115.あんた、誰?
「ここは……どこだ?」
ルテミスはゆっくりと目を開き、シミだらけの天井を見た。
ベッドから起き上がり、部屋を見回す。随分質素な部屋だ。装飾品や豪華さとは無縁の、素朴な室内である。
「……俺は……」
まだぼんやりしている頭で状況を整理する。
軍の統率が取れず、ケサガケ討伐が失敗した。
ネネカが片腕と片目を失い、死にかけた。
そのネネカを背負って慟哭の森を徹夜で歩き、兄の友人の猟師に助けられた。
しかし、慟哭の森前のターミナルに着くと、保守派とジュリオの信者とヒナシ達テレビ屋に追い詰められた。
そこをジュリオとその友人達が助けに来てくれた。
そして、自分はネネカの片腕と片目が復活しない事を知り、そのまま気絶した。
「ここは……まさか。兄上の部屋なのか」
ルテミスはふらつきながらベッドから降りて、簡素な机の上に積まれた本を見る。
ヒーラーの教本や問題集や詠唱辞典やハーフエルフの身体に関する本が山積みになっており、ああこりゃ兄上の部屋だと確信した。
「ネネカは……」
自分の居場所がわかり一安心すると、じゃあネネカはどこなのだと思い、部屋を出た。
ボロく狭い廊下に出ると、少し離れた部屋から話し声が聞こえる。
脳天気な男性――兄の声と、落ち着いた老女の声だ。
ルテミスは話し声の方へと移動し、部屋のドアを開ける。
そこには、ジュリオと黒衣の老女と、ベッドで眠るネネカがいた。
「ネネカ……ッ!!」
「ルテミス!? 起きたの!? 良かった……」
ルテミスはネネカの元へ駆け寄り、崩れ落ちる様にその場に座り込む。
ネネカの顔色は決して良いとは言えないが、少なくとも死からは大きく遠ざかった事がわかる。
「ネネカ……」
ルテミスはまるで母に縋る幼子の様な顔で、静かに眠るネネカの頬を撫でた。
手に伝わる温かさに安心する。
「ルテミス。……ネネカの片手に固定されてた冥杖ペルセフォネは取り外したよ。……邪魔だったから、今は僕の部屋のクローゼットにしまってある」
国宝の杖を『邪魔だったからしまった』と宣う兄の図太さが懐かしい。
「あの、……そちらの方は」
ルテミスは見知らぬ黒衣の老女について尋ねると、ジュリオは優しく笑って紹介してくれた。
「この方はカトレアさん。……僕の職場のボスで……先生」
「ああ……あの時言ってた……」
ジュリオとの口論を思い出す。
確かあの時、ジュリオは『カトレアさんっていう先生』と言っていた。
「あの……俺…………違う、私は……はなふさ……じゃない。…………私は、ルテミス……。ルテミス・ティターン・ペルセフォネです……。初めまして……カトレア殿……」
頭の中がグチャグチャなまま、ルテミスはカトレアに名を名乗った。
「ルテミスくん、だね。王子様にこの呼び方は失礼だろうけど、今はこう呼ぶよ。アタシはカトレア。…………キミの友達のネネカちゃんは今は寝てるけど、きっと数日後には目を覚ますよ」
カトレアはルテミスの肩を抱き、「無事で良かった」と言ってくれる。
「それじゃ、ルテミスくんも目を覚ました事だし、アタシは帰るよ。帰って一眠りしたら、職場のシフト組まなきゃ」
「あ、すみませんカトレアさん! 僕、まだシフト希望表出せてないや……」
「良いよ。明後日までに時間がある時メッセージくれる?」
カトレアはヘラヘラと笑って「見送りは良いよ」と言い帰って行った。
「ルテミスも下のリビングにいなよ。僕も、ネネカの目の傷に薬塗って包帯替えたら降りるから」
「……」
「どうしたの、ルテミス」
「……なんで、なんで、こんなところに」
ルテミスはジュリオの話に反応せず、部屋の一点を見つめている。
そこにはアンナの黒い大弓があり、その傍には大きな鯖裂きナイフが置かれていた。
その鯖裂きナイフの鞘を見ながら、ルテミスは「なんで」と呟いている。
「ルテミス!? 大丈夫!? ここはアンナの部屋なんだけど、まさか何か違法の武器でもあったとか……?」
「え…………あ、ああ……いいえ。特には……。……リビング……ですね、わかりました……」
ルテミスはボケーッとした頭で頷くと、言う通りにリビングへ降りた。
◇◇◇
脱ぎ捨てられたパーカーやら、何かの武器のパーツやら、封の開けられていない郵便物が散らかる、やけに生活感のあるリビングへと降りる。
今はとにかく情報が欲しいと考え、ソファーに座りテレビを付けた。
すると、ニュースでは『ルテミス殿下! 遂に全国民から見放される!』と言う見出しのもと、ケサガケ討伐を失敗した事と、自分の性対象が同性だと言う事と、敬虔なペルセフォネ教の信者であると国民に嘘を付いていたことがバレにバレまくり、支持率は歴代次期国王史上初の『ゼロ』を叩き出していた。
笑えない新記録達成である。
チャンネルを変えても、自分が国民から石や泥を投げられ土下座している映像しか流れていない。
しかし、その中で国王ランダーが緊急会見を開いている番組が見つかり、ルテミスは食い入る様に見た。
「父上……」
テレビで見る父親の顔は、ジュリオに歳を取らせて骨格を逞しくしたらこんな感じになるんだろうな……と言う迫力のある美形顔をしていた。
「やっぱ……似てねえな……」
ルテミスは、自分のザ・異世界人な顔と、テレビに映る父親の顔が全く似てない事に、些かの寂しさを覚えた。
父親である国王ランダー…………ランディオス・ティターン・ペルセフォネは、ジュリオに対して毛ほどの関心すら示さなかったものの、ルテミスの事は溺愛していた。
だからこそ、ルテミスには国王ランダーを父として慕う気持ちがある。
しかし、母親である異世界人のハルは、それを決して許さなかったが。
「……」
ルテミスはランダーの記者会見を見ながら、様子を見守った。
記者会見中のランダーは、チャンネル・マユツバーの報道陣から詰問されながらも、ケサガケ討伐が何故失敗したのかと言う原因説明と、ケサガケは倒せずともその子供である巨大なアナモタズは駆除したので、これで慟哭の森前のターミナルの安全も保たれた……と、上手い具合に場を切り抜けている。
しかし。
いざ、ルテミスが隠していた秘密の話題になると、ランダーは『我が息子が病を抱えていたとは知らなかった。適切な治療を受けさせる』と言い、報道陣から『同性を愛する事は病気ではありませんよ!』とぶっ叩かれてしまう。
ランダーは頭の良い男だ。しかし、その頭はとても固く頑強である。
いくら頭が良くとも…根っからのペルセフォネ人では、物事の理解も限界があるのだろう。
頭では納得出来る。……出来るのだが。
「病気……か」
自分を構成するものを慕っていた父親に否定され、ルテミスは静かに笑った。
笑うしかなかった。
「もう、終わったな」
ペルセフォネ王家に、自分の居場所はもう無いだろう。
今まで必死に守ってきた物が、ガラガラと崩れてただのゴミになってゆく気がする。
ああ、こりゃもう、駄目だ。
「疲れた……」
身体に酷い疲れが襲い、ルテミスはテレビを消した。
そんな時である。
ネネカの傷の手当を終えたであろうジュリオが、あくび混じりに階段から降りてきた。
「ぁ〜眠い…………。今何時……? ってもう夕方の四時!? 朝の四時からずっと起きっぱなしだよ。こりゃ眠いわけだね」
美青年と書かれたクソTシャツから、追放された時に着ていた程々に上品な白い服を着ているジュリオは、ルテミスの隣に無遠慮に座った。
そして、こちらの顔を覗き込み、
「具合、どう?」
と聞いてくる。
「お蔭様で……。兄上、ありがとうございました」
「お礼を言われる事じゃないよ。兄弟だもん。……随分酷い目にあったね」
ジュリオはルテミスの顔や腕や足に傷跡が無いか確認している。
「ねえ、腕は? 大丈夫? 折れてたとこ、痛い?」
「ああ……そう言えば……折れてましたね……。今は痛みはありません」
「そっか。良かった……。折れた腕なら治せて良かったよ」
ジュリオはルテミスの折れていた筈の腕を触って痛みが無いか確認した後、いきなりルテミスを抱き寄せて、苦しいくらいに腕を回して来た。
「良かった……。生きてて……良かった」
ジュリオに抱きしめられるが、ルテミスはその身体を抱き返す事が色んな意味で出来ない。
震えた手でその背に触れようとしたが、力なくその手を下ろしたのだった。
「色々と考える事はあると思うんだけど、今は……生きてて良かったって事だけ、考えてくれる?」
「……善処します」
生きてて良かったと兄は言うが、正直ルテミス自身はそう思えなかった。
これから先の事と、カンマリーを死なせた事と、ネネカに一生癒えない怪我を負わせた事を思うと、正直死んで逃げて楽になる方が魅力的だと思った。
死んで……逃げる……か。
ルテミスはふと思う。
死んだら、カンマリーに…………妹に会えるだろうか。
「ルテミス……? 大丈夫? ガラス玉みたいな目してるけど……」
ルテミスの涼しく切れ長の目は、目の前を向いてはいるが、何も写してはいない。
心ここにあらずと言うか、全てが崩壊して機能停止していると言った様子だ。
「大丈夫ですよ。大丈夫。……これからの事を考えていただけですから」
「……ほんと? ほんとに、大丈夫?」
ジュリオは必死にルテミスへ呼びかけるが、ルテミスは『兄上が何か喋ってるな〜』くらいにしか思えない。
しかし、顔には十七年間作り続けた王子様の微笑みを貼り付けているため、一見大丈夫そうに見えた。
「ネネカの様子を……見に行っても……良いですか? 少し、二人に……してください……。今後の事を……考えたいので」
「え? うん。……良いよ。…………それなら、僕はコンビニで何か買ってくるよ。すぐ近所で五分もしないから待っててね。……何か食べたら、元気出るよ、きっと! コンビニスイーツはいい仕事するからねえ~!!」
「ええ……わかりました」
必死にルテミスを元気づけようと、いつものバカ王子スマイルをしたジュリオはコンビニへ向かった。
ルテミスは顔に貼り付けた王子様の微笑みで兄を見送る。
そして、すっと表情を無くした。
フラフラとネネカが眠る部屋へと着くと、ルテミスは眠るネネカに
「すまなかった……俺のせいだ」
と声をかけた。
「だけど、もうチャンネル・マユツバーはお前を追い回したりしない。……これが、俺がお前に出来る最大の償いだ。…………大丈夫。ネネカはもう、自由だ」
ルテミスはネネカの頬を撫でると、その手でアンナの鯖裂きナイフを取った。
「こんなところで、家紋を見るとは……運命ってやつか?」
ルテミスは実家の家紋が刻まれたアンナの鯖裂きナイフを手に、裏口から家を出た。
ボロい家の裏にある中庭で、ルテミスは正座をしてボロボロになった仕立の良いシャツを脱ぐ。
ひゅう、と心地良い潮風が吹き抜け、そう言えばクラップタウンは海に面した町だったと思い出す。
「なんにも、なれなかった」
ルテミスはボソリと呟く。
「ペルセフォネ人にも、異世界人にも。…………兄上の弟にも、あいつの兄貴にも……」
この鯖裂きナイフを見た瞬間、ルテミスの本当の父親から『腹を切れ』と言われた気がした。
母親であるハルと、本当の父親が生まれた世界では、人は償い切れない罪を背負うと、腹をカッ捌いて死ぬのだという。
桜の花の様にぱっと散るような、潔く美しい死だと、母親は誇らしげに言っていた。
しかし、ルテミスは桜など見た事は無い。
そもそも、そんなもん知らんのだ。
「腹を切ったら、俺は異世界人になれるのか」
家紋が刻まれた鞘から鯖裂きナイフを抜き出す。
刃がぎらりときらめく。
この鋭さを見ると、数回しか会えなかった本当の父親の瞳を思い出す。
とても怖そうなオッサンだった。
「カンマリー…………。……いや、可奈子……すまなかったな……」
ルテミスは思う。
夕暮れの空がキレイだと。
そんなキレイな空を見ていると、腹を切るのも怖くない。
ああ、これで。
妹に……可奈子に会える。
◇◇◇
頭がぼーっとする。ぐちゃぐちゃでわけがかわらない。
目を開くと、目の前には自分に覆い被さり泣き叫んでいる、とても美しい人がいた。
日が沈み切る前の美しい夕空を背に、大粒の涙を若草色の瞳から零すその人を見て、なんて綺麗なのだろうとボケーッと思う。
その血まみれの手には骨の塊のような気色悪い杖が握られていた。
誰だっけ。この人。
「ルテミス!? 良かったっ、目を覚ました……! 良かった……良かった……」
ルテミス? 誰だそれ。
聞いたことはあるような。
目の前の美しい金髪の男性は、ボロボロと泣きながら血まみれの手で自分の頬を撫でている。
「僕がわかる……? 僕は、エンジュリオス・リリオンメディチ・ペルセフォネ……君の、兄貴だよ」
なんだ、兄なのか。残念だ。
一目惚れだったのに。
「ねえ、ルテミス……何で……こんな事したの……? 答えろよ……」
だからルテミスって誰なんだよ。
知らねえよ、そんなヤツ。
ぐちゃぐちゃな頭の中で考えるが、そんな奴は知らん。
「……ルテミス……。自分の事、わかる? ……君の母親は、ハルさん。……そして、父親は、ランディオス・ティターン・ペルセフォネ……この国の、王だ」
「は? 誰です……それ」
ハルが母親なのは知っているが、父親だと言うランなんとかと言う人は知らない。
そんな舌噛みそうな名前のヤツなんぞ、知らん。
「俺の父親は……花房隼三郎。……異世界人です」
ハナフサジュンザブロウ、と口にすると心がすっと軽くなった。
そうだ。俺の親父はハナフサジュンザブロウ。この世界に召喚されてきた異世界人だ。
そして。
「は? ルテミス何言って……!? ていうか、ハナフサ……ジュンザブロウって、あの、ヘアリーが言ってた……あの」
「だから……ルテミスなんて、知りませんって…………だって、俺は……」
俺の名は――――。
この名前を母親と父親と妹以外に言うのは、初めてな気がした。
「俺は、花房竜一郎。…………花房隼三郎と、花房ハルの息子で、…………花房可奈子の、兄だ」




