2
「僕達、付き合っているんだよね?」
あまりの状況に思わず尋ねていた。僕達の間には、オレンジ色のドレッシングがかかったサラダの小鉢がある。
フォークを二本取り出す。それを目の前の女の子に渡した。彼女はにっこりと笑って受け取り、早速、小さな口を開けてサラダをほおばり始めた。
彼女の名前は名島雪という。僕達が出会ったのは一週間前だ。かろうじて名前を知っているくらいで、彼女のことはほとんど知らない。ただ、そんなことは些末なことだ。少なくとも僕はそう思っている。
今の僕が知っていなければならない情報は、彼女の外見は麗しく、すれ違う人が三度は振り返るほどであること。それから白い喉から発せられる声は、僕の心を凪にしてくれる、癒し系の効果があること、くらいなものだ。
僕達は喫茶店にいた。艶やかなマホガニー製の机、すすけてくたびれたソファ、蝶ネクタイに白シャツの店員と、少々気取った雰囲気である。その上、芝居がかっているのは店の中だけではない。この店は、パフェが有名らしいのだ。
数日前、クラスメイトの女の子達が、恋人同士で行くには最適だ、と話しているのを聞きつけ、僕は雪を誘ったのだった。
「もちろんよ、高橋君。放課後、学校で待ち合わせをした男女が二人きりで喫茶店にやってくる。まさしく恋人同士だわ」
「そうか。でも、僕、この店はパフェが有名だって話をしなかったっけ?」
「私、恋人から聞いた話は忘れない方なのよね」
「じゃ、君は何を注文したの?」
「カレー」
僕は思わず頭を抱えた。……文字すらかぶっていないじゃないか。
まあ、言ったところで、母音はかぶっている、と返されるだろう。しかし、僕達はパフェを食べに来たんだ。カレーのカの字も、さっきは出ていなかったではないか。
「あのねえ……」
「じゃあ、高橋君。一つ教えてくれる?」
「カレーが美味しそうだったからだよ」
質問は決まり切っている。僕は溜息をつき、組んだ指の上に頭を乗せた。ちら、と窺うと、彼女はにやにやと意地悪そうな笑みを浮かべていた。
「あのね、店に入った途端、カレーの匂いが充満していたんだ。もう、パフェどころじゃないだろ?」
「ええ、ええ、そうね。そのとおりね」
「周りを見ろよ。パフェを頼んでいる奴なんか……」
さっと恋人達に視線を向けると、あろうことか、山盛りの生クリームが乗ったパフェが鎮座し、女のほうが嬉々として苺にクリームを乗せてほおばっているではないか。
「彼女達、嗅覚には従わないタイプかな?」
「誰一人としてカレーを食べている人はいないわ」
確かにカレーについてくるサラダを食べているのは僕達だけだ。あとの人達は、パフェ、あるいはパンケーキ、もしくはそれらにセットでついてくる温かい飲み物なんかを飲んでいる。ちなみに、僕達のカレーセットについてくるのはラッシーだ。
「おかしいな。もしかしたら、この匂いを感じているのは僕達だけかな?」
「すばらしい仮説ね。で、それをどう実証するの?」
「現状がまさしく証明じゃないか。彼らは誰一人として、カレーの匂いを嗅いでいないんだ。じゃなきゃこの状況を説明できないよ」
しかし、近くの席に座っていた二人組の女性達が立ち上がり、くすくすと囁きあいながら僕達の席の脇を抜けていった。
「やばいわ、この匂い」
「今日は確実にカレーだよね。あたし、ひろ君に絶対カレーにしてって言ったわ」
「あーあ、結局、あんたの一人勝ちじゃないの。結婚して、カレーまで食べやがって」
「いや、カレーぐらい作りなさいよ」
「ここで作れる女なら、今頃あんたと同じ立場だわ」
僕は目をぐるりと回した。目の前では雪が喉を鳴らして笑い、乱れのない流麗な所作で残り少なくなった千切りキャベツをフォークに乗せて、口に入れた。
「おかしいな。じゃあ、彼らはよほど我慢強いのかな」
「もう、過ちを認めたら?」
「……君も恋人なら、僕の擁護くらいしてくれてもいいんじゃないかい?」
「ふふ、過ちを正すのも恋人の役割でしょう?」
雪の挑みかかるような表情に、僕は背筋が凍る思いだった。
そういう思いをするたびに、彼女と僕は、生きている世界がかけ離れているのだな、と実感させられる。僕達は本来、人生のどの部分でも重なり合うことのない、違う世界の住人なのである。