76話【ルーリアと言う女性】
◇ルーリアと言う女性◇
「――動くな」
音もなく床に降り立ち、埃自体が舞うのを忘れたかのような静寂の中で、サクヤの声はルーリアの耳に響いた。
ルーリアの首元には小太刀が当てられ、首の皮が少し裂けていた。
ゴクリと喉を鳴らすが、ルーリアは刺客がいたことに喜ぶ。
「……やっと来てくれたのね、刺客さ――」
「――喋るな、斬るぞ」
サクヤは身バレ防止のために顔全体を赤いマフラーで覆っており、仮面と合わせると完全に露出を防いでいるが、かなり苦しそうだ。
「……だ、だって……」
「だってではない。それに刺客でもない……こちらの質問にだけ答えろ、いいな?」
ルーリアは小さく頷く。
「よし……その前に、体勢を整えたいのだが……」
自らの失敗に気付いたサクヤが、苦しそうに言う。
「――へ?」
サクヤは無理に背伸びをして、ルーリアを脅していた。
理由は単純で、ルーリアがかなりの高身長だったからだ。
その背丈はローザよりもありそうで、サクヤとは頭一つ以上の差があった。
そんな女性の首元に刃物を当てていたのだ、一歩間違えば本当に斬っていたかもしれない。
「わ、分かったわ……叫ばないし動かないから、楽にして……?」
脅したはずが、逆に気を使われてしまうサクヤ。
「……」
ルーリアは両手を上げて降参している。
小さな侵入者は、その様子を見て安心したように息を吐き、頭のマフラーを外す。
「ふはぁぁぁ……苦しっ。すまぬな、脅してしまって。そなたに敵対心がないのは分かったのだが、念のためな。で、そなたルーリア……だったか?」
「え、ええ!?女の子!?あなたは本当に刺客なの?……小っさ」
かわいいものを愛でるように、サクヤの頭を撫でるルーリア。
「――おいっ!」
サクヤはルーリアの手を払う。
「きゃっ」
ルーリアはそれに驚きつつも、その勢いで放置されたままのソファーに座った。ボフンッ!モワモワと埃がサクヤを襲う。
「げっほ!……おいこらっ、埃が舞うだろうが!!」
ルーリアのあまりの敵対心のなさに、サクヤはすっかり警戒心を解いてしまっていた。
因みに、【心通話】でローザには伝えてはいる。
サクラが【心通話】を切ったままだったからだ。
「あ、ごめんなさい。つい」
「ついとはなんだ!ついとはっ!」
ルーリアも、刺客ではないと言ったこの侵入者が、こんな小さな少女とは思わなかったため、警戒心が緩んでいた。
「……ま、まぁいい。で、そなたは何者なのだ?ここにいていいのか?」
サクヤは腰に手を当てて質問する。
意外にも、ルーリアは素直に答えてくれた。
「私はルーリア・シュダイハ。この家の長女で子爵の娘。で、この屋根裏は私の部屋でもあるから大丈夫よ……次は?」
(よくしゃべる……だが丁度いい。利用させて貰うとしようか)
心の中でそう判断し、サクヤは質問を続ける。
「すだ……しゆだ……すだいはとはこの家の家名のはずだな。その娘が、何故女中……めいどの恰好をしている?」
シュダイハが言えないサクヤ。
途中で諦めた。
「シュダイハね?この服は……そうね、シュダイハ家に女は一切いらないからよ。私は娘で長女だけど、貴族としての価値はないんですって……妹も、もう嫁に出されているしね……」
ルーリアは短めのメイド服のスカート丈をヒラヒラさせて、つまらなそうに言った。
「それで娘をめいどとして働かせているのか……ま、まさか!正門でしていたようなことも……?」
サクヤは、正門で見たセイドリックに接吻をするメイド達を思い出して身震いする。
「ああ……あれ見たの……酷いでしょあれ」
「まぁ、いい趣味とは言えんな……」
「弟も、昔はあんなんじゃなかったんだけどね」
そう言って、ルーリアはセイドリックの事を話してくれた。
サクヤはまだ聞いてはいないのだが。
ルーリアによると、弟セイドリックは、【元・聖騎士】であり、ケガで引退はしたが実力のある騎士だったらしい。
おかしくなった(女遊びが激しくなった)のは、【聖騎士】を引退した後だと言う。
それまでは細身で長身、麗美な顔立ちで女性から人気もあった。
しかし、【聖騎士】を引退した直後から暴飲暴食や女遊びが増え、たった二年でああなってしまったという。
(確かに、見た目は酷いものだったが……)
髪は伸びっぱなしで、腹も何段かと言うほど出ていた。
隣にいた父親も似たような体系だったので、サクヤは似た者親子だと思っていたが、それは違っていたらしい。
更に、セイドリックは何人かの女性を囲っているとの噂。
残念ながらそれも本当らしい。
「弟には好きな女性がいたの……でも。その女性は、弟が【聖騎士】を辞めたら……」
「簡単に離れていった、と言うわけか」
セイドリックはそれから自暴自棄になった可能性が高い。
「将来が期待された人物の転落か……しかし、そんなことはエミリア殿の結婚とは関係ないからな……」
「エミリア……?それって、弟が結婚するっていう伯爵家の娘さんよね?」
ボソッと言ったつもりが、ルーリアは耳聡く聞いていたようだ。
ルーリアは身を乗り出してサクヤに詰め寄る。サクヤはそれを困ったように手で制して。
「……あ、ああ、そうだが。何か知っているのか?」
「う~ん。詳しくは分からないわ……でも、弟が好きそうな小柄な少女ってことは聞いたわね」
「……そ、そうか。それは何とも残念な話しだ」
自分もターゲットにされかねない情報に、サクヤは口の端を攣らせて答える。
セイドリックの悪趣味は兎も角、セイドリックの事は少し把握できた。
後は帰りたいが。
「ん?なんだ……その目は、わたしは刺客ではないのだぞ?そんな目で見られても、わたしはお前を殺すつもりは無いぞ。今の事を話すと言うのなら、別だが」
どうも破滅願望があるらしいルーリアは、サクヤに喜々の目を向ける。
ルーリアはサクヤが自分を殺しに来たと思っていたらしく、チラチラとサクヤの小太刀を見ていた。
「……そんなに死にたいのか……?」
「……うん。でも少し、考えは変わったかな。どうやら、あなたはセイドリックの事を調べているのよね?なら、今の情報を少しは活用できそうでしょ?」
「何が言いたい?」
サクヤにも何となく理解出来る。
ルーリアが言い出しそうなことが。
「――私を助けてくれない?……それが情報の見返りよ。出来るんじゃない?それくらい、ここに侵入してきたくらいなんだから」
「……」
(……確かに、殺してくれと言われるよりは幾分マシだがな……)
侵入自体はかなり簡単だった。しかし、救出をそれと同じくされては困る。
だが、このルーリアに情報を貰ったのも事実であり。無下にすることも出来ないのが、サクヤの人情でもあった。
「助けると言ってもだな……そなたはどうしたい?……そんな事、この家を出れば済むではないか、それも許されぬのか?」
サクヤはルーリアに疑問を投げかける。
「う~ん。私ね、死んでしまえば楽だって思ったこともあるのよ……貴族に生まれても、何の価値もない存在だと言われて……気づけばメイドよ?あ、メイドが悪いっては言わないけど――むしろ好きだけどねっ!」
変なところでヒートアップをするルーリア。
ボフ!ボフ!とソファーを叩き、埃が舞う。
「おいこら!何なのだっ!」
「あ、ごめんなさい……そうね……メイドとして働くのはいいわ。でもね、ここではイヤ!あんな父上を見るのも、弟が馬鹿をやることに何も言えないのもね……」
ソファーを叩き、埃が舞い続ける屋根裏部屋の狭い空間は、ルーリアが手を止めたことで静まった。サクヤがソファーを叩くルーリアの手を掴んでいたからだ。
「はぁ……分かった。分かったから長椅子を叩くのをやめよ。承知したから……わたしがそなたの働き口を探そう。抜け出すことに協力もしよう。だから騒ぐな」
これ以上騒がれてもかなわないと、サクヤは折れた。
「――本当っ!?」
「ああ。その代わり」
当然条件もある。【忍者】は慈善事業ではないのだ、使えるものは増やす。
「分かってるわ。私が話せる事なら何でも話すし、弟の事も調べておく」
サクヤが言いたいことを分かっていると言いたげなルーリアは、喜んで協力を申し出た。
「そうか、それは良かっ――むっ!?」
一つ安心材料ができたと思った矢先。
下の階に人の気配を感じた。
「ん?なに、どうし――むぐっ!!」
「静かにっ」
ルーリアの口を手で塞ぐ。
すると直ぐに、屋根裏の下階段から声がかけられた。
「――誰かいるの~?」
サクヤはルーリアに目配せし。
それにコクコクと頷くルーリア。
「わ、私よ……ルーリアよ。その声、ミルディでしょ……?今行くわ」
「……なんだ~ルーリア様か。またサボってるんですか?旦那様に叱られますよ?」
「あはは……ごめんごめん、今行――」
と、ルーリアは今までいたサクヤがいないことに気付いた。
「どうしたんですか?」
「あ、なんでもないわ。今行く」
(夢じゃないわよね。信じるからね、刺客さん)
ルーリアは梯子階段を降りる。
部屋には誰も居らず、先程叩きまくったソファーから舞う埃が、窓の光を受けてキラキラと見えるだけだった。
◇
誰もいない路地裏で、ガックリと項垂れるサクヤ。
「つ……疲れた。本気で疲れた……戦いの方がマシだな、これでは」
野菜が入ってると思われる木箱にのしかかり、ぷはぁと息を吐く。
「それにしても、なんなのだあの女は……面倒な事を言い出して……」
厄介な約束をしてしまった自覚があるサクヤ。空を見上げて「うむむ」と悩む。
「働き口……か。主殿の宿……は駄目だな、そもそも客がいない……すっぽかすか?いやいや、これでは不義理だ……情報を貰ったことは事実、忍の名に懸けて……約束は果たさねば」
ムンっと右手を掲げる。
「それにしても……なんとも理想と違う潜入任務であった」
本来は、屋根裏からコッソリと親子の会話を盗み聞きし、途中なんだかんだで見つかって大立ち回りをし、何とか脱する。と言うのがサクヤの筋書きだった。
が、降りた場所は屋根裏部屋。しかも直ぐに部屋の住人が出てきた。
更にその人物は、サクヤのような侵入者を求めていて、しまいには協力を取り付けると言う、真反対の事ばかりだった。
「しかも簡単に抜け出せてしまった……ルーリア殿は告げ口……してはいないようだが……ふぅ。戻るか、もう夕刻だし、ローザ殿やサクラからも連絡がない。一方的に【心通話】で伝えてはいたが、主殿がどうなったかも気になるしな……」
サクヤは立ち上がって、尻をポンポンと叩き土を払うと、一瞬で飛び立って屋根の上に立つ。
セイドリック・シュダイハの調査。
概ね済んだが、エミリアとの結婚を破談させるほどの情報はなかった。
なんだかただ不快感が増しただけだった気もする。
「さて、帰ろう」
◇
帰り道、屋根を飛び回りあることに気づくサクヤ。
「……もしかして、このまま屋根を跳んでゆけば……区画を回ってくる必要はないのでは……?」
遠くに見える、一際大きな建物【福音のマリス】を目視し。
「……おのれサクラぁぁぁぁぁぁぁ!謀ったなぁぁぁぁぁぁ!!」
屋根の上で、遠回りさせられたことに気づいたサクヤであった。




