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 雲の切れ間から帯のような陽光が差し込み、芝にまとわりついた露に反射して、極彩色の光を放っている。僕達の姿がその露の一粒一粒に映りこんでいるかと思うと、世界のどこにも隅っこなんてものは存在しないと思い知らされるようだった。

「高橋君」

 低木の前でしゃがみ込んでいた雪が振り返った。小さなゴムボールを握りしめている。

「ね、キャッチボールしましょう?」

 雪は運動神経がいい。運動部の子と同じか、それ以上に体を動かすことができる。だからキャッチボールをするのもお手の物だけど、僕は曖昧に笑って手を振った。

「僕は野球部だったんだよ?」

「私だって多少はできる」

「君より下手糞だって知られたら、明日からどんな顔をして生きていったらいいかわからなくなる」

 雪はまるで本気にしていない。女子とは思えない本格的なフォームから、指にかかった鋭い回転のボールを放たれた。それを受け止めると、雪は大きく手を広げて、顔の前で手を叩いた。

 僕の人生に汚点があるとするのなら、それは僕自身の問題だ。誰かが原因で心に傷がついたことはなく、その全てはやはり僕の責任なのだ。

 何が言いたいのかといえば、僕は雪に向かってボールを投げ返した。

 雪はボールを取り損ねて、慌てて後ろに駆けていった。

 雪がまたいいボールを投げてくる。今度は僕が取り損ねた。彼女は手先も器用らしくて、先ほどのような綺麗なバックスピンではなく、回転を変えて投げたらしかった。

「カーブよ」

「僕が打席に立っていたら、詐欺だって叫ぶと思うな」

「じゃ、今度はあなたの番」

「僕ね、肩を痛めているんだよね」

 雪が眉間にしわを寄せ、じーっと僕を見ていた。いや、まあ、嘘だ。僕は今、スライダーの握りでボールを持っている。ふわふわ、もちもちの感触は指に吸い付いて、想像以上の回転がかかることを予測させる。でも、僕はすぐにボールを握りなおした。もう野球をやめている。今更未練がましく、恋人未満、友達未満の彼女に見栄を張ったってどういうことにもなるまい。

 それから僕達はキャッチボールを楽しんだ。まるでフリスビーを追いかける犬と飼い主みたいな関係であることを除けば。

 昼休みが終わる頃には、僕達は汗みずくだった。お互いへとへとで、肩を寄せ合いながら昇降口へと戻ってきた。

 予鈴が鳴る直前だったが、ほとんどの生徒は教室にこもっているからか、一階は人影もまばらだ。そして、そのまばらな中で、ひときわ大きな体の男がいた。僕達に気づくと、冷厳な、というと厳しすぎるが、やや不機嫌そうな、僕にとっては震え上がる恐ろしい顔をしていた。

「幸太郎、見ていたぞ」

 その声は本気だ。

 思わず足が止まった。けれども、隣を歩いていた雪は敢然と歩き続け、やがて藤村先輩の脇を抜けたところで振り返った。

「いつまでそうしているつもり?」

 一礼して、藤村先輩の横を通り抜けようとする。でも、先輩は僕の腕をとった。

「腕は鈍っていないんじゃないか?」

 僕は右腕を見、それから先輩に視線をやった。そっちは利き腕だ。ぜひ、触れないでもらいたい。でも、なんのために? 僕はもう、野球をやめているのに。

 先輩も僕をじっと見ていた。

「高橋君、授業に遅れるわよ」

 僕は、先輩の薄茶色の瞳から、どうしても目が離せなくなっていた。雪が何か言っていた。彼女はいつだってそうだ。タイミングが良くて、僕にとって一番都合のいいことをしてくれる。

 耳の奥で心臓の鼓動の音が聞こえてくる。血液が頭の方へ怒涛のように流れ、頬が赤く染まっていくのが分かった。

 振り払ってしまえ。

 心はいつだって叫んでいるのに。僕の手は小刻みに震えて、利き腕に触れないでください、という一言でさえ、発することは出来ないのだ。

「幸太郎。もう一回、野球をやらないか?」

 先輩の瞳の表面で、間抜けな顔が瞬きをした。口元は引きつっていて、目は大きく見開かれている。おまけに口は半開きだ。毎日鏡で見ている顔なのに、どうしてか他人のように思えた。

 喉に空気が溜まり、肺がんで亡くなったおじいちゃんのように、ひゅうひゅうと掠れた音がしていた。

「幸太郎?」

 先輩が首をかしげる。何かを言わなければ。

 ……何を言えばいい? 

 ――断ればいい。

 ……何を? 

 ――野球をすることだ。

 先ほどの息苦しさが蘇ってきた。額にじっとりと汗をかいている。唾を飲み込もうとしても、喉が締まってどうしても飲み込めそうにない。

「先輩」

 ふわりと、柔らかな柑橘の香りが鼻腔をついた。

 それまで強固だった先輩の手から力が抜け、僕は急いで腕を引いた。目の前には滝津瀬のような黒髪。僕よりも少し低い位置で頭頂部が揺れていた。

「名島。俺は今――」

「高橋君も、私も、授業があるんです。お昼で終わる人と一緒にしないでください」

 雪の体越しに見る先輩の顔が歪んだ気がした。雪の表情は先輩の瞳には映っていない。いや、もしかしたら僕の顔だって、本当はあの薄茶色の瞳には映っていなかったのかもしれない。

「行きましょう、高橋君」

 雪は僕の左腕を取った。今度はすんなりと脇を抜けられた。階段を上がる直前、振り返ると、藤村先輩は立ち尽くしたままだった。

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