。



そんな事、ハルには言えなかったけど。





「……」





竜一郎は子供らしくない重いため息をつく。


そんな時だ。





「きみ、どうしたの?」


「え」





明るい声で話しかけられ、竜一郎は勢い良く振り向いた。



自分に話しかけて来たその人物を見た瞬間、何かが強烈に心臓を鷲掴みにしたのを、今でも覚えている。



緩やかな金髪に、長い睫毛に縁取られた若草色の瞳。

その人物は、竜一郎が見た事の無いほどの『美少女』だった。





「あの、えっと」





竜一郎はそんな美少女に戸惑うが、美少女は竜一郎の腕や足の傷を見るなり、泣き出しそうな顔をした。





「酷い怪我……待っててね。すぐ治すから」


「治すって……どうやって」





美少女は聞き慣れない言葉を唱えると、その白く美しい手から暖かな淡い光を発し、竜一郎の怪我をあっと言う間に治してゆく。



そんな意味不明な芸当に、竜一郎はビビって後退ってしまう。





「ひっ!?」





治癒魔法を受ける事に慣れていない竜一郎は、驚きのあまり声を上げてしまう。



すると、料理中のハルが飛んできて、竜一郎を勢い良く抱きすくめながら、その美少女を殺すような目で睨んだ。





「竜一郎さんに何ばしたとねッ!? こん鬼畜共がッ!!」


「え、え……? きち、く? 何それ……」





美少女はハルの剣幕に怯えてしまい、今にも泣きそうな顔になってしまう。



竜一郎はすぐに母へ説明をした。





「違います母上! この子は、私の怪我を治してくださいました! だから、そんな目で見るのは……やめてください」


「え!? あ、ああ……そうなの! ごめんなさいね……怖がらせてしまって……」





ハルはこの美少女が自分の息子に危害を加えたのでは無いと知り、元の優しい顔に戻った。





「貴女、どやんしたとです? こやん時間に……」


「お腹空いたから……」


「……みんなと一緒に、ご飯食べとらんと?」


「……うん。ジュリが来ると、みんな嫌な顔するから」




自身をジュリと呼んだ美少女は、悲しそうに笑う。



そんなジュリを前に、ハルもすっかり母親の顔になり、



「良かったら、一緒にご飯食べていかんね」



と優しい声で話しかけた。



そう言われたジュリはにっこり笑うと元気良く頷く。




これが、アホ兄貴エンジュリオスとの初めての出会いだった。





◇◇◇





竜一郎は幼い頃を思い出した事で、頭の整理がついたのか、ルテミスと言う名前が自分を指すものだと思い出す。



ジュリオに連れられボロい家に戻り、リビングのソファーに座る。



すると、ジュリオから冷たいお茶を出されたので、ゆっくりと口をつけた。


冷たい感触が喉を通り、気が落ち着く。





「……えっと、りゅ、竜一郎……さん」





まだ泣き痕が残る顔を不安げにして、ジュリオは竜一郎へお伺いを立てるように名前を呼んできた。



まるで自分に縋るようなジュリオの仕草に、心臓が止まりそうになる。





「いや……良いです……。……ルテミスで良いですから。……大丈夫。……自分が何者なのか、意識ははっきりしています」





竜一郎――――ルテミスは、自分を何と呼べば良いのかわからず戸惑うジュリオへ微笑む。


作り笑いではない、自然な笑顔だった。





「…………何から、お話したら良いでしょうか……」


「ごめん、正直……色々あり過ぎて、いつも以上に頭が鈍ってるから、もう、何を言われてもわからないや」





無理もないと思う。


ジュリオは朝の四時に叩き起こされ、弟が国民とテレビ屋達からボコボコにされるのを目撃し、弟の友達は片腕と片目を無くしているのだ。


しかも、連れて帰った弟は、全てに絶望して腹をカッ捌いて死のうとした。



そんな現場を見たジュリオはもう、限界なのだろう。





「すみませんでした……」


「謝らなくて良いよ。……それより、生きててくれて本当に良かった。……ほんとうに……」





ジュリオはルテミスを抱き寄せて、頭を撫でながら「生きててくれてありがとう」と涙声を出している。





「兄上、もう止してください。子供では無いのですから」





だって、貴方の体を『弟として』抱きかえせないから。



ルテミスはジュリオの肩を掴んで、そっと引き剥がした。



改めて見るジュリオの顔はやはり美しく、本当に自分と似ていない。





「俺はもう、大丈夫ですから」 





ジュリオの肩を掴んでいた手をそっと離し、いつもの癖で伊達眼鏡のブリッジを押し上げようとしたが、伊達眼鏡はアナモタズとの死闘で失った事を思い出す。



そんなルテミスの行動をジュリオは笑った。

楽しそうに笑う姿は、やはり綺麗だ。





「眼鏡無い顔、久しぶりに見たよ。あれ、伊達眼鏡でしょ?」


「……バレてましたか。……真面目そうに見えるから、便利なんですよ。……顔が隠せて安心するんです。隠し事の多い、人生でしたから」





隠し事と言えば、まだある。



幼い頃のジュリオは、どこからどう見ても美少女だった。


だから、一目惚れしてもおかしくないのだと、思っていた。



しかし、ジュリオが美少女ではなく美少年だとわかっても、その心は恐ろしい程に変わらなかった。



母に自分の気持ちを話してみたら、母は血相を変えて取り乱し、『こやんか鬼畜の国におるけん、竜一郎さんは病気になったとやろね』と大泣きしたのだ。


その時、『ああ、自分の気持ちは隠した方が良いのだろう』と察し、翌日には『病気は治った』と歪んだ笑顔で母を安心させた。





「でも、……ルテミスが話したいなら、何でも話してね。……血も親も、何もかもが違ってても、僕は君の兄貴だから……。ルテミスは嫌かもしれないけど」





ジュリオは笑ってルテミスの頬を撫でた。





「ええ。嫌ですよ、あんたみたいなアホが兄貴なんて」





ルテミスは笑って、ジュリオの手を優しく払いのけた。





「あんたが兄貴で、苦労しますよ」





この言葉の意味も、あんたはわからないのだろうな。



ルテミスは内心でそう呟くと、ソファーの背もたれに寄りかかって目を閉じた。




そんな時である。



ドアが乱暴にドンドンと叩かれ、ルテミスとジュリオは一斉に玄関の方を向いた。



お互い黙ったまま『まさか、チャンネル・マユツバーが……?』と警戒し、ジュリオはバットを、ルテミスは台所の包丁を手に取り、ゆっくりと玄関へ向かう。



すると、ドアの向こうから聞こえたのは。





「あたしだぁ〜。アンナだ……。今……帰ったぞ……」


「あ! アンナ!!! 忘れてた!! ごめん!!!!」





ジュリオはすぐにドアを開けると、アンナがフラフラになりながら倒れ込んできた。





「アンナごめん……ほんと忘れてた……。留置所からどうやって帰ってきたの……?」


「徒歩……」




玄関に倒れ込んでぐったりするアンナへ、ジュリオは急いで台所から冷たいお茶を持って来た。



一方ルテミスは、どうしたら良いのかわからず、取り敢えずアンナを抱き起こす。


『捲土重来』と書かれたクソTシャツは汗で湿っており、留置所からの帰還が想像を絶する事がわかる。





「大丈夫ですか!? アンナさん!! 意識ありますか!?」


「み、水……」





ルテミスの腕に抱かれながら、アンナはジュリオから受け取ったペットボトルのお茶を勢い良く飲み干し、「死ぬ……」と呟く。





「留置所からここまでって……かなりの距離ですよね……? 大丈夫でしたか……?」


「ああ……。ヒナシぶん殴って留置所送りになった後さ……、すぐに釈放されたは良いんだけど……、金無いし、スマホの電源切れてたから……歩くしかねえって思って……」


「すみません……俺のせいで……ご迷惑を……」





今回の騒動に、アンナは何も関係が無いのだ。



無関係のアンナを留置所に行かせるような事になってしまい、ルテミスは心の底から落ち込んだ声を出す。





「いいよ。……あたしがあのオッサンを殴りたかっただけ。…………そんな事よりもさ、ルテミスさんが無事で良かったよ…………。汚え家だけど、暫く泊まっていきな」


「……ありがとうございます……」





アンナは力なくそう言うと、フラフラと歩きながら「もう、限界…………風呂入ってくる……」と呟いく。



その小柄な背中を見送りながら、ルテミスはアンナへ『何故、貴女が親父の鯖裂きナイフを持っていたのか』と聞きたい気持ちでいっぱいだった。


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