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 祭りを数日後に控え、僕達の会う時間は増えていった。

「だからね、僕が君のハンカチを拾ったことにすればいいんじゃない?」

「渡されても、そうですか、としか思えないわよ」

「じゃあ、学生証は?」

 かぶりを振った雪の体が上下する。雪が突然、我が家に来たいと言ったのは、約三十分前だった。隣町のおいしいと評判のケーキ屋でお茶をしていた時のことで、僕は思わずフォークを落とした。

「まず、拾うって発想から抜け出さなきゃね」

「じゃあ、君に案はあるのかい?」

「この前言った通り――」

「家族の前じゃ即ばれだよ! 僕は打撃が苦手なんだ。それで、ピッチャーを選んだんだよ」

「え? そうなの? 誰でも打つくらいはできるんじゃないの?」

 雪の目の前にいた人が規格外だっただけで、普通の人は三割打てれば上等なのだ。僕に至っては、二割打てれば大満足で、一割も平気な始末だった。もはや野手としては失格程度の実力しかなかった。そんな人間が素振りだなんだと言ったら、家族には鼻で笑われるだろう。

 車窓から見える景色が、段々と僕の見慣れた景色へと変わっていく。見覚えのある建物が視界に入ると、胸の中に安心感が広がってくるのは何故だろう。

 電車が駅に停まり、僕達はホームに降りた。僕達の故郷は、どうしてか日に日に寂れて、平均年齢が目に見えて上がっていた。

「じゃ、これから家に向かうけど、君の家とは全く違うから、あんまり驚かないでね」

「大丈夫。小さい家も見慣れているから」

「それより大きいことを願うよ」

 だが、僅か十数分後――。

「うっそでしょ?」

 雪の素っ頓狂な声が古びた住宅街に響いた。

 二十年前に新設された道も、今となっては煤けて、アスファルトのつぎはぎだらけだ。おまけに何年か前についたガムのあとはまだら模様をなし、薄くなった椿の生け垣から、お向かいさんのくたびれた家が透けて見えた。

 そんな中で、雪はぼんやりと、築十五年の我が家を見上げていた。

「ここに何人住んでいるの?」

「え? 両親、兄と姉、僕、弟だよ」

「……地下にも空間はある?」

「地上二階建て。ガレージなし」

「隣の区画もあなたの家?」

「正真正銘ここだけが僕の家」

 雪は何度も目をこすり、目薬を差し、目をしばしばさせてから再び顔をあげた。そうして顎に手を当て、じっくり眺めてみても、僕の家は膨張しないし、僕の知らない事実が顔を出すこともない。

「残念だけどさ、ここが僕の家なんだよ」

 肩に手を置くと、雪はがっくりとうなだれた。

 ますますもって恥ずかしいのは、最近玄関のドアの鍵が軋むことだった。もう何年も使っているから、鍵穴に鍵を入れる時でさえぎしぎしと抵抗し、入ったと思うと次は回すのに苦労する。

 後ろで雪が両手を握りしめながら、そわそわと僕の手元を見ていた。たぶん雪は鍵なんか見たことがないのかもしれない。彼女の家は全て静脈で識別されるのだろう。

「ねえ、お願いだから違うといってほしいんだけど――」

「違う」

「早い」

 僕はドアを気持ち分だけ持ち上げ、鍵穴を一気に回した。ここ数か月はこれが一番すんなりと開けられる。たぶん次の数か月では、別の方法のほうが最善になっていくことだろう。

 うっすらと汗をかきながら、雪を家の中に招き入れた。雪はおっかなびっくり、小さな声で、お邪魔します、と言って、新しいダンジョンに足を踏み入れた勇者の如き慎重さで、音も出さずに玄関に立ち尽くした。

「この、木彫りの熊……」

「テレビ台から引退して、今ではここに三つ、父の部屋に二つあるよ」

「好きなの? 熊」

 僕は鮭を咥えた勇ましい熊達を制服の袖で磨いてやり、元の位置に戻した。

「特別好きって程じゃないね。でも、何故か集まってくるんだよ、この家に」

「テレビの上に置いてあったのよね」

「ブラウン管だった頃はね。確か、七つか八つくらいはあったかな。テレビから撤去されるにあたって、親戚の家に送られた奴もいるからね」

 雪は明らかに引いているようだ。まさか同じような、しかもクマの彫刻を、好き好んで七つも八つも持っている奴が、この世に存在しているとは思ってもみなかったのだろう。おまけにそれが仮初の恋人の家だというのだから、彼女の失望感と絶望感、そして世の中に対する寂寥感は計り知れない。

 とにもかくにも僕に言えることは、彼女は確かに哀れだが、この木彫りの熊は何も悪くない、ということだ。

 まったくもって、北海道に行くたびに買ってきた両親と、会社の同僚と、そして親戚達が悪い。雪にはこれ以上言うまいが、玄関に置かれている熊達は、皆、二代目か三代目だ。誰かが買ってくるたびにテレビの上に置かれ、それでもあふれるようになると、近所の人や親戚に譲渡され、さらに余るとフリーマーケット行きだった。そうして選抜されたのが、我が家に残った熊達なのである。

 まるで古代スパルタの若者のようだ。そんな無体なことを思いながらリビングへと案内する。

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