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その瞬間、投げる直前だった僕の体が強張り、指先から放たれたボールは先輩の鼻先をかすめた。
がしゃんと大きな音を立て、転がったボールを、先輩はじっと見つめていた。僕も新しいボールを取ることが出来ず、ただただ、呆然と見ているばかりだった。
「幸太郎……本当に俺は凄い奴か?」
先輩は僕に背を向けている。にもかかわらず、威圧感がある。閑静な住宅街で突然響いた打球の音に、近くの家の人達が、窓を開けて見ているようだった。それでも通報されたりしないのは、ここが地元の小学生達にとっては聖地で、僕達が昔、そこで遊んで若者だと分かるからだろうか。
そんな自己逃避をしたところで、状況は何一つ変わらないのに、でも、先輩にかける言葉だけは全く出てこなかった。
「なあ、名島のこと、聞いてもいいか?」
「答えられる範囲なら」
先輩は青一色の空を見上げ、再びバットを構えた。
「あいつ、今、元気か?」
「ええ、元気すぎるくらいです」
「ちゃんと、家に帰っているか?」
「毎日送り届けていますからね」
「親父さんとはどうだ?」
ドキリとした。とっさに言葉が詰まり、僕は思わずむせた。その父親と今週末に会う予定なんですよ、とは口が裂けても言えそうにない。でも、先輩は小さな竜巻のような砂ぼこりを踏みつぶし、バットを肩に担いだ。
「パイナップルだぞ、幸太郎」
「へ?」
「持っていくなら缶詰のパイナップルにしておけ。俺達のセンスじゃ、それが一番無難だ」
馬鹿にされているのか? と思いはしたけど、確かにお土産を買うとしたら駅前のデパートで安いクッキー缶なんぞを選んでいたことだろう。
雪の父親に渡すには、あまりに貧相だ。ある日突然、僕の家にやってきた深川が、おさかなソーセージとちくわを土産にするようなものだ。週末のチャーハンの具材になるしか使い道がない。
「参考にしますよ」
「フルーツ缶詰もあり……だっ!」
強烈な打球にフェンスが波打つ。好き勝手に打ってくれるものだ。
でも、何だか心地いい。打たれる悔しさよりも、この人とまた野球をしているのだという感慨のほうが勝っている。
その一方で、一回でいいから空振りを取ってみたいと、少し無謀なことを考え始めてもいた。
その瞬刻の心変わりを察して、先輩はにやりと笑った。
「来いよ。打たれっぱなしじゃ、気が済まないだろ?」
汗をぬぐう。制服が汗を吸って重たくなっている。肩を回す。長袖が邪魔だった。僕は力なく笑って、先輩にかぶりを振った。
先輩は、ほんの僅かにだが鼻の頭にしわを寄せ、口を尖らせた。
「昔と変わったな」
「いつまでも同じではいられませんよ」
「でも、目はそう言ってないぞ」
「そこからじゃ見えないでしょ?」
「それはどうかな」
最後の一球も、強烈な音と共に外野に転がり、その日は完全敗北に終わった。




