87話【魔人《ローザ》】
◇魔人◇
ジュアン・ジョン・デフィエル大臣は、下町の貧困街の生まれだった。
幼き頃に当時の王――先代の陛下の行幸を見かけて、その煌びやかな姿に憧れた。
当時は、この国を支えたいと、本当に思っていた。
若くして聖王国軍に入り、国の為にと訓練をした。
だが、無念な事に騎士としては芽が出なく、転向した先の政務業も、無難にこなすことしかできなかった。
鳴かず飛ばずで数十年。そして出会った。
最高の秘書、ユング・シャ-ビンという女性に。
彼女が出した案はことごとく現陛下にハマり、あれよあれよという間に大臣になっていた。
そんな彼が、“不遇”に扱われる【召喚師】を嫌うのは、過去の自分との対峙でもあった。
泥水を啜り、残飯を食べて過ごした幼少期。
自分の過去に比べれば、この若造など大した事ではないと思えた。
今、【召喚師】は自分の足元で這いつくばっている。自分が剣を振り下ろせば、この少年の命は綺麗に散る。
「――無様に死ぬがいいっ!【召喚師】!」
「エドぉぉ!」
「エドっ!!」
それを声に出せたのは、エミリアとアルベールのみ。
振り下ろされた剣は、エドガーの肩口をバッサリと切り裂き、地面に刺さった。
「――ぐっ!ぁぁぁぁぁあっ!!」
「……ふふふ。おっと、長年のブランクで手元が狂ったわ」
「……わざとでしょうっ……!ぐっ!ぅぅぅう!」
エドガーの言葉を口答えと捉えた大臣は、肩口に刺さったままの剣をぐりぐりとこねくり回して笑う。
「ぐはははっ!そんなことはないさ……ワシも元・騎士だ、剣の扱いも心得ているっ!」
「――っがぁぁぁぁぁっ!?」
ブシュッと、引き抜かれた傷口から血飛沫が上がる。
「……エド、ガー……私、は……」
「エド、君」
「あ……主、殿ぉぉ!」
倒れるローザとサクラもエドガーの名を弱々しく呼ぶ。
一番近くにいるサクヤは、叫んでエドガーに声を掛ける。
(くっ……【心通話】も使えなくなっている……身体も動かないっ……なんと無力なのだ、わたしはっ!)
「がはっ、がはは。がはははっ!!」
大臣は、何度もエドガーの肩の傷を抉っては繰り返す。
エドガーは、ついに声を上げる事も無くなり、血に沈む。
【聖騎士】二人とエミリア、アルベールは、増援の重騎士達と戦っている。
そんな中ただ一人、ゆらりと脱力したまま立ち上がり、咆哮する人物がいた。
暗がりでありながら、その右手に輝く《石》が、星空のように煌めいて、発光した。
「――っああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
(ああ……嫌だ……見ないで、見られたくない……こんな、醜い姿……)
「「「「「――!?」」」」」
この場にいる全員が、咆哮するローザを見ただろう。
ハウリングとなったローザの声は、戦場となった【王城区】全体に響き渡り、瞬間的に場を凍らせた。
「う……うぅぅ……うあぁぁぁぁぁぁぁぁあっっっっ!!」
立ち上がったローザの全身からは燃え上がる炎が揺らめき、まるでローザ自身が燃え盛っているかの如く灼熱の眼光を晒していた。
右手の【消えない種火】をギラリと輝かせて、天を抉るような爆炎を噴出させる。
全身から燃える炎は、骨格から燃えているのか、燃やした石のように、腕や足の骨が素肌から薄く透けているように見えていた。
「……ふぅぅぅぅぅぅぅぅ……」
赤黒く変色した四肢、燃え焼けてしまった服の代わりに纏っているのは、素肌が変貌を遂げた皮膚。
髪そのものが炎のように燃えており、常に風に揺らめいている。
その眼光は赤く、ローザの普段の青い目ではなくなっていた。
「……ローザっ、お願い」
「ローザさんお願い……!!」
「……頼む、主殿を……!」
「「「助けてっ!!」」」
その変貌してしまったローザの姿を見ても、サクラもサクヤも、エミリアですらも恐れる事は無かった。
ただ、一番に思った事、それはエドガーの事だった。
今のローザなら、きっと助けられる。そう確信して。
「――燃えろ。【越炎】」
「ん?――う、うわあぁぁあっ!」
「――なんだっ、火がぁぁ!!」
「――あ、熱い!鎧がぁぁ!」
変貌したローザが一言呟くと同時に、突然重騎士達が揃って苦しみだし、その鎧は発火して燃え始めた。
【越炎】。
一定の温度の物体を選択して、発火させる技だ。
その温度は、剣や鎧など一瞬で溶かしつくす程だ。
「な、なんじゃあれは……化け物ではないかっ……」
大臣も、異常事態と判断したのか、エドガーを攻撃する手を止めて、後ろに下がろうとしたが。
「――うおっ!……あつっ!」
手に持っていた剣が、発火して熔解していた。
「うおおぉぉあっ!」
カランと剣を投げ出し、尻餅をつく大臣。
そして、ゆっくり歩んでくるローザが目の前に現れ、大臣を見下していた。
歩いてきた足跡は地面を溶かし、くっきりと炎の残り火があった。
「ひぃぃぃぃぃっ……ば……化け物ぉぉぉぉぉっ!!」
素肌から炎を巻き起こして、赤い髪はまさに炎そのものになっている。
着ていた服は焼け落ち、ローザが身に纏うのは炎の渦のような変貌した皮膚。
頭から生えているのか、赤黒い角のような物は、炭化した魔力の結晶だ。
闇夜のような黒い翼と長い尻尾も、魔力の結晶で出来ている。
それを巻き起こしているのは、【消えない種火】だ。
その名の通りに消えない炎の魔力は、尽きたローザの魔力を無理矢理に全回復させ、その代償として姿を変貌させた。
誰かれ関係なく炎を生み出して、ローザの身体を焼く。
「――私が人間であろうとも、例え化け物であろうとも……貴様のような人間を……生かしておこうとは思わない。ここで燃え尽きろっ!」
目の前に翳されたローザの手は、大凡人間の物ではなかった。
指は肥大化し、爪は剣のようだ。
その手から出る熱気だけで、大臣は大量の汗を掻くが、その汗すら直ぐに蒸発していく。
「……かっ!ひゅー、ひゅー……はぁっ!」
過呼吸を起こし、目を回転させて後ろに倒れる大臣。
後ろにはエドガーが倒れているので、ローザは大臣を思いっ切り蹴とばし、セイドリック達が重なる山に激突させた。
「エドガー……私がこの力を……【魔人導入】を出し渋ったせいで、こんな怪我を……」
ローザはしゃがみ込み、エドガーに触れて傷口を焼く。
ジュウゥゥ――と焼けるエドガーの肩、しかしそのおかげか、血を流し続けていた傷は塞がり、直ぐに命を失うことはないと判断した。
「……ごめんなさい……」
ローザは涙を流す。
しかしその涙さえも、自身の高熱で蒸発しており、ローザが泣いていた事すら、誰も知る事はない。
だがそんなローザにも、声を掛ける者はいる。
「ローザ殿……助かった」
「ローザさん……ありがと」
倒れながらも、サクヤとサクラはローザに礼を言い、心から安堵しているようだった。
「まったく……私のこの姿を見ても話しかけられるなんて、本当に変な子達ね……」
だがそれが、心底嬉しい。
そして、目を覚ましたエドガーも。
「……ローザ。ごめん……僕……間違って、た」
「エドガー……いいのよ、皆を助けたかったのでしょう……?」
エドガーは悔しさと情けなさで涙しながら、ローザを見る。
「――!……余り見ないで。こんな姿……キミには見られたくないわ」
ローザの姿は、エドガーが始めてローザに会った時戦った“魔人”にも酷似していた。
だが、エドガーには違って見えていた。
手は肥大化し、変色して赤黒くなり、魔力の結晶である角と翼、尻尾は動物のよう。
白目は黒くなり、青いはずの目は、轟々と燃える赤になっている。
その姿は、エドガーが最初に求めた――“精霊”に似ていると、思ったのだ。
◇
大臣は完全に気絶して、指揮官であったはずのセイドリックも伸びている。
その二人を倒したエドガーも倒れ、最後に見えるのは、伝承に出てくる赤黒い“魔人”のような女性だ。
「……――あ、副団長……あれを!」
ノエルディアが、王城から向かってくる一団に気付き、オーデインに伝える。
「ああ……お前たち……これ以上まだ戦うか……!?見ろ、王城を……あの旗を」
オーデインは、ここにいる全ての人間に聞こえるように、大きな声で叫んだ。
それに釣られてか、ほぼ全ての騎士達が、続々と武器を仕舞う。
ローザの炎で鎧を焼かれた騎士達も、その方向を見る。
「……終わったみたいですね……」
ノエルディアも「ふぅ」と一息吐き、オーデインは向かってくる一団に向かって声を上げた。
「こちらです!!――ローマリア殿下っ!!」
と、今この場を終結させられる人物の名を呼んだ。
白馬に乗っていたのは、軽鎧に身を包まれた少女だった。
たった一人で馬に乗り、数人の騎士を引き連れてここに来たらしい。
「すまないわね。オーデイン……ノエルディア。随分と遅くなったわ」
「いえ、殿下……申し訳ありません……事が大きくなり、鎮圧はかないませんでした」
オーデインとノエルディアは跪き、他の騎士たちも理解する。
この少女が、この国の第三王女なのだと。
「皆の者、我が名はローマリア。【リフベイン聖王国】第三王女ローマリア・ファズ・リフベインだ……公務にも政務にも顔は出していないし、聖王国民の皆も知らない者が多いかもしれないが……」
「ふふっ」と微笑し、知られていないことを自虐する。
しかしその言葉も、背後から現れた人物の一言で全員が納得する。
「……皆、このお方がローマリア・ファズ・リフベイン殿下に間違いはない。この俺、【聖騎士団・団長】クルストル・サザンベールが保証しよう」
聖騎士団の若き団長、クルストル・サザンベール。
「だ、団長……」
ノエルディアが渋い顔をする。
「クルストル!お前、何をやっていたんだ……!」
副団長オーデインは「もう少し早く来い」と、言いたいのだろうが、クルストルに手で制される。
「……邪魔されていてな。殿下も命を狙われていた……その犯人の目星もついたので、ここにいる」
「邪魔?犯人……?」
クルストルとオーデインは、揃ってある男を見る。
伸びきって気絶する、ジュアン・ジョン・デフィエル大臣を。
「……そういうことか」
「ああ。そういうことだ」
ローマリアは、具足を付けた脚を動かして、ローザ、エドガーのもとに歩み寄る。
「……あなたが、エミリアの幼馴染……エドガーね」
「そうよ……貴女は王女ね……この国の」
エドガーの代わりにローザが答える。
「……そう気を張らなくていい。私は何もしないから……ユング・シャ-ビン。あれを……」
ローマリアはローザに敵意はないと答え、後ろに控えていた大臣の秘書官、ユング・シャ-ビンを呼んだ。
「は、はい。殿下……これを」
ユングは、極力ローザと目が合わない様に努めて、ローマリアに薬を渡す。
【トーマスの秘薬】。
エドガーも一度使っている、ジュライ・トーマス作の薬だ。
「これを使うといいわ……その、お詫びとは思わないで欲しいのだけど、大臣がしでかしたことは、許される事ではないから……」
「……そこに置いて。今の私は触れない……」
「……わ、分かった……」
「私がやりますっ!王女殿下……」
エミリアが、ユングから薬を受け取り、エドガーに駆け寄る。
「「……」」
エミリアがエドガーの怪我の患部に薬を塗っている間、ローザとローマリアは、一言も口を利かなかった。
視線も外すことはなく、睨み合いにも近い時間が数刻(数分)流れた。
「終わったよ、ローザ……」
「ならばもう安心であろう……その姿を解いたらどうだ?“精霊”殿……」
「……」
ローマリアの言葉に、一番驚いたのはローザではなくエミリアだった。
「せ、“精霊”!?……あ、そっか。だから怖くないのか……納得――って違う!」
エミリアは一人でブツブツと呟き、ローザに近寄ろうとするが。
「駄目よエミリア……この醜悪な姿のどこが“精霊”なのよ……“魔人”よ、誰がどう見ても……ね」
ローザは拒否する。
それ以前に、エミリアを火傷させてしまう。
「どうして?……ローザはローザでしょ?私の知ってるロザリーム・シャル・ブラストリアでしょ?」
「……エミリア、貴女ほんと……いえ、言っても仕方がないわね……悪いけれど、服をくれる?これを解除したら……裸だからさ」
「うん!待ってて!」
エミリアは余程ローザに頼られたのが嬉しかったのか、笑顔で頷き走っていく。いったいどこから持ってくるつもりなのだろうか。
「――ブラストリア?今、そう言ったの……?」
血相を抱えるのは、ローマリアだった。
ローザのフルネームを聞き、何か思うところがあるのか。
「……そうよ、ロザリーム・シャル・ブラストリア……【ブラストリア王国】第一王女……それが私の名よ」
どうせ言っても解らないだろうと。
ローザはローマリアに自己紹介をする。
「……ちょ、ちょっと……いや、今言っても……だけど、その国は……」
しかし、それを聞いて一人ブツブツと言い始めたローマリアに、【聖騎士団長】クルストルが報告をする。
「殿下……兵達の招集が終わりました……お話を」
「え、ええ。分かっているわ……今行くから、待たせなさい」
「……はぁ」
「はぁ。じゃない!ああもうっ、分かったわよ、行くから……ロザリーム殿、後で話があるわ。どこに行けばよいか……?」
「私に話はない……って言っても聞かないのでしょうね……【福音のマリス】って宿にいるわ……」
「承知したわ。その時には、そこのお兄さんにも挨拶をしようかしら……」
そう言い残して、ローマリアは駆けて行った。
「王女様が、来るの?……【福音のマリス】に……」
話は聞いていたのか、エドガーが言う。
「ええ。そのようね……大丈夫?エドガー」
「うん……ごめん、ローザ……言う事聞かなくて」
「もういいわ。それよりも、エミリア早く来なさいよ……変身切れそうなんだけど」
それ、変身なんだ。とは言えなかったが、エドガーは。
「――ごめん」と、謝ることしかしなかった。




