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「じゃ、また来るといい」
雪の父親は玄関のポーチまで僕を見送ってくれた。豪奢な屋敷に住む幾人もの使用人さんも出てきて、頭を下げてくれる。車止めのところに真っ白の外国車が停まっていたが、雪は若い運転手に何事かを言い、僕の手を取ってそのまま歩き出した。
まんまると太った月が白銀の光を大地に降り注いでいる。その中を歩く雪の横顔はいつもよりも白く、僕はたぶん、困った顔をしていたと思う。
「今日は無理に付き合わせて悪かったわね」
「そんなことないよ、楽しかった」
「……あなたもあっち側なのね」
「心外そうな顔をしないでくれよ。残念ながら、僕は普通の人間だ。君の周りの人が言うように、僕もあの人のことが好きだと思うよ」
雪は口をへの字に曲げて、僕の手を振り払った。でも今度は、僕が固く握られた彼女の手を取った。
「いい人だ。僕みたいなのでも大人と同じ扱いをしてくれる」
「私もするわ」
「うん。だから、僕は君と恋人でいられるんだね」
雪と目が合った。彼女は半眼だったけど、段々とその大きな目を真ん丸に見開いて、口をぽかんと開けた。
「ねえ、馬鹿なこと、考えてない?」
「別れよう」
雪が足を止めた。
手が離れて、僕も立ち止まる。
一歩前に行ったまま、振り返った。雪は手をぎゅっと握りしめ、僕の靴の爪先をじっと見ているようだった。
その日は、星の瞬く音さえ聞こえそうなほど、静かな日だった。
冴え冴えとした月の明かりが、舞台照明のように僕達を照らしていたはずだったが、その時の雪の顔を思い出すことができない。
僕は手を伸ばした。雪はまだ拳を握り締めたまま、じっと足元を見ている。
「前にさ、言ったよね? 私にももっと迷惑をかけてって」
「それは――」
「分かってる。僕達の約束が続いていた場合の話だ。身勝手なことを言っていると思う。でも、許してほしい」
「あなたも、あっちへ行ってしまうの?」
僕は伸ばしていた手を見、今度は大きく手を開いた。雪が握りやすいように。手を取りやすいように。
「僕、本当は君が思っているような人間じゃないんだ。我儘で、自分勝手で、好きなように生きてきた。口では真逆のことを言っていたかもしれないけどね。だから、今も、自分の意思に従っているんだよ――」
息を吸った。それは夜の澄んだ、新しい世界の空気だった。
「――君との関係はもうおしまいにしたいんだ」
顔を上げた雪の大きな目には涙がたまり、月明りに照らされてキラキラと光って見えた。
「雪……」
僕の言葉に雪はもどかしげに口を開き、けれども首を振って踵を返した。
夜のさなかに僕は取り残され、彼女の背中が闇に紛れて消えてしまうまで、ただその場に立ち尽くした。




