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 最近、朝はたいてい、雨に打たれる夢を見る。

 雪に変なことを言われたせいかな、と考えることもあるけれど、本当は僕自身の問題だと、分かっているのだ。

 自分のことを改めて見つめるのは怖い。だから、出来ることなら雪のせいにしておきたかった。

 駄目な人間になっても、不思議と学校へ行くことに抵抗はなかった。でも、近頃は少しだけ状況が違う。学校までの道のりが、僕の気を重くする。学校に近づいているという感覚が、どうしても鬱々とした感情を引き起こすようになった。

 色々な人からの奇異の目も、野球部からの蔑んだ目も、名島雪という存在も、重たい荷物になっていた。あんな奴が、と思われることは気にならないけれど、裏でこそこそやられると、小さい心がじくじくと疼いてしまう。

 昇降口で上履きに履き替え、階段を上がっていく。すれ違った野球部の集団が、こそこそと何かを言っているようだった。振り返って目でも合ったら大変だから、僕は下を向いて、急いで階段を上がった。

 今年は空梅雨かもしれない、とテレビで気象予報士が言っていた。確かにあまり雨が降らない。今日も青空が所々に見えていて、雨の気配は、少なくとも今のところはない。クラスの運動部の連中が、今日も湿気の多い中で練習が大変だ、と愚痴をこぼしていた。

 携帯がわずかに震えた。雪からの連絡だ。昼頃から雨が降る予定だから、今日は屋上前の踊り場に集合、とメッセージが来ていた。

 ふむ、実は雨が降るらしい。それならば、運動部の連中も一安心だろう。了解、と返事をしてから、トイレのために席を立った。

 そろそろ、ホームルームの予鈴が鳴りそうな時間。まだ教室に辿り着いていない遅刻すれすれの連中が、廊下を猛烈なスピードで駆け抜けていく。それらに紛れて、真新しい鞄を肩にかけた深川が、のんびりと階段を上ってくるのが見えた。

「急いだらどうだい?」

 声をかけると、相手は豆乳パックのストローから口を離して笑った。

「お前こそ、やけにゆっくりと便所に行くじゃないか」

「僕はもう荷物も置いてあるからね。遅刻とは違うのさ」

 すると深川はパックの中身を飲み干して、トイレについてきた。

「いいのかい?」

「成績優秀者は、多少の過ちも許してもらえるんだよ。お前の彼女と一緒さ」

「雪も? あんまり目立ってないって言ってたけど?」

「馬鹿言え。結構、堂々と授業をさぼるし、出ても眠っているらしいぞ」

 トイレから出ると、ちょうど担任の先生と鉢合わせた。彼は深川の有様を見て溜息をつき、先に行け、と言ってくれた。

 深川は気のよさそうな笑みを浮かべて礼を言い、僕は金魚の糞みたいに、その背中を追いかけた。

僕が追いつくと、彼は歩く速度を緩めて身を寄せてきた。

「あいつ、さぼる時は屋上にいるぞ」

 どうしてそんなことを知っているのだろう。だが、それを聞く暇はなかった。

 彼はいつも、僕より一歩も二歩も先にいる。僕の考えは全てお見通しで、僕から彼は眩しすぎて見えない。何故だろうか。僕と彼の人間ランキングがあまりにも違い過ぎるからだろうか。

 何だか、その場にいたくなかった。

 ホームルームのあとに、けだるそうに出ていく担任に気分が悪いと告げると、じゃあ保健室か、どこか人目につかないところに行くんだな、と言われた。それでいいのだろうか。視線だけで訴えるが、担任は鼻歌を歌いながら行ってしまった。

 経緯はどうあれ、許可が出たのなら話は早い。僕は急ぎ足で、いつもの屋上へと向かった。

 一時間目が始まると、それまであった浮ついたざわつきが嘘のように治まり、学校中がピリピリとした雰囲気になる。遠くから体育をしている生徒の、威勢の良い声が聞こえてきていた。

 屋上への階段を上る。湿気の強い空気が肌に絡みつく。

 それは屋上に出ても変わらない。吹き付けた風も生ぬるく、汗を誘発するような、湿り気を帯びた温風だった。

 分厚い灰色の雲は、まるで生き物みたいに風に揺られて濃淡を入れ替えていた。

 そんな中で、雪はいつもの色あせた水色のベンチに腰を下ろし、風に煽られた髪の毛を抑えながら、じっと遠くのほうに目をすがめていた。

「雪」

「……高橋君?」

 振り返った雪は眉をハの字に曲げていた。

「何をしているの?」

「君を探しに来たんだ。僕に嘘をついていたみたいだから」

 雪はますます眉根を寄せ、ベンチを叩いた。いつも通り端に座る。学校の外――駅前の様子がよく見える。

「君、毎日ここにいたのか?」

「いいところでしょ?」

「……今は時期が悪いね。今日は昼から雨なんだろう?」

「だから、お昼からは授業に出るわ。あなたは?」

「二時間目から出るよ。僕は君や深川ほど、頭がよくないんだ」

「それがいいわ。あんまりさぼりすぎると、あとが辛くなるから」

 雪は、いつもみたいに小さく、くつくつとした笑い声をあげる。

 どこか投げやりで、人を寄せ付けない笑いだ。表情も声も、ちゃんと笑っているはずなのに、何故そう感じるのだろうか。世の中は分からないことばかりだ。

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