88話【まだ、終わらない】
◇まだ、終わらない◇
エドガーがローザに小さな声で謝罪し、その意識を失ってからは、あっという間だった。
怪我をしている騎士や傭兵達の治療は、王城勤務の衛生兵が駆け付けて治療にあたっている。
ローザはエミリアから衣服(男物)を貰い、変身を解除してそれを着ていた。
(魔力が戻った……やっぱり、この《石》の力は凄い……あれだけ困難だった魔力の回復が、こんなに簡単に得られるなんて……)
ローザは右手にキラキラ輝く【消えない種火】を見ながら、完全に回復した魔力を嬉しく思いつつも、見られたくなかった姿をエドガー達に見られてしまったと言う事に、少なからずショックを受けていた。
「……言ってもいられないわね……」
嘆息し、ローザはサクヤを、エミリアがサクラを介抱して、上着を着ていないアルベールがエドガーを介抱していた。
ローザの服はアルベールの物らしい。
「……」
第三王女ローマリアは、そんなローザ達を眺めながらも、これはいい機会だと、騎士達にこれからは「ドンドン顔を出していく」と宣言し、その場を締めた。
――そして。
「……気分はどう……?大臣、いえ……元・大臣かな」
屈むローマリアは、縛り付けた肉の塊の中の一人、ジュアン・ジョン・デフィエルに声を掛ける。
「ふ、ふあ……ば、化け物は……」
ガタガタと震え、先ほど見たばかりのローザの姿を思い出す。
「あ、ああああっ……怖い……怖いぃぃぃ」
「駄目だなこれは。はぁ……ユング・シャービンよ……あなたが言った事……嘘偽りはないでしょうね……?」
ローマリアは立ち、傍にいるユングに声を掛ける。
「はい、王女殿下……あの時、あの塔で殿下にお会いした時に話したことが……全てであります……」
端的に言えば。ユングもまた、大臣に命を狙われていた。
ローザの怪物じみた視線に恐怖を抱いてから、【遠見の塔】から抜け出そうとした時、ユングは刺客に襲われた。
その刺客は大臣の私兵であり、大臣は秘書官のユングですらも、排除しようとしていたのだ。
しかし、それを助けたのは、【聖騎士団長】クルストルだった。
傍にはローマリアもいて、話す以外に助かる術は無かった。
だが、ただでは転ばぬと、大臣のある事ない事を暴露し、自分の身の潔白を証明した。
実際、大臣の悪事の証拠は全てユングが所持している。
要は簡単だったのだ、この方法が一番。
「まあ、アレコレ出てくるものだな……悪事と言うものは」
ローマリアは、大臣の部屋から押収した書類に目を通して、呆れ果てる。
「さて。ジュアン・ジョン・デフィエル……返してもらうぞ、私の印の複製品を……オーデイン」
「……はっ!」
オーデインは、縛られたデフィエルを器用に脱がせると。
「ありました……殿下の印です。本当に同じですね……」
簡単に見つかった印は、デフィエルのコートの内ポケットの中だった。
「……そうか、ご苦労……ノエルディア・ハルオエンデ」
「は、はい!」
フルネームで王女に呼ばれて、緊張感を出すノエルディア。
「次はないから、ちゃんとしなさいよ……?」
「はい……」
これで、一連の騒ぎは終息するかと思えたのだが。
「……しかし、偽物とは言え印の効力は強い。出回ってしまった以上、エミリアの結婚は私にはどうにも出来ない。印の効果を無効にできるのは……父上ただ一人だからね……どうしようかな、これ……」
セイドリックとの婚約、結婚の話はまだ終わったわけではなかった。
ローマリアは、この事をどう終息させるべきなのか、一晩悩む事となる。
深夜も迫りかけた【王城区】の街路樹に寄り添いながら、エミリアは口にする。
「結婚は、無効に出来ないってさ……」
「……そう」
隣に座るローザは、一言それだけを呟いて、眠るエドガーの頬に触れる。
先程オーデインに聞いたシュダイハ家との婚姻だけは、ローマリアの本物の印が使われてしまっている為、どうしても無効化は出来ないと言われた。
「え~。それだけ……?」
「何か言ってほしいの?違うでしょ……?」
「えへへ……うん、違う」
笑うエミリアはどこか冷静で、しかしどこか諦めているようにも見える。
「サクヤもサクラも……寝ちゃってるね。ローザは大丈夫なの?」
エドガーの両隣で、すぅすぅ寝息を立てる黒髪の少女二人は、魔力が少なくなって眠っている。
「ええ。【消えない種火】が貯蔵していた魔力を使ったから……今はもう平気よ」
体調も魔力も、万全になった。
しかし、犠牲もあった。
「……あの姿……ってさ、どっちが本当?」
今のローザと、“魔人”ような姿。
どちらが本当のローザなのか、緊張したが聞いておかなければいけない気がして、エミリアは口にする。
「――今よ。信じるかは、貴女次第だけれど……」
「ふふっ。信じるに決まってるじゃん……変なの」
「……そ。勝手にしなさい」
「うん。勝手にするね」
それ以上の会話は無かった。必要も無かったのかもしれない
国による事後処理が終わり、エドガー達は馬車で送られた。
「あ、ありがとうございました!」
眠る主の代わりに、サクラが馬車の御者に礼を言う。
「い、いえ……これは仕事だから……」
何かに怯えた様に、手を振るわせている。
この御者は、エミリア達が乗っていた馬車の御者だった。
何というか、見ていたのだ。一部始終を、馬車の中に隠れながら。
「ご、ご苦労様です。本当に」
心から感謝をしたサクラだった。
◇
宿は当然、静寂に包まれている。
「はぁ~……やっと帰ってこれたって気がするよ~。お腹もすいたよね~、ほら【忍者】、何食べたい?特別に作ったげるよ……?」
気を使ってか、自分も疲れているはずなのによく喋るサクラ。
気を使われている張本人、エドガーはローザの肩を借り椅子に座る。
「では、おむすびが食べたい」
サクヤは、いきなり無い物を言い出す。
「おむすび、おにぎり……?か。無いよ、多分……?この世界にお米は」
「まぁ、そうだろうな……そんな気はしていたが」
「あんたねぇ……分かってて言った訳?」
非常にムカつくが、我慢だと言い聞かせる。
「万が一があるであろうがっ!そうだ、お主の鞄から取り出せばいいではないか!」
妙案出たりと、手を叩くサクヤはサクラに近寄って、猫なで声を出す。
「なぁ~サクラ~、良いではないか~?お主も食べたいであろう~?」
サクラの肩にスリスリとおでこを擦り付けておねだりをするサクヤに、サクラは嫌気が差して言う。
「――うっさいわね……あんた犬じゃなかったの?猫なで声出してんじゃないわよ……」
忠犬としてエドガーの僕になったサクヤは、自らが猫を演じてしまったことに気付きショックを受ける。
「そ……そうであった……わたしは犬であった……何という失態かぁ」
どうやら本気で悔しがっているようで、若干かわいそうになって、サクラが折れる。
「あたしも食べたいけどさ……今日はもう無理だよ……営業終了」
サクラも、動けるくらいまでは体力は回復したが。
戦っている間に何度も鞄から【地球】の物を取り出していたためか、魔力がなくなっていた。
それに、エドガーから吸われたことも起因している。
しかし、それは口にしない。
ローザもサクヤもそれは分かっているようで、エドガーがそれを多大に気にしている事も、理解していた。
「「「「……」」」」
結局何の会話もないまま、四人は時間が経ち硬くなったパンと、温めたスープを食べ、各々の部屋に戻っていった。
◇
サクラとサクヤが寝静まった深夜。
エドガーの部屋を訪ねてきた人物がいた。
「……今、いいかしら?」
赤い髪を後ろで束ね、かなり薄手の寝間着を着て、ほんの少しだけ身体を上気させた美女。ローザがエドガーの部屋にやって来た。
「ローザ……」
時刻はとっくに深夜を超えており、本来ならばローザだって寝たいが、そういう訳にもいかず、こうしてエドガーの部屋を訪ねていた。
「私がどうしてここに来たか……分るでしょう?エドガー」
「……うん」
エドガーは食堂から持ってきたコーヒーセットで、ローザにアイスコーヒーを淹れて、自分は温めたミルクを飲む。
「どうぞ……」
「ありがとう」
エドガーがミルクを飲む理由は、それはもう単純。
なかなか眠れる気がせず、サクラに聞いた安眠法の一つだそうで。サクラの世界ではよく飲むらしい。
ローザはコーヒーカップに口をつけ、しかし飲まずにカップをソーサーに戻した。
「……今日の事、気にしているでしょう……?」
エドガーは椅子に、ローザはエドガーのベッドに腰を下ろしている。
ローザからみて、エドガーは横顔をさらしている。
その顔が、ローザの言葉で強張ったのが直ぐに分かった。
「別に、責めるためにここに来たのではないわよ……」
勘違いするなと言いたいのだろうが、エドガーにそんな余裕は皆無だった。
「……まったくもう。怖い顔して」
ベッドから腰を上げ、強張るエドガーに近付き、しゃがむ。
「……話してごらん?」
「……ローザ」
目線を同じくさせて、優しく語りかけるローザは。
弟の悩みを聞くお姉ちゃんのようでもあった。
「怖かった……自分の勝手な行動で、ローザも、サクヤやサクラも動けなくなって……殺されてもおかしくなかったと思う。僕が死んだら、ローザ達はどうなるとか、考えなかったわけじゃない……変な根拠と自信から、僕はあの時の力を使って、状況を打破しようとしたつもりだったんだ……」
ローザの顔を見ながら、エドガーは吐き出すように己の内を話す。
「でも、結果は失敗だった……ローザ達は倒れて、僕も無駄に魔力が消費されて……倒れた。あれだけ言われたのに……」
あの状況から、ローザ達が倒れれば、エミリアが危ないと分かってたはずなのに。だ。
「怖くなったんだ。戦うのが……初めから気付いてたはずなのに。僕はまだ、全然強くなんてなってないのに……」
自分が強くなった気がしていたのかもしれないと、エドガーは自分の驕りを認める。
「多分、勘違いしてたんだ。ローザ達の強さが僕の強さだって……だから失敗して、皆を危険にさらして。死にかけた……」
「……」
エドガーは叫ぶわけでも泣くわけでもなく、ただ淡々と言葉を紡いでいく。
ローザも、相槌も反論も一切口にせず、エドガーの目を見ながら、真摯に聞いていた。
「ローザが助けてくれなかったら、多分みんな死んでた……僕はあの大臣に殺されて、ローザも、サクヤとサクラも捕まって、エミリアは……きっとセイドリック・シュダイハと結婚させられていたんだと思う、そう思うと……」
震えて、声が出なくなる。
「エドガー……」
自身の身体を抱き寄せて、押し寄せてくる恐怖感を拭い去ろうと、必死に力を籠めるエドガー。
大切なものが居なくなる事を、もうエドガーは知っていたはずだった。
母が死んで、父がいなくなった。
残された妹と生きていく為に、“不遇”な扱いを受ける【召喚師】であることも受け入れて、先代である父の跡を継いだ。
もう誰かを悲しませない様に、努めていたはずなのに。
「なのに、僕は……皆を危険にさらして……」
英雄願望があった訳じゃない。
自分が誰かを助けられるという自信過剰でもない筈だった。
ただ、誰かが不幸になるのを、自分と同じ思いをする人を見たくないだけだったのに。
「だから、あんなにフラフラでもエミリアを助けに行こうとしていたのね……」
ローザは、エドガーをギュッと抱きしめる。
「……!」
震える少年をその胸で抱き留め、ローザは。
「大丈夫よ……誰もいなくなってなんかない、誰も死んではいない……キミは、誰も傷つけてなんかない……例えキミの言う怖い通りになったとしても。これから、幾らでも変えていける。私が守ってあげる……キミも、キミの大切なものも……全部」
「……ローザ、僕は――」
「今は考えなくていい。だから……眠りなさい、明日はまた……忙しくなるわ」
ローザの暖かな言葉と、熱いくらいの体温に抱かれて。
エドガーの意識は、だんだん遠のいていったのだった。




