2.本社の新人
「あ、社長ー! おっはよー!」
泰騎は笑って手を上げ、潤は三人に向かって「お早うございます」と頭を下げた。
日本有数の複合企業である《P・Co》の社長、二条雅弥。黒髪、黒目、黒のワイシャツに、黒スーツ。身長は高い。整った顔をしているが、これといって特徴はない。二十代後半に見えるものの、実年齢は三十代後半。
おはよう、と柔和な笑みを浮かべている。
社長秘書の空中謙冴は強面を崩すことなく、朝の挨拶を交わした。
真っ黒な雅弥と違い、謙冴は茶髪のオールバックで、スーツはグレー。雅弥よりも貫禄のある顔付きで、体つきもガッシリとしている。
そんな二人に挟まれているのが、リクルートスーツに身を包んだ女性。小柄で色白。化粧は控えめだが、大きな目が特徴的だ。艶のある黒髪を、首元でひとつに結っている。
そんな彼女を上から下まで目でなぞると泰騎は、ふぅん、と雅弥へ視線を向けた。
「社長が部外者を連れて来るん、珍しいな。依頼人?」
「ふふふ。彼女は、情報部の新人だよ。通信課で、特務員の担当をして貰うんだ」
特務――つまり、《P×P》の裏業務の事だ。
◆◇◆◇
親会社である≪P・Co≫は日本有数の複合企業で、大部分は製薬部門が占めている。
その裏の顔が、合法も非合法も請け負う工作業務。身辺警護からスパイ業や暗殺まで、依頼があれば、基本的には何でも請ける。
そんな依頼の中でも、特に本社の工作員が嫌がる内容――要するに、面倒な仕事が≪P×P≫へと回されてくる。
その最たる内容が暗殺だ。
裏工作人員を区別をする為に、本社に所属している者が“工作員”、≪P×P≫に所属している者が“特務員”と呼ばれている。
原則、通常業務の合間に特務を遂行している。
中でも幹部と呼ばれる六人は、超が付くほどの精鋭だとか、どうとか――。
◆◇◆◇
「佐藤姫子と言いますぅ! 誠心誠意務めさせて頂きますのでぇ、宜しくお願い致しまぁす!」
勤勉そうな見た目に反し、間延びした語尾がなかなかのギャップを生んでいる。しかしながら、よく見てみれば……、髪を束ねているのは大きな、デニム生地のうさ耳リボン。
言葉遣いも丁寧なのだが、天然系というか……どこか抜けた印象を持たせる喋り方だ。
「へぇ。そりゃあ宜しく。まぁ、本社と連絡取るのは潤の仕事じゃけど」
泰騎が顎先で示すと、姫子は大きな眼を更に見開いた。
わぁー、と感嘆の声を漏らし、
「お人形さんみたいですぅ!」
瞳をキラキラと輝かせて、潤を見上げている。
「貴方が、二条潤さんですかぁ! お噂は聞いています!」
噂……? と、潤の眉間が狭まった。
姫子以外の視線は、彼女に突き刺さっている。
「蛇の神様との融合体で、八歳の時にある組織を壊滅させた、トンデモないお方だと、聞きましたです! こんなに綺麗なお姉さんだなんて、驚きですぅ!」
“お姉さん”というワードに、寄せられていた眉は更に皺を生み、長いまつ毛に覆われた目は細められた。
そこに割って入ったのは、泰騎だ。
「姫子ちゃん、めっちゃ若そうじゃけど、高校の新卒さん?」
潤の前に立ち、少し腰を折って、にっこり笑った。
先程までの素っ気ない態度が嘘のように、姫子との距離を詰める。
「ワシらの事、どのくらい調べてくれたん?」
笑顔は崩さず、姫子に問う。
「二条泰騎さんは、ぇぇーとぉ、夜遊びがすごーいとかぁ、老若男女誰とでもお付き合いしているとかぁー……」
「……下調べご苦労様じゃな」
泰騎は脱力し、半眼で呟いた。
「いえいえー。工作員さんに、教えて頂いたんですよぉ。『灰色ウサギに近付いたら孕まされるぞ』なぁーんて言われちゃいましたぁー」
ぺろりと舌を出す姫子の言葉に、泰騎が渋面になった。姫子に入れ知恵した者に心当たりがあるようだ。
「あんの犬っころ……」
「まぁ、可能性がゼロではないからな」
「ちょっ! 潤ちゃんひでぇ! ワシは、社内の人間に手を出したりせんわ!」
所長と副所長の会話を、姫子はきょとんと眺めている。
「ふふふ。そこまで知ってるのに、潤が男だっていう事は知らなかったんだねぇ」
雅弥が苦笑する。
姫子は背後に稲光を出現させて、固まった。
「雅弥」
謙冴が短く名を呼ぶと雅弥は、そうだった、と手をひとつ叩いた。
因みに、今の呼び掛けに含まれている意味は「雅弥。時間だ。無駄な話を止めて、出発するぞ」だ。
「僕たちは仕事で出るから、佐藤さんに事務所の事を少し教えてあげてね」
じゃあねー、と手を振りながら、社長と秘書は去っていった。