感謝? 私にしてもいいのかしら?
文字通り黙々と、ただただ足を動かし続ける私とアーサー。
――――上りはじめて数分後。
私は早々に、自分の行動を後悔しはじめた。
(こんなに段数が多かったかしら? 五歳児の体力のなさをなめていたわ)
まさかこれほど疲れるなんて、思ってもみなかったのだ。
とはいえ、ここにきて、やめるなんていう選択肢はありえない。
そんなことをしたならば、アーサーからそれ見たことかと馬鹿にされてしまうからだ。
私は負けず嫌いだし、それよりなにより、馬鹿に馬鹿にされるのが我慢できない!
(……ああ。私もやっぱり五歳児だったのね。意地の張り方が“お子さま”だわ)
自分で自分に呆れながらも、足を動かす。
私を突き動かすのは、背後からトントンと追ってくるアーサーの足音だ。
絶対、絶対、抜かれたくない!
(なによ! ちっとも足取りが乱れないじゃない! お坊ちゃん王子のくせに体力ありすぎじゃない!)
私はアーサーへの怒りを原動力に、ひたすら階段を上り続けた。
そして、ついに最上階へと辿り着く。
「――――う、わぁ~!」
思わず感嘆の声が出た。
遮るもののない解放されたテラスから、晴れ渡った青空と白い雲、そして眼下に広がる王都とその先の大地が見える。
元々王城は小高い丘の上に建てられているため、目の前に広がる展望は天空から見下ろしたと言っても遜色ないものだった。
強めの風が吹いて、サアーッと髪が揺れる。
ハァ~、ハァ~と、いまだ整わぬ息が風に散った。
自分の視線よりほんの少し高いだけの空を、白い鳥が飛んでいく。
手を伸ばせば掴めるような近さに、胸が躍った。
「…………すごい」
背後でアーサーが、呟く。
非常に不本意だが、まったくの同感だ。
この圧巻の光景は『すごい』以外の言葉では言い表せない。
――――これが、見たかった。
これから五年後。
今よりもっとひねくれた高慢令嬢になった私が、涙がこぼれるほどに感動した景色。
この風景ならば、狭い世界で己れの価値観のみが正しいと信じているクソ真面目王子の鼻っ柱をへし折ってくれるだろう。
いつの間にか私の横に並んでいたアーサーは、視線を窓の外に固定したまま、フラフラと引かれるようにテラスの先端に近寄った。
しかも、何故か私の手を握りしめているため、一緒に引っ張られる羽目になる。
「…………本当に、すごい。こんな景色があったのだな」
もう一度、そう言った。
転落防止の手すりを握りながら、私はフフンと笑う。
なお、非常に不本意ながら、私の片手は手すりごと、アーサーに握りこまれていた。
階段を上りきったばかりで高い体温が、手すりの冷たさを和らげてくれるので、まあ我慢しよう。
「ね、ここにきてよかったでしょう? 大人の言いつけに従ってばかりでは、絶対見られない景色ですわよ」
いい子ちゃんでいるばかりでは、世の中わからぬことが多いのだ。
それを知って、ついでに悪童にでもなってくれれば、私の目的は達成だ。
まあ、そんなにうまくはいかないだろうが、まだまだ先は長いから一石を投じられればよしとしよう。
「ああ……感謝する。こんなに近くにこれほどの絶景があったのに、俺は気づけぬままだった。お前は、“無謀”で“考えなし”の“我儘令嬢”かと思ったが、そればかりでもなかったのだな」
おい! ちょっと待て!
なんだ、その評価は?
お前に言われる筋合いはない!
私は、ギロリとアーサーを睨みつけた。
将来私を処刑する予定の正義面の王子さまは、ニヤリと笑う。
「婚約者なんてろくでもないと思っていたけれど、……今日、お前と会えてよかった。お前の自由な行動は、俺に“世界の広さを教えてくれた”」
嬉しそうに告げられた言葉を聞いて――――私は、思わず笑ってしまった。
『――――彼女は、私に世界の広さを教えてくれた――――』
このセリフを、私は聞いたことがあるからだ。
この先の未来で聖女の肩を抱いた王子が、私に向かってそう話すのだ。
このときの『彼女』は、間違いなく聖女。
そして王子は、それゆえに聖女に傾倒し、彼女を愛するようになっていった。
(……馬鹿なの? そんな大切なセリフを、今、この“私”に言うなんて)
こみ上げる笑いを我慢するのが、たいへんだ。
「ハハ! 変な顔」
表情が崩れないよう顔面に力を入れる私を見て、アーサーは笑った。
脳天気にもほどがある。
「余計なお世話ですわ」
「アハハハハ――――」
この後、やたらと上機嫌なアーサーと少し不機嫌な私は、姿が見えないことに驚いた侍従や騎士たちが慌てて探しにくるまで、この景色を見つめていた。
騎士たちに、逃げられないようにとバッチリ周囲を固められて戻った私たちが、国王夫妻や私の両親に、こってり叱られてしまったのは、まあ仕方ない。
ただ、アーサーは、今回の事件を私のせいだとは、言わなかった。
告げ口せずに黙って怒られていたのである。
そこだけは見直してもいいかと、ほんの少し思った私だった。




