86話【終息へ向かう選択】
◇終息へ向かう選択◇
セイドリックの前髪を焦がした炎弾は、外壁に阻まれて爆散した。
しかし、その威力は言うまでもなく、その場にいた騎士や傭兵達は、人外を見る目でエドガー・レオマリスを見ている。
そんな奇異の視線をものともせずに。
エドガーは歩き、騎士の群れが引いていく道を進む。
「き、きき、貴様ぁぁ!貴様がやったのかぁっ!!」
尻餅をついて叫ぶセイドリックを、近くまで来たエドガーは無視してエミリアに向き直り、告げる。
「ごめんねエミィ。遅くなった……」
優しく笑顔を見せるエドガーに、エミリアは涙を滲ませる。
「……エド、どうして……なんで、ここに?」
エミリアを昔の愛称で呼ぶエドガーは、完全に何かを吹っ切っているようで、睨み叫び続けているセイドリックの言葉は入っていなかった。
「――黙りなさい。小虫が……」
「――ぃヒィッ!」
叫び続けるセイドリックの大声に、イラっとしたローザがエドガーの後ろから威圧すると、借りてきた猫のようにおとなしくなったセイドリック。
完全に怯えていた。
「ローザ?……サクラ、サクヤも……な、なんで?」
今回の件は、エドガー達には話していない。
もう二日前から会ってもいないのに、どうしてここにいるのかエミリアは分からない。
が、嬉しいのと困惑しているのが合わさって、泣きそうだった。
しかし、助けに来た【召喚師】を知っていると思われる騎士がチラホラいるようで、ひそひそと話していた声が大きくなってくる。
「……おい、あれって【召喚師】だろ……?」
「国に指定された、“不遇”職業の?」
「マジか……それがなんで、あんな炎を撃てるんだよ?」
「なわけねーだろ、きっと後ろの女のどれかがやったんだろ……」
――“不遇”職業。
国に指定されている、公式に侮蔑してもいい職業。
本来、そんなものはない。だが、先代先々代から続く“不遇”な生活は、確かに国から受けたものだった。
「黙れと言っている……」
ローザは一瞬で声を黙らせた。
静かで小さな声だが、不思議と響き渡り、遠くまで届く声だった。
「ありがとうローザ……さ、エミィ……帰るよ?」
自分の代わりに声を上げたローザに礼を言い、エミリアの手を引くエドガー。
「き、貴様ぁぁ!我が妻に触れるなっ!」
「……――貴方のものじゃない。エミィは……エミリアは、未来を担うこの国の騎士だ、誰のものでもない。ましてや、貴方のような人にエミリアは渡さない――絶対だっ!!」
左腕でエミリアを抱き寄せ、宣言する。
エドガーは道中で覚悟を決めた。
人として、【召喚師】として、そしてなにより、エドガー個人として出来る事。
エミリアを助けるという事は、下手をすれば国と対峙する可能性がある事だ。
そういう事になる。それを踏まえても、エドガーの覚悟は決まっていた。
「ぎ、ぎざまぁぁぁぁぁ!この庶民がっ!【召喚師】?なんだそれはっ!何が偉い!どこが凄い!エミリア・ロヴァルト!こっちに来い!ほら!ほらぁ!!」
何度も手を差し出し、エミリアを掴もうとするが。
その差し出した手は虚空を切る。
「まぁ落ち着きたまえ、セイドリック殿……【召喚師】、だったかな?君は……確か、先代の王が指定した……害悪の」
デフィエル大臣が口の端を吊り上げ、セイドリックに近寄り、笑顔でエドガーとエミリアに話しかけてきた。
「だ、大臣閣下……言ってやって下さい!その娘は俺のだと!セイドリック・シュダイハの嫁なのだと!!」
「……ふむ」
この状況でも、デフィエル大臣には強力な切り札がある。
王女殿下の印が、態度までもを大きくさせていた。
(……この男、随分と余裕があるわね……)
<ローザ。聞こえる?>
<……ええ。聞こえているわ>
<よかった、魔力は大丈夫だね>
エドガーは、一人思案するローザに【心通話】で声を掛けた。
<どうしたの?この男を殺す?>
<そんな物騒な話じゃないよ……>
<じゃあ、何かしら……?>
<折を見て撤退したいんだ。どう思う?>
エミリアやアルベールを連れて、だろう。
<難しいでしょうね、包囲もそうだけれど、足がない>
<馬車を奪うのは?>
<馬をやられたら意味ないでしょう?>
<う~ん、どうしようかな……>
<……>
<ローザ?>
ローザは意外だった。
エドガーが、やけに冷静で落ち着いていることも、余裕がある事も。
<なんでもないわ。サクヤサクラはどう思う?>
<<……そこの狸が気に食わない!!>>
同意見でシンクロした。
「うわっ!……あ、ごめん。何でもないよ」
サクヤとサクラの大きな心の声に、つい声を出してしまったエドガー。
エミリアに見られて、あははと誤魔化す。
「いやはや、大げさにし過ぎましたかな……?そこの【召喚師】と、ロヴァルト家がどういう関係か……調べていなかったのはこちらの落ち度……しかしねぇ、ロヴァルト家とシュダイハ家のご婚姻は、既に決められている事……ローマリア殿下のご意向なのだよ……ふふふ」
「――それでも、エミリアは渡せません。渡しません」
大臣の圧のような言葉にも、エドガーは折れない。
「貴様ぁ!庶民の分際で、王家に楯突くのか!」
自分よりも恰幅の良い大臣の後ろに隠れたセイドリックは、好き放題言いそうなので、ローザは威圧を放つ。
「ひぃっ!」
「――む、キミは何か!?その目つき……失礼ではないかね!?」
「はぁ?」
豪胆なのか鈍いだけなのか。
デフィエル大臣は、ローザの威圧に怯えることなく、逆に食って掛かる。
その態度に、周りの騎士達も「マジかよ」「死ぬぞ」「逆にすげぇ」などと呟いていた。
因みに「はぁ?」と言って前に出ようとしたローザを、サクラとサクヤが「待った」「落ち着くのだ」と、しっかりと抑えてくれていたので、エドガーは安心している。
「と、とにかく……エミリアは渡しません。大臣閣下が何を言おうともです」
「ふむ。そうか……ならば致し方ない……」
大臣は腕を上げ、指をパチン!と鳴らす。
最初からそのつもりだっただろう重騎士達が、エドガー達を取り囲んだ。
いつの間にか、【聖騎士】二人もアルベールも、追い込まれてエドガー達の近くに来ていた。
エドガーは中央で合流した人物の中に、もう一人の幼馴染がいることにようやく気付いた。
「あれ?アルベール……アルベールもいたんだね……」
「ああ!いたよっ!初めっからな!……エド、お前落ち着きすぎだろ――っとぉ!」
エドガーに声をかけながら、重騎士の攻撃を避けるアルベールに、エドガーは言葉を返す。
「そうかもね。もう止めたんだよ……うじうじ考えたり、悩んだりするのは……」
迫ってきた重騎士の盾に、エドガーは赤い剣を突き刺した。
高熱を持つ剣は、鉄の盾を楽々貫通して、重騎士の眼前で止まった。
「……ひぃっ!」
重騎士は驚き、盾を投げ出して逃げ出す。
「すげぇな……それ」
アルベールは剣の威力に感嘆する。
「……使うかい?」
「い、いや……今はいいや、何とかする」
内心使ってみたかったが、切迫している状況で試し斬りする訳にもいかないので、断る。
絶対に後で使わせてもらおうと心に決めて。
エミリアも充分に休めたのか、エドガーから少し離れて槍を構えていた。
そこには、三人の異世界人の姿もある。
「エミリアちゃん、もう大丈夫なの?」
サクラは、手に持った【ロングスタンガン】を騎士に向けてバリバリ鳴らす。
「サクラ……ありがと、正直言ってまだ混乱してるけど……感謝してる。サクヤにもね」
右にいるサクラ、左にいるサクヤにも感謝を伝える。
恥ずかしいので、振り向かずにだ。
「気にするな!エミリア殿。わたし達は、もう仲間なのだから……」
サクヤは、口元の【赤い仮面】をくいっと直して、笑う。
目元しか見えないが、充分に伝わる笑顔だった。
「……話はあとでいくらでも出来るわ。何時でもね、だから……この状況を乗り切るわよ。折角私達の“契約者”がやる気になったのだから、負けるわけにはいかないわ」
「……ローザ……うん。そうだよねっ!」
槍を力強く振り、赤い軌跡を残す。
ローザも、真っ赤な大剣を惜しげもなく創り出して、片手で構える。
当然のことだが、身の丈以上もある大剣を片手で持てる人間など早々居らず、騎士達は驚愕して尻込みする。
「さぁ……燃やされたい奴から、かかってきなさい!」
◇
戦いは再開された。
その中で【聖騎士】二人は、この異常な光景に驚きを隠せずにいた。
「……副団長」
「何かな、ノエル君」
「なんなんですかね、あの人達……おかしくないですか?」
【聖騎士】二人は、戦っている少女達、特にローザに度肝を抜かれていた。
剣を振り回しているだけにも見えるが、その一振りだけで、大概の騎士は吹き飛ばされ、重騎士達も転ばされて起き上がれていない。
「確かに……異常な強さだね、これは」
オーデインも【聖騎士】の中では強者に入る部類だが、この赤髪の女性には勝てる気がしなかった。
それは、最初に彼女が放った威圧で既に判断できた。
「あの黒髪の子達も……やばいですよ」
ローザが討ち漏らした騎士を、ポニーテールの少女が音もなく倒し、それでも起き上がろうとした騎士は、ツインテールの少女が何か不思議な杖で感電させているように見える。
心なしか、三人の少女の行動は、疲れているエミリアに気を使っているようにも見えた。
「我々……要りますか?」
「……そうも言ってられないさ、【聖騎士】だぞ……?私達は」
オーデインは、そう言うと細剣を構えて進んで行く。
ノエルディアも、ため息を吐きながらも、しっかりとオーデインの後を追った。
それでも戦況は、未だに大臣側の有利だった。
だが、既に幾数もの騎士が倒されて、この【王城区】は悲惨な状況だった。
「ま、不味いぞ……このまま時間がかかれば、王家に知られる……」
デフィエル大臣は、正直言ってここまで時間がかかるとは思っていなかった。
少し手を貸してやれば、敵は直ぐにでも投降すると、降参すると高を括っていた。
「んぐぐぐぐぐぐぅ……アレがあればっ……!」
セイドリック・シュダイハも、気持ちの届かないエミリアに歯噛みする。
無意識のうちに、セイドリックは槍を握っていた。
【聖騎士】時代に使用していた、金の槍だ。
そして咄嗟にこう叫ぶ。
「――し、勝負しろぉぉっ!【召喚師】ぃ!!」
槍を高く掲げ、セイドリックは言う。
「お、おいっ!セイドリック殿……何を考えている!――はぶぅ!!」
傍にいた大臣は、セイドリックの行動に憤る。
自分の策が台無しだろう!と。しかしセイドリックは大臣を突き飛ばし。
「うるさぁいっ!!……おいっ!【召喚師】……僕と勝負するがいい、勝った者が、エミリア・ロヴァルトを自分のものにできる……どうだっ!?」
セイドリックは戦っているエドガーの元に歩み寄るとそう言った。
「……貴方は何もわかっていない。戦った所で……貴方が勝った所で、エミリアは貴方のものにはなりませんよっ!」
「――わ、うわぁっ!」
エドガーが弾き飛ばした騎士が、セイドリックに向かって転がってくる。
セイドリックはそれを避けようとして、躓いて転んだ。
「が、がっふぅ!……ぐうぇぇ!!」
転んだ所に騎士が飛んできて、セイドリックは潰された。
しかも、他方面で戦っていたローザが吹き飛ばした騎士も飛んできて、更に押し潰される。
サンドイッチの様になったその一番下のセイドリックは、完全に気絶していた。
「……残ってる騎士はあと、どれ位?」
「お、おう!……いや、まだまだいるな……」
エドガーはその様子を歯牙にもかけず、アルベールに聞く。
そそて一呼吸を置き。
「――ローザごめん……使うよ。この状況を打破するっ!」
アルベールに敵はまだ沢山いると言われ、エドガーは一言ローザにそう呟くと、剣の先端に魔力を集める。
少し離れていたところで戦っていたローザは、エドガーのしようとしている事に敏感に反応し。
「――だ、駄目よっ!エドガー!!――サクヤ!エドガーを止めなさいっ!早く!」
自分よりも俊敏に動けるサクヤに伝え、急かす。
「し、承知したっ!」
サクヤは一瞬で消え去り。
瞬きもしないうちにエドガーの隣に出現して、主の手を抑える。
「主殿っ!それはいけませぬっ!」
ガッと掴まれたサクヤの手に、エドガーは優しく反対の手を重ね、言う。
「……大丈夫だから」
「いや、しかし……」
「――そんなわけないでしょうっ!!」
エドガーはまた、全力の魔力を使って炎弾を撃とうとしていると、瞬時に判断したローザ。
絶対に使わせないつもりでいたが、まさかこんなに早く実行しようとするとは思っていなかった。
脅しのつもりの攻撃なのは分かる。
相手が驚いているうちに逃げる算段なのだろう。
だが、それは今すべきことではなかった。
そしてそれを、ローザだけが、それを理解していた。
ごたごたし始めていると気付き、それを好機と見たのか。
大臣は号令を開始し、ローザ達を取り囲む。
「――邪魔よっ!どきなさいっ!!」
ローザは自身の周りに炎を噴豪させ、騎士達はあたふた逃げ惑う。
「エド――ぐ……っ!!」
(そんな……た、たった一度よ……?一度使っただけで……こんなに魔力が……)
急激な脱力感に、膝をつくローザ。
汗も流し、ローザ自身の魔力が尽きようとしている事が分かった。
「……くっ」
(《石》が疼く……駄目よ!落ち着きなさいっ……まだっ!)
魔力が回復しきっていなかったのが原因で、“魔力切れ”を起こしてしまう。
そしてそれは、ローザにとって魔力回復の手段でもあった。
だがそれは、誰にも見られたくない姿だった。
苦しそうにしつつも、エドガーを見るローザ。
エミリアとサクラが、そんなローザのもとに近付き声を掛ける。
「ローザ!!」
「ローザさんっ!」
エミリアは槍をぶん回して騎士達を牽制し、サクラは鞄から護身用の【激臭ボール】を取り出して騎士たちに投げている。
エミリアも疲れている。サクラも、もう何度も鞄から物体を取り出して魔力を使っていた。
「主殿っ……ローザ殿達が!」
「分かってる。大丈夫……安心して」
ローザが言うのはそういう意味ではない。
この世界に来て、魔力を無くすと言う事は、契約の効果をも失う事だと分かった。
つまり、エドガーが魔力を無くして寝込んでいた際、異世界人としてエドガーと契約しているローザやサクラ達もそうとう弱っていたのだ。
ローザの魔力は本来、一人で国を殲滅できるほどの魔力を持っている。
出会った当初「この国を一日で滅ぼせる」と言ったのは、大げさではなく事実だったのだ。
しかし、今。
たった一度、自分の周囲に炎を巻き起こしただけで、足に力が入らないほど弱ってしまった。
このまま、またエドガーが魔力を無くせば、また別の症状を引き起こす可能性がある。それはローザだけではなく、サクラやサクヤも同じだ。
ここで全員が倒れれば、明らかにバッドエンド一直線だ。
しかしそんなローザの考えも虚しく。
エドガーの剣先には、ドンドン魔力が収束されていく。
「――くっ……な、なんだ。なにが……」
エドガーの傍にいたサクヤが、眩暈を起こして膝から崩れる。
「――やっぱり、足りない分の魔力を、私やサクヤから吸収しているんだわ……きっと無意識に」
「そ、それって……」
「まずいんじゃ……」
推測だが、ローザが“魔力切れ”を起こし、サクヤも限界に近そうなことを考えると。
おそらくエドガーの炎弾は、不発に終わる。その後は、蹂躙される未来が待つだけだ。
「サクラ……エドガーを気絶させられる?」
「ええっ!?……あ、そういう!!――あっ……で、も……無理かも、あたし……も……な、んだか、眠く……」
そのまま、サクラもぺたんと座り込んでしまった。
「……サクラも、か」
ローザは、アレ以外に何か策がないかと頭を巡らせるが、“魔力切れ”のせいで思考が働かなかった。
「ロヴァルト妹!だ、大丈夫なのっ!?」
続々と倒れる少女達を見て、【聖騎士】二人がエミリアのもとに来るが、二人共息が絶え絶えだった。
「ほっほっほ。ここまで、ですなぁ……」
倒れていく少女達を見て、大臣はニヤリと笑う。
「後は、【召喚師】と疲れ果てた【聖騎士】……グフフ、これは気持ちがいいなぁ」
大臣は余裕を見せ、自ら剣を取りエドガーに近づく。
「――くっ!……まだ、収束がっ」
「あ、るじ、殿……逃げ、て……」
バタリと、隣にいたサクヤも倒れる。
「――サクヤっ!?」
それに付随するように、やがてどんどんと、剣先に溜まっていた炎は小さくなっていき、ついには霧散してしまった。
残ったのは、塵になった炎の残滓と、エドガーのショックを隠し切れない表情だった。
「――そんなっ!なんで……!くっ!?」
エドガーはサクヤを守るように、大臣と対峙するが。
「……な、んだ……力が、入らない……?」
急激な脱力感と疲労感に、カランと剣を落として膝をつく。
「無様ですなぁ……【召喚師】、安心せい……女どもは、そうだな……セイドリック殿のお父上、シュダイハ卿に世話でもしてもらうかのぉ!!がっはっはっはぁぁぁ!!」
「――このっ!!ぐっ……」
ゲスな大臣の発言に、エドガーは立ち上がろうとするも、力が入らず倒れる。
エドガーが見上げる大臣の顔は、“悪魔”にも似た何かに見え、ただ終わりを告げる剣の振り下ろしが。
自分の選択が間違ったのかもしれないという、情けない思考を切断していった。




