89話【三日目~朝の混乱~】
◇三日目~朝の混乱~◇
目を覚ました時、僕は柔らかいものに包まれていた。
布地の何をも感じさせない、この世の物とは思えない物体を、僕は寝ながら何度も何度も触っていたのか、僕の手に完璧にフィットして離れようとしない。
でも、この感触。
どこかで感じたことがある気がして、なんか、なんて言うのかな、このまま触り続けたら、どこか別の人に怒られそうな、そんな感覚。
感触だけじゃない、なにかいい匂いがする気もする。
いや、多分確実にしてるんだと思う。
鼻腔をくすぐる甘い香りは、花のような匂いを放ち、花畑のような可憐な場所にいる錯覚を覚える。
「う、う~ん……いい匂い……」
もうすぐ完全に覚醒するであろう意識が、無意識に言葉を紡がせた。
「――あら、嬉しい事を言ってくれるのね……やっぱり好きなの?」
「……うん」
モミモミ。
「フフフっ。可愛いわね……」
おかしいな――昨日、どうやって寝たっけ。
確か、ローザが訪ねてきて、それで。
ローザ?今、ローザの声が聞こえたような。
何かを弄る指を止め、僕は完全に目を覚ました。
窮屈な体制で、僕はローザに抱き着かれて寝ていた。
そしてそのローザは、どう見ても――全裸だった。
「うわ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!――痛ってっ!」
バッ!とローザから離れて、エドガーはベッドからドスンと落ちる。
「な、なな、なん、なんでっ!?――ってうわぁぁぁっ!僕も!?なんでなの!?僕なんかした!?しちゃったの!?……何にも覚えてないんだけど!……うわぁぁぁぁぁ!」
テンパりすぎておかしなことを言いだすエドガー。
そして、自分も裸だという事に気付く。
「……落ち着きなさいよエドガー」
肝心のローザは、枕に肘をついて、どこぞの裸婦画の様に優雅に構え、エドガーとは正反対の反応を見せる。
「な、なんでローザはそんなに落ち着いてるのさっ!……あ!そ、そうだ!……昨日、ローザと話しているうちに眠くなって……それで、え?」
どうしてそれでこの状況になっているのか、全く考えが及ばなかった。
「え?って……覚えていないの?昨日、あんなことまでしたのに……」
ローザは起き上がり、自身の身体を抱き寄せる様に身を捩らせると、赤くはない頬に手を当てて。
「……あんなに求め合ったのに覚えてないなんて……悲しいわ。私……チラっ」
流し目がエドガーの急所、つまり股間を捉える。
「うわあっ!……じゃあ、やっぱり……」
エドガーは両手で、全開になっていた股間を隠し絶望する。
「さ……最低だ、僕は、女性に恥ずかしい思いをさせておいて、自分は覚えていないなんて……僕は!最低だあぁぁぁぁ!!」
「……エ、エドガー……?その、ちょっとは人を疑うことを……聞いてる?ねぇ?おーい。エドガー?……あれ、駄目ね。自分の世界に入っちゃってる……」
ローザは面倒臭いのもあり、エドガーが落ち着くまで放っておく事にしたのだった。
不意に、顔を真面目にしたエドガーが立ち上がり、ローザが座るベッドにぐいぐいと迫ってくる。
「ロ、ローザ!僕は!き、決めた!……ロー――っむぐ!?」
接近するエドガーの顔を、ローザはやれやれと言った感じで片手でむんずと掴む。
「ようやく落ち着いたと思ったら、今度は何?……もしかして、またしたいの?」
ローザの蠱惑的な表情に、エドガーは顔を真っ赤にして否定する。
「――ち、ちちち、違うよっ!?」
と言いつつも。エドガーの視線はしっかりとローザの胸を捉えていた。
「このむっつりさんめ」
ローザは反対の手で、エドガーの額を弾く。
デコピンだ。――バッシィィィィン!
「――痛ったぁ!!」
大凡デコピンとは思えない音をさせて、エドガーは尻餅をつく。
「な、なんでさっ!」
なぜここでデコピンなのかとローザに抗議するも、ローザは。
「変な感傷を持たれても困るのよね……エドガー。優しさは美徳よ、尊くもある……でも、キミは少し人を疑うことを覚えた方がいいわね」
ローザは、ベッドの下に乱雑に落ちている下着や服をスッと腕に掛け。
「――私は……まだ処女よっ」
「……え……は?」
尻餅をついたまま、変な声を出すエドガー。
完全に誤解、あるいは騙されていた。という事だ。
「私達は何も無い……ただ一緒に寝ていただけ……よ。安心した?」
「えっと……つまり、僕はローザを傷つけて、無い?」
「そうね」
「何もなかった……?」
「……そうね」
「……よ、よかったぁぁ」
「……――そうねっ!」
途轍もなく安堵するエドガーに、ローザは何とも言い得難い感情を持つも、始めにからかったのは自分のため、これ以上エドガーをからかうことはやめようと、変に溢れる感情は心の奥に押しやったのだった。
着替えを終えたエドガーとローザ。
何もないとはいえ、若干の気まずさが部屋を漂っていた。
「……あのさ、ローザ」
「……なにかしら」
お互い、背を向けて着替えていたこともあり。
振り向くタイミングが分からなくなっているエドガーは。
「本当に何もないよね……?」
「――キ、キミも案外しつこいわね……何もないわよ。私が胸を触られたくらいで」
そう言えば、起きた時は既に触っていた。
エドガーはその触っていたであろう両手をまじまじと見つめ、自然と脳裏に出てきた柔らかいものを払拭する為に頭をブンブンと振るう。
「や、ごめん……僕、覚えてなくて」
「仕方がないわ……みんな疲れていたし、キミだって精神的にも参っていたでしょう……?」
ローザが抱きしめてくれていなかったら、多分一睡もしていないだろう。
「……で、でもさ、何も服を脱がせることはなくない?」
「それこそ仕方がない、だわ……私が全裸でないと寝られない事は、もう分かっているはず、ならば仕方がないわっ!」
後ろ姿だが、胸を張っているのが確信できる力強い発言だった。
「……いや、ローザじゃなくて僕のねっ!?」
「ああ、そっち?……ついでよ。服が皺になると思って、気を利かせてみたわ」
なんとも要らぬ気遣いであった。
二人は着替えを完全に終えて、エドガーの部屋である管理人室から出る、すると。
「……随分とお楽しみのようですね……ご両人」
「……で、あるなぁ」
サクラとサクヤがドアの前で仁王立ちし、待ち構えていた。
朝食を食べるため、四人は食堂でテーブルに付いていた。
「そりゃあ起きるよ……あんなに大きな声で叫ばれたらさ~」
「わたしは、驚いて寝台から落ちました……」
サクラとサクヤは、エドガーの悲鳴?で起きたらしい。あの声は二階まで届いていたようだ。
ローザがいたことも、どうやら知られていたらしいが、なんか怒ってる?
「そ、それはご迷惑をお掛けして……」
平謝りをするエドガーに、サクラはジト目で言う。
「……き、気持ちよかった?」
「ブフゥゥゥゥゥゥっ!!げっほ!……ごほっ!な、なにが!?」
急激に確信から入ってきたサクラの一言に、堪らず噴き出す。
声が裏返り、動揺しまくるエドガー。
「……へぇ~、ほぅ~……そっか、そっか~」
咄嗟にサクヤがエドガーの口元を拭いているが、エドガーはどうも落ち着きが無くなっている。
視線がキョロキョロ右往左往し、視点は定まらず、ローザやサクラを行ったり来たり。
それだけで、昨晩エドガーとローザに何かがあったと思わせる。が。
サクラは違った。
「大変だねぇ。エド君も……」
まるで他人事のように。いや、実際他人事なのだが。
サクラは頬杖をつきながらコーヒーを飲む。
「あ~。美味し」
「随分と余裕じゃないサクラ。気にならないの?エドガーのこの初心な反応が」
ローザは、サクラの反応が面白くないらしく、挑発にも似た表情でサクラを見ていた。
「……そ~ですねぇ……どうせ、ローザさんがからかったんでしょ?」
と、若干喧嘩腰に伝える。
エドガーの反応から、ローザと何かあったのは間違いない。
だが、ローザの方が余裕を出し過ぎている、そう感じたサクラは、そんな甘~い話は無いと確信していた。
「……そう、貴女がそう思うなら、別に構わないわ」
と、ローザはそれ以上の言葉を発さず、アイスコーヒーを飲むのであった。
(……ふ、不自然だったかなぁ……)
サクヤに世話をされるエドガーを見ながら、サクラはローザに不自然な態度を取ったことを既に後悔していた。
だったらしなければいいと思うだろうが、そうも言えない理由が出来ていた。
(……ヤバ……あたし嫉妬してるんだ……ローザさんに)
頬杖をつく手の指は頬に食い込み、奥歯をグッと噛みこんでいた。
――嫉妬。
サクラは、エドガーがローザと一晩を過ごしていたことに、文字通り嫉妬していた。
適当に言ったことではなく、エドガーの言動や反応から見ても、ローザと何かあった。きっとそうなのだろう。
サクラは「ローザさんがからかった」と言ったが、それは自分の想像でもあり、願いでもあったのかもしれない。
(――!くぅぅ!)
ふとローザと目が合い、その自信あふれる視線に、悔しさが溢れ出しそうだった。
食事が済み、何とか心を落ち着かせたエドガーとサクラは二人で食器を片付けていた。
「「……」」
「あ、そう言えば……今日メイリンさんは来るんだっけ……?」
「……うん、くるはず……かな?」
カチャカチャと食器を鳴らしながら、水樽に入れた薄い皿を洗う。
どこにでもあるような取り留めのない会話をし、あっと言う間に食器は洗い終えた。
「「……」」
気まずい。先程の会話のせいだという事は百も承知だが、サクラの視線が痛いくらいに伝わって来て、エドガーは困惑していた。
「そ、そうだ……食後のデザートでも、食べる……?」
何とか気まずさを打ち破りたいと、後で食べようと思っていたサザーシャーク家謹製のオレンジで作ったシャーベットを取り出す。
「……食べる」
何とかなった。そう思ったのも束の間、外で馬車を引く馬の馬蹄の音が、この【福音のマリス】の前で停止し、その馬車から数人の人物が降りる。
宿にやって来た人物に、驚きと、半分忘れていたという自分の暢気を呪いたくなったエドガーだった。




