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「大丈夫だった?」
誰もいない空き教室で、僕と雪は机を間に挟んで向かい合っていた。
教室自体は何年も放置されて埃っぽい空気が溜まっていたが、僕達が使っている机と椅子はピカピカだった。事前に拭いておいてよかった、と雪が買ってきてくれたサンドイッチを見ながら、ぼんやりと思った。
「うん。だいぶ落ち着いたよ」
「それならいいけど……それにしても、想定外の質問をぶつけられたからって、過呼吸にならないでくれる?」
「ごめん。本当のことを話しちゃ駄目だって思ったら、言葉が喉に詰まっちゃったんだ」
雪は苦々しく笑うと、適当なことを言っちゃえばよかったのに、と言いながら僕の分のサンドイッチの包装紙を取ってくれた。僕は礼を言いながらそれを受け取り、中のレタスを先に食べながら雪を見た。同じ食べ物を食べているはずなのに、どうしてか、雪が食べている物は高尚に思えてしまう。
「まあ、それがあなたのいいところよね。じゃあ、今から考える?」
僕はサンドイッチを一気に食べた。ざんざん降りの音が先ほどよりも強くなっていた。
「入学式で一目惚れして、僕から声をかけたっていうのはどう?」
「あなた、そんな勇気あるの?」
「ないけど、君から惚れたっていうのは無理があるだろう?」
「どうかしら。そっちの方がスパイスが効いているんじゃない?」
「じゃあ、そうするかい?」
すると雪は、椅子の背もたれに体を預けた。
ああ、その無言の主張が僕の心をずたずたに引き裂くんだな。
しばらく、雨が窓を叩く音だけが僕達の間にはあった。藤村先輩の時とは違って、息苦しさはない。
どれくらい経ったろうか。雨に濡れる窓を見ながら、雪が静かに言った。
「……私の誕生日はね、何故か知らないんだけれど、雪の日が多いのよね」
僕は煤けた天井に、冬の鈍色の空を思い浮かべた。
「その日も朝から曇り空だった。その上、誕生日だからって父が盛大にパーティーをやろうとしていた」
「素敵な話じゃないか」
「私はね、小さくってもいいから、家族でお祝いがしたかったの。でも、父は違った。いつも大勢の大人を呼んで、私はそっちのけでお酒を飲んでいる。私はオムライスが食べたかったのに、出てくるのはお酒のつまみだった」
僕は目をつむった。
僕の父の晩酌といえば卵焼き、大根おろし、ホッケ、モヤシ炒め、鳥チャーシュー。貧相な想像力だ。それがお偉方の席に置かれていたとしたら、日本は滅亡するんじゃないだろうか。たぶん、円盤型の小さなクラッカーに、あれこれと具材をのせて食べていたんだろう。でも、そこにオムライスがなかったのは、察することが出来そうだった。
何だか、胃がむかむかする。僕の両親も大概酷いけど、それでも誕生日には好きな物が食卓に並ぶ。
自分の誕生日に、自分を見ていない父親の姿を目の当たりにするのは、どんな気分なんだろうか。自分以外の誰かのために飾り付けられる会場を想像すると、胸が締め付けられた。
「その日もね、朝から霧雨だった。父が文句を言っていたわ。お客さんの足元が汚れるってね。私、それを聞いてどうしようもなく嫌になったの。ドレスも、靴も、全部ね。それで家から飛び出して、夢中で走ったわ。家から何人も使用人さんが出てきて追いかけてきた」
「大脱走みたいだね」
「それ、ちょっと違う気がするけどね。でも、もう一日中逃げてね。日も暮れかけて、霧雨が雪に変わった頃には吐いた息が真っ白だった。走っているうちに大きな公園に出たわ。その時には、私、どこにいるのか分からなくなっていたの。天気も天気だし、人はほとんどいなかった」
「ほとんど?」
「街灯の下にね、ぼうっと人影が映っているの。何をしているのかなって思ったら、素振りをしていた。いがぐり頭で、バットを振るたびに細かい水が飛び散って。皆がどう思うかは知らないけど、私は綺麗だと思った」
ともかく逃避行をしていた雪は、その姿をぼんやりと見ているうちに、くしゃみをした。それでいがぐり頭が気づいて、彼女にお日様の香りがするバスタオルを貸してくれたそうだ。
「それで?」
「あの人、大成すると思うわ」
外を見ると、ちょうど晴れ間が見えていた。携帯で天気を確認すると、これから二時間ばかり、雨が止むようだった。僕達は、示し合わせて外へ繰り出した。中庭に僕達以外の人影はなかった。




