表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/49

33

 その瞬間、投げる直前だった僕の体が強張り、指先から放たれたボールは先輩の鼻先をかすめた。

 がしゃんと大きな音を立て、転がったボールを、先輩はじっと見つめていた。僕も新しいボールを取ることが出来ず、ただただ、呆然と見ているばかりだった。

「幸太郎……本当に俺は凄い奴か?」

 先輩は僕に背を向けている。にもかかわらず、威圧感がある。閑静な住宅街で突然響いた打球の音に、近くの家の人達が、窓を開けて見ているようだった。それでも通報されたりしないのは、ここが地元の小学生達にとっては聖地で、僕達が昔、そこで遊んで若者だと分かるからだろうか。

 そんな自己逃避をしたところで、状況は何一つ変わらないのに、でも、先輩にかける言葉だけは全く出てこなかった。

「なあ、名島のこと、聞いてもいいか?」

「答えられる範囲なら」

 先輩は青一色の空を見上げ、再びバットを構えた。

「あいつ、今、元気か?」

「ええ、元気すぎるくらいです」

「ちゃんと、家に帰っているか?」

「毎日送り届けていますからね」

「親父さんとはどうだ?」

 ドキリとした。とっさに言葉が詰まり、僕は思わずむせた。その父親と今週末に会う予定なんですよ、とは口が裂けても言えそうにない。でも、先輩は小さな竜巻のような砂ぼこりを踏みつぶし、バットを肩に担いだ。

「パイナップルだぞ、幸太郎」

「へ?」

「持っていくなら缶詰のパイナップルにしておけ。俺達のセンスじゃ、それが一番無難だ」

 馬鹿にされているのか? と思いはしたけど、確かにお土産を買うとしたら駅前のデパートで安いクッキー缶なんぞを選んでいたことだろう。

 雪の父親に渡すには、あまりに貧相だ。ある日突然、僕の家にやってきた深川が、おさかなソーセージとちくわを土産にするようなものだ。週末のチャーハンの具材になるしか使い道がない。

「参考にしますよ」

「フルーツ缶詰もあり……だっ!」

 強烈な打球にフェンスが波打つ。好き勝手に打ってくれるものだ。

 でも、何だか心地いい。打たれる悔しさよりも、この人とまた野球をしているのだという感慨のほうが勝っている。

 その一方で、一回でいいから空振りを取ってみたいと、少し無謀なことを考え始めてもいた。

 その瞬刻の心変わりを察して、先輩はにやりと笑った。

「来いよ。打たれっぱなしじゃ、気が済まないだろ?」

 汗をぬぐう。制服が汗を吸って重たくなっている。肩を回す。長袖が邪魔だった。僕は力なく笑って、先輩にかぶりを振った。

 先輩は、ほんの僅かにだが鼻の頭にしわを寄せ、口を尖らせた。

「昔と変わったな」

「いつまでも同じではいられませんよ」

「でも、目はそう言ってないぞ」

「そこからじゃ見えないでしょ?」

「それはどうかな」

 最後の一球も、強烈な音と共に外野に転がり、その日は完全敗北に終わった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ