79話【一日目~エミリアside~】
◇一日目~エミリアside~◇
サクラが急激な魔力消費でぶっ倒れ(自覚なし)。
サクヤが、廊下で倒れていたローザを介抱し、大浴場に連れて行っている頃。
【貴族街第一区画】、ロヴァルト伯爵邸では、メイドのナスタージャとフィルウェインが、エミリアと話をするべく準備をしていた。が。
「今日もお部屋から出てこないのかなぁ……お嬢様は」
ナスタージャは、屋敷の厨房でエミリアの夕食の支度をしながら、同じく準備をする他のメイドに声を掛ける。
「知らないよ~、ナッちゃんが専属なんだから分かるでしょ~?」
ナスタージャに返答したメイドは、忙しそうに皿を拭きながら、投げやりに答えた。
「冷たいなぁ……ケイト~」
ケイトと呼ばれた薄紫髪の少女は、ナスタージャの一つ年下の十六歳の下町民で、家族を養うためにロヴァルト家でメイドをしている。
実はナスタージャよりもメイド歴は先輩である。
「そんなこと言われても~、ナッちゃんはエミリアお嬢様としょっちゅう一緒じゃな~い……私は旦那様の担当だし、お嬢様のお部屋には行ってないよ~?」
「それは分かるんだけどぉ……お食事も取ってないから、心配で……」
ナスタージャはここぞとばかりにエミリアの好物を皿に盛り付ける。
「ふふ。これならお嬢様も食べてくれるっ……!」
「……余りやりすぎは良くないですよ、ナスタージャ」
隣で、エミリア以外のロヴァルト家の面々の食事を調理していたフィルウェインに呆れられる。
それもそのはずであり、部屋から出てこようとしないエミリアに、好物があると言って簡単に釣り出せれば、エドガー宅まで行って助けを乞う必要などない。
「分かってますけどもぉ」
口を尖らせるナスタージャ。
「フィルウェインさん、そのお料理運んでも大丈夫ですか?」
ケイトは冷めないうちにと、出来たばかりの料理を運んでいこうとする。
「……ええ。盛り付けるから少し待ってね」
本来、調理担当のコックがいるのだが、今日に限って何故か休んでいる。
「コルデンさんの味じゃないって……怒りませんよねぇ?」
コックのコルデンは腕がいい。
他にもスカウトされていたが、当主のアーノルドが【聖騎士】時代からの付き合いという事で、ロヴァルト家でのコックを言い出てくれたらしい。
そんな腕の立つ料理人の料理に比べたら、メイド達が作る料理は段違いかもしれないが。
「今は大丈夫よ……皆様それどころではないから。はいケイト、お願いね」
「了解で~す!」
急に決められた、愛娘エミリアの結婚。
それにアルベールも、ロヴァルト家の分家、男爵として独立が決められている。
ケイトは大皿に盛られた【川ジブネール】(ロブスターに似たもの)を豪快に両手で持ち上げ、小脇にバケットの入ったバスケットを抱えて運んでいく。
「……落とさないでよぉ」
「ナッちゃんみたいなミスはしませんよ~だっ!」
「――んなっ!」
ナスタージャにダメージを与えて、ケイトは去っていった。
地味に心に傷を負ったナスタージャは、フィルウェインと目が合い。
「私、そんなにミスしてますぅ……?」
「……さ。お嬢様の所に行きますよ。エドガー様の所に行ったことも説明しなくては」
完全にナスタージャをスルーして、フィルウェインは行ってしまう。
それが全てを物語っていた。
「うぅ……はい。」
ナスタージャは、エミリア用に作られたワンプレートの食事を持ち、自分にがっかりしながらフィルウェインの後ろをついていった。
◇
カーテンは全て閉ざされて、部屋の明かりは点けられていない。
しかし、ベッドの横に置かれた机の上に、小さく光るランプが点灯している。
その机では、エッグゴールドの金髪を束ねた少女が、何か手帳のようなものに黙々と書き込んでいた。
「……絶対拒否してやる……どうにかして、ぶち壊す」
エミリア・ロヴァルトは、目元をクマで覆い、ブツブツと小言を呟きながら、自らの運命に抗おうとしていた。
「ぶち壊すって言っても……ただ拒否するだけじゃ駄目。家に迷惑がかからない様に、王女殿下にも分かってもらえるように……エドに、知られない様に……明日、明後日には……」
手帳に書き込む万年筆を持つ手は、震えていた。
大きな空色の瞳にも涙が溜まり、本当は決壊してしまいそうな心の防波堤を、必死に自分で修復させる。
エドガーが既に知ってしまっているとは、エミリアは知らない。
どうにかして、自分の未来を切り開く為に思考を巡らせるも、先ほどから悪循環で最悪の結末しか想像できない。
「……くっ」
ぐしぐしと涙を拭い、真っ黒に埋まった手帳のページを破る。
貴重な紙が、などとは言ってられず、なりふり構わず書きなぐる。
「セイドリック・シュダイハ……シュダイハ子爵家の長男。詳しくは知らないけど、でも、噂は聞いたことがある……」
騎士学校で一度話題になった、快楽街を束ねる若い貴族の噂だ。
借金苦で、騎学に通えなくなった生徒が、セイドリックに助けられた。
しかし、その身体は売られてしまい。
結局騎士学校には戻れず、今も娼館で身体を売っている。と。
それがシュダイハ家の嫡男だと、騎士学校内では確定情報のように言われていたが、もしそれが本当だとしたら、エミリアはとんでもない男と結婚することになる。
「――っんんんんんっっ!!」
自分が見知らぬ男に身体を売るという怖ろしい事を考えてしまい、エミリアは口元を抑えて叫んだ。
「はぁ……はぁ……――っ!?」
部屋の扉の向こうに気配を感じて、エミリアは振り向く。
急いで小さなランプの灯を消し、息を殺す。
コンコンとノックがされて、訪問者が声を出した。
「……お嬢様。起きていらっしゃいますか?……フィルウェインです」
「私もいますぅ」
(フィルウェイン、ナスタージャ……)
「お食事をお持ちいたしました……ナスタージャが作ったのですよ」
「お嬢様の大好物ばかりですぅ!【チャコット】と【クーム】もありますよぉ!」
チャコットは若鶏の唐揚げ、クームはラム肉のハンバーグだ。
(……ゴクリっ)
幾ら気分が滅入っていても、腹は減るし眠くもなる。
空腹で、とても可愛らしいとは言えない腹の音が、ぐぅぅぅぅ!っと鳴らす。
(うぐぐぅ……)
扉の隙間から漂ってくる甘美な匂いに、自然と引き寄せられて、扉のノブに手がかかる。
それもその筈、扉の向こうではフィルウェインが、匂いを部屋に侵入させようと、予備のトレーで扇いでいた。
(――!!)
エミリアはハッとして、反対の手でノブにかかった手を抑える。
「……お嬢様。そこにいますね?」
(――ギクッ!)
向こう側のノブが一瞬だけ揺れたのだろう。
フィルウェインは誤魔化せない。
だが、エミリアは言葉を発さなかった。
「お嬢様。ドアを開けては頂けませんか……?」
「……ご、ごめんっ!」
エミリアは咄嗟に謝ると、扉に背を預けて抑え込む。
別に無理矢理開けられるとは思っていない。咄嗟に。だ。
「お嬢様ぁ……一緒にご飯食べましょうよぉ」
涙声のナスタージャが、エミリアを説得しようと語りかける。
「今日、エドガー君の所に行ってきましたよぉ」
「――っ!?」
――悪寒がした。エミリアは、エドガーに知られたのではないかと、背筋を凍らせる。
「ご安心ください。エドガー様のご様子を伺ってきただけです……明日には動けると、そうおっしゃっていましたよ」
「……」
まずは安心だ。でも、想定外のエドガーの話に、エミリアは揺らいだ。
個人的ではあるが、ロヴァルト家にもメイド達にも迷惑は掛けたくない。
それにエドガーだ。王家が関わっている以上、絶対にエドガーを関わらせてはいけないと決めていた。
【召喚師】を“不遇”と扱い始めたのは王家であり、それが広まりに広まって、貴族や下町でも【召喚師】は卑下していいものと捉われがちになっている。
エミリアは、それを知らなかった。
隠されていたとはいえ、ただただエドガーはやる気も根気も無く、けだるげな生活をしていたのだと、勝手に判断していた。
それを世話して、自分一人で納得していたのだ。
兄にエドガーがそういう扱いを受けていたと聞いた時、自分を呪いたくなった。
「エド……何か言ってた?」
「――!……い、いえ。お嬢様の事は話していませんから」
(すみません……お嬢様)
「ローザさんもサクラさんも、全然気にしてませんでしたぁ!」
「それはそれでムカつくなぁ……ん?サクヤは……?」
「……ね、寝ていましたぁ」
それだけは事実だった。
しかし、エドガーも異世界人達も、動き出している。
エミリアが知らないだけで、特にエドガーは自分のことなど考えていない。
王家や貴族などの事など考えずに、エミリアを助けようとしている。
ローザに諭されなければ、這ってでも向かっていただろう。
「今後も、エド達には言わないで、絶対……分かったら下がって」
俯きながら、エミリアは心を決める。
(絶対……破談させるっ!)
このままでは、いつエドガーに知られてしまう。うかうかなんてしていられない。
異世界人達がエドガーを占領してしまわない様に、短期で決めなければ、と、気合を入れる。
「承知いたしました、お嬢様」
「お嬢様ぁ、お食事ここに置いておきますから……せめて食べてくださいねぇ」
カタンと音が鳴り、フィルウェインとナスタージャは戻っていったようだった。
少し待ち、エミリアは扉を開け、一瞬でワンプレートを取って部屋に戻っていった。
◇
広い廊下の曲がり角で重なり合う様に。
フィルウェインとナスタージャは、エミリアが出てくるのを待っていた。
程なくして、ひっそりと扉が開き、何かをかすめ取る様にエミリアが手だけを出して、好物ばかりが盛られたワンプレートを持って行った。
物陰から見ていたメイドは、二人で顔を合わせて笑う。
「なんにせよ、お嬢様がお食事を取っていただいただけでもよかったわね……」
「そうですねぇ……でもお嬢様、エドガー君の事気にしてました……よねぇ?」
二人でメイド達の待機室に戻りながら、ナスタージャが言う。
「……一番、エドガー様のことをお考えになっているのでしょう、お嬢様は」
当然と言えば当然だ。エミリアがエドガーを好きなのは百も承知している。
エミリアだって馬鹿ではない。貴族の娘だという事だって十分理解している。
家の事や国のことを踏まえた上で、エドガーを優先しているはずだ。――多分。
「……だといいんですけどぉ」
「……」
若干不安になったメイド二人であった。
◇
こうして、各場所での一日は終わる。
シュダイハ家に侵入して、ルーリアと出会ったサクヤ。
エドガーの魔力を回復させたローザとサクラ。
一人で何とかしようと、策を考えるエミリア。
――しかし、ローザが魔力の譲渡によって体調不良を起こし。
倒れた事だけは、サクヤ以外の誰も、知ることはない。




