8.所長のお絵描き
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建物の外では、泰騎が男に股がって鼻歌を口遊んでいた。その脇では、ボルゾイ犬が木に繋がれて、項垂れている。
そのすぐ横には金髪の頭が転がっていて、服を剥がされた逞しい背中には、赤黒いダリアの花が咲いている。
「ガーリガーリゴーリゴーリ、肉ーを削いで、そいやっさ! 真っ赤なピスミの出来上がりー」
ナイフでピスミを彫りながら泰騎が歌っていると、建物から数人の男たちが血眼になって出てきた。手には各々、拳銃やら猟銃やら刃物やら金属バットやらを持っている。
泰騎は、もう冷たくなって動かない大男を抱え上げると、現れた面々へ大男の前面を向けた。
「見て見てー! 草むらで遊ぶピスミちゃんじゃでー!」
草むらとは、男の胸毛らしい。そこから、ピスミらしきウサギが、顔だけ出している絵が彫られている。
絵の説明だけ聞くと微笑ましいのだが、実物は何とも言えない不気味さとエグさとグロさを放出していた。
泰騎の言葉に対する返事はない。泰騎が両手を放すと、大男は重力に従って地面へと崩れ落ちた。
さてと、と泰騎は地面に置いていたナイフを拾い上げる。
「いーち、にーい、さーん……なんか、ぎょーさん居るなぁー」
眉を吊り上げた男たち――何人かは眉毛がないが――を数えていた泰騎だが、ナイフを持っている左手を大きく振った。
「なぁー、お兄さん等、ワシの相方が中に居る筈なんじゃけど、知らん?」
男の内の一人が「そういや、でっかいリボンを着けたポニテ女を見た気が」と言って、隣に立っている男から「教えんな、バカ!」と頭に拳骨を貰っている。
泰騎は、そっかー、と肩を竦めた。
「ワシは皮を剥いだり肉を削いで、アート作品を作るのが好きでな。相方のモットーは、苦しまんように一撃で殺す事じゃけど……どっちに殺して貰いてぇ?」
選んでー、と続ける泰騎。いきり立つ面々に向かって、にこりと小首を傾げている。だが、ふと頭上に熱を感じ、建物を見上げた。
ぐにゃりと変形した窓ガラスが落ちてきたかと思うと、棒状の何かが覗いている茶色い固まりが、そこから飛び出した。大きなリボンが、少し遅れてふわりと宙を舞う。
茶色い固まり――潤は、滞空中に体勢を立て直すと、手足を衝いて着地した。
ヘアゴムをなくした髪が、ぱさりと顔に掛かる。それを手で掻き上げると、潤は立ち上がり、泰騎に向かって言った。
「泰騎。由々しき事態だ」
「どしたん?」
潤が答える前に、頭上から笑い声が降ってきた。
「はっはぁあっ! 灰色兎のライラックさんも、こんにちは!」
声の主は、黒いジャージを着た、ゆるふわ茶髪の人物。潤の後を追うように飛んで、片膝を突く形で着地した。それを中心に、砂埃が広がる。
「君の描くピスミちゃんも、可愛くて好きなんだよね」
ジャージの人物が立ち上がりながら笑う後ろで、ノンフレーム眼鏡を掛けた男――なんとなくインテリ系――が、泰騎と潤を指差して叫んだ。
「ぁあっ! 頭ぁ! こいつら、《P・Co》の内部虐殺者と蛇姫様だ! 《P・Co》の社長のおと……ッ」
叫んだ男は全て言い終わる前に、赤とオレンジの炎に包まれて黒焦げになった。変形した眼鏡が地面とぶつかり、更に形を変える。
右手のひらを向けたまま、潤が「すみません。少し黙っていただけますか」と、もう喋る事の叶わない男に言う。
「あぁ、こりゃあ……由々しき事態じゃなぁ……」
うぅん、と腕を組んで唸る泰騎。潤も、表情を変えずに頷く。
「暗殺屋が、“噂話”になるようじゃあ……、駄目じゃでな……」
「実名は出回っていないにしても、プロとしてあるまじき失態だ」
紅い目を伏せる潤と、珍しく深刻そうな表情を浮かべる泰騎は、同時に短い息を吐き出した。
「って、何だよ! 『相手がめっちゃ強いからヤバい』的な危機感じゃないのかよ!?」
離れた場所から、ジャージの人物が喚いている。
「あー、ところで、あのジャージの姉ちゃんは誰なん?」
泰騎の質問に、潤は黒いジャージの人物に目を向け、そのまま泰騎へ視線を移動させた。
「あれは女だったのか」
「体のラインを見たら分かるじゃろ」
潤は感心したようで、そうか、と漏らした。だが、件の人物は少しゆったりしたジャージを着ているので、体のラインなど見えやしない。
御手洗組の男たちも、目を見開いてジャージの人物を見ている。
「何だお前ら、その目は! どっからどー見ても女だろ! 確かに、ナチュラルメイク心掛けてっけど!」
御手洗組の面々は、ジャージの女を女だと知らなかったらしい。ジェンダーレス青年とでも思っていたのか……、女かー、確かになぁー、声が高いと思ったわー、などと言う声が上がっている。
「んで、姉ちゃんは何処の誰なん? 御手洗組の名簿には居らんかったけど?」
泰騎は半眼で問うと、組んでいた腕を解いて、手を腰に当てた。
「うーん。ぶっちゃけ、ライラック君には用がないんだよね」
渋りながらガシガシと頭を掻く女を、潤は睨み付けた。
「質問の答えになっていない」
女は大袈裟に溜め息を吐き、「んじゃあ、自己紹介をしようか」と両手を広げた。
「自分は鈴木楓花。南蛇井組の人間だよ。普段は表に出ないから、御手洗の連中が自分を知らなかったのも仕方ないね。因みに、御手洗組を潰すように《P・Co》へ依頼したのは、南蛇井のボスさ」
それに驚愕したのは、御手洗の男たちだ。何故、南蛇井の傘下である自分たちが潰されるのか、全く心当たりがないらしい。
楓花は、これだから下っ端は……、と嘆息し、御手洗の面々へ顔を向ける。
「御手洗のボスは、若いのに頭が切れるからって、南蛇井のボスが組分けしたんだよ。なのにあいつときたら、ろくに利益を産みゃしない。だから、今回選ばれたんだ」
言葉を一旦切り、楓花は潤へ向かって右腕を伸ばした。
「《P・Co》のお蛇様を誘い出す“囮”に、さ」
ポカンと口を開けて、女の演説を聞いていた御手洗組の男たちだったが、現在自分たちの置かれている立場を理解した者から順に、楓花へ向かって武器を構えた。
次々と罵声も飛ぶが、楓花は気にせず続ける。
「大人数を殺す依頼には、アンタらが動くって調査結果が出ていてね。兎さんは対象外なんだけど……アンタら、バディだろ?」
何となく、彼女の目的が理解出来た泰騎と潤だが、楓花が喋り終わるまで黙って聞く事にした。
「お蛇様は、ヘッドハント対象なんだよ」