48話【動き出す蟲毒】
◇動き出す蟲毒◇
「……誰だ」
その一言だけで、リューネは手に汗を握る。
暗闇の中で、信じるものを見失わない意志を漲らせた、強い思い。
【リフベイン聖王国】唯一の魔法使いであり【聖騎士】だった男。
【月破卿】レイブン・スタークラフト・ヴァンガード公爵。
「お初にお目にかかります、ヴァンガード卿……私は、【魔導帝国レレダニエス】現・皇帝ヴォルス・ラクエーン・レダニエスが長女……エリウス・シャルミリアと申します」
「……西の皇女か」
深々と頭を下げるエリウスに、隣に並ぶリューネは驚く。
一国の皇女が他国の一貴族に過ぎない人物に、ここまでの敬意を払うとは、リューネは意外だった。
しかしそれ以上に。
「ヴァンガード公爵閣下……まさか生きて、しかも国内にいたなんて……」
そうだ。この人物がこの場にいることの方が、リューネには衝撃だった。
死亡説に亡命説、数えたらきりがない程噂があった人物だ、きっとこの【リフベイン聖王国】の国民全てがリューネと同じく思うだろう。
「……皇女殿下が来たと言う事は……あの人は国を完全に出たのか……」
まるでこの皇女の助けが来るのを知っていた様な口ぶりで、【月破卿】ことレイブンは、何かに思いを馳せているようだが。
「――ええ。こちらもその方に言われて、私がお迎えに上がったという顛末ですわ」
エリウスは【裂傷の魔剣】を振るい、レイブンに巻かれた“魔道具”の鎖を斬り落としていく。
ジャラ――ジャララララ、と数十本の鎖がまとめて砕かれ、落ちる。
「すまないね……皇女殿下。手間をかけさせたようだ」
「いえ、卿は帝国にこそ必要な方だと、あの人も仰って――っ!?卿!?」
レイブンは直ぐに立ち上がり動こうとするが、エリウスの話の途中で貧血症状を起こし、倒れかける。
「――か、閣下っ!」
倒れるレイブンに駆け寄ったのは、リューネだった。
リューネは、レイブンの身体の至る所にある内出血や赤黒く変色している肌、その姿を見て戦慄を覚えた。
「……君は?」
リューネに支えられたレイブンは、優しい眼差しでリューネに問い掛けた。
「わ、私は……リューグネルト・ジャルバンと申します……騎士学校の――い、いえ、何でもありません……すみません」
レイブンから顔を背け、伏し目がちに俯くリューネ。
恐らく既に、騎士学生ではないであろう自分の身分。
この数日で、恐らく騎士学校側も、リューネが学校にも寄宿舎にも戻っていない事が知れ渡っているだろう。エミリアが言った可能性もある。
一瞬でも騎士であろうとしたそんな自分が、情けなくも悲しくなる。
「……そうか。どうやら巻き込んでしまったようだな」
そのリューネの仕草で全てを悟ったのか、レイブンはリューネの頭を一撫ですると。
「そうだ。君は、俺と来るがいいさ……」
「――えっ?」
意味が解らずに、きょとんとするリューネにエリウスが。
「あら卿、その子は私の部下ですのよ……?」
「いやなに、部下であろうとも、俺の娘にするのは構うまい?」
「――えっ!――えええぇぇぇぇっ!?」
エリウスとレイブンの話についていけないリューネは、ただ混乱するだけだった。
リューネが落ち着くのを待つ間、エリウスはレイブンに【月の雫】を使用し傷を癒していた。
「相変わらず凄い性能だな、コレは。あの人が夢中になる訳だ……」
身体が見る見るうちに癒えていくのを目の当たりし、レイブンはその効能に感嘆とする。
「これもまた、あの人達の知識と、我が帝国の技術力があればこそですわ。悔しいですが」
「なるほど。彼女等も一緒と言う訳か……」
「そういう事ですわ。天の加護と言うものは、斯くも恐ろしいものです……」
聖王国如きには創れないと自負できる、この完成された“魔道具”は。
ここ一年の短い期間で完成されたものが多い。
エリウスがリューネに使わせた【裂傷の魔剣】も、最近出来上がったものだ。
今頃本国では、新しい“魔道具”がドンドン生産されているだろう。
「あ、あの……エリウス様、閣下も……さ、先程の話は……」
少しだけ冷静になれたリューネは、もしかしたら自分の聞き間違いかも知れないと、二人に確認する。
「ああ。先程の通りだ、俺の娘になれ……リューグネルト」
当然聞き間違いなどではなく、事実だった。
開いた口が塞がらないリューネは――ギギギ。とネジの切れたブリキのようにエリウスを見る。
「この方の言う通りになさいリューネ。今後、帝国に行く事を考えても、後ろ盾があるのはいい事だわ。私も、後見人になろうと思っていた所だし」
「――ええ!いや……でも……私は……」
「安心していいわよ。この方なら、弟君も引き取ってくれるわよ。ねぇヴァンガード卿?」
エリウスは、本気でリューネを思ってくれている。
何故かは分からないが、本当にこの方は信用できると、心から思った。
「ああ……この国で言っても意味はないが、帝国に渡った際は、弟君も養子に迎えよう……それだけの自由は与えてもらえるのだろう?」
手首をコキコキと鳴らしながら、エリウスを見て確認するレイブンは、含み笑いをしていた。
「――ええ、勿論ですわ。同じ公爵位をご用意する準備はもうできていますし、何なら私と婚約いたしますか?皇族に成れますわよ?」
「はははっ。魅力的だな、だが爵位だけで十分さ。俺もまだ、自由を謳歌したいのでね。だがよかったのかな、そんな冗談を言って」
「構いませんわ。これくらいの遊び心をしなければ、聖王国まで来ませんわよ」
数年前からここで幽閉されていた男が、どうしてこうも明るく、伸びやかに話すことが出来るのか。不思議でならないリューネだった。
「……さてと、一頻り笑ったところで……殿下。これからどうするのですかな?……脱出はともかく、俺はまだこの国の人間に見られない方がいいだろう。俺を監視していた騎士どもも、現王の側近たちだ。そいつらは?」
死亡説や亡命説が流れる国の英雄が、生きて投獄されていたと知れれば、国はパニックになるだろう。
「いませんでしたわ。この施設の騎士達は手応えがありませんでしたし、事前に撤退していたのでしょう。私達の動きは悟られておりませんし、理由は他の何か……ではありませんか?」
「なるほど。現王は隠居気味で、長女のセルエリスが実権を握っている……完全に掌握したかな……もしかして」
「そうですわね……この施設の囚人達も、極端に数が少なかったことを考えれば。この施設を破棄しようとしていたのかもしれませんね」
「人を人とは思っていないのさ……この愚かな国は……」
「……ですが、今はまだこの国に自滅してもらっては困りますから……私の部下が、ここの騎士の遺体や拾い集めた家畜の死体を使って、何やら起こすようですので、それに乗じて国を出ます……よろしいですか?」
「ああ、構いませんよ。所で……何人、殺して来たのかな?」
ここに到達するまで、出て来る騎士は皆殺しにしてきた。
リューネは覚えていない。そんな余裕は彼女には皆無だった。
「ざっと230人ですわ。一人も逃していませんが、もしかしたら交代要員がいるかも知れませんし、余り長居は出来ませんわね」
ゾッとするリューネ。エリウスに逢ってから、身体が驚きっぱなしだ。
「エ、エリウス様は、倒してきた騎士を数えていたのですか?」
「――ええ、そうよ。貴女がトドメを刺した騎士を含めなければね。それhが礼儀でしょう」
たった少しの間で、231人が死んだ。
それも――全て警備の騎士だ。
だが、レイブンやエリウスの言うことが正しければ、その231人は切り捨てられたことになる。
それが聖王国のやり方なのかと、リューネは背筋を凍らせた。
名のある騎士は居なかったにしても、ほぼ一人で収監所の警備騎士を全滅させたエリウスは、途轍もない強者なのだろう。
「さて、傷も癒えたことだし、そのお仲間の所に行こうか……時間は限られていますからね」
「ええ、そうしましょう……中央の広間にいるはずです。遺体を運びだすと、連絡がありましたので」
と、耳に付けたイヤリングを触る。レディルもよくしている仕草だ。
(ああ、あれは“魔道具”なのね……だから連絡が取れていたんだ、あの時も……)
リューネは納得する。
「――?……後でリューネ、貴女にもあげるわね。今は無いから、国に帰ったらプレゼントしましょう」
視線がうらやましそうと思われたのだろうか、エリウスはリューネにも同じものをくれると言う。
「あ、すみません……そんなつもりじゃ」
「いいのよ。初めから渡すつもりでいたし。卿にも贈らせていただきますわ」
「それは助かる」
そんな会話をしつつ、暗い部屋から抜け出した三人。
特にリューネは、進む道に一切の死体がない事に驚くも、それを口にはしなかった。
レディルが運んだのだろう。どうやってかは、おそらく“魔道具”で。としか答えられないが。
「……眩しいな」
外に出たレイブンが、光に目を細めながら、数年ぶりになる外の空気を目一杯吸う。
すると、外にいた唯一の人間。
レディルが、待ちわびていたかのように声を掛けて来た。
「おせーよ……エリウス。――そいつが【月破卿】か、ヒョロヒョロじゃねーか!」
つまらなそうに、ジャーキーを口に咥えながらレディルが話しかけてくる。
が、そのレディルが座るのは――遺体、死体の山だ。
そのてっぺんに鎮座し、エリウス達を待っていたのだろう。
周りは血の匂いであふれかえり、遺体の山の麓からは、血流の川が氾濫して、広場の均された土を赤く染め上げていた。
「……ぅぅ」
「――慣れなさいリューネ、今後はもっと増えるのよ」
騎士を目指していたとはいえ、こんな死体の数を目にしたこともなければ、つい先ほどまで人を斬った事など無かったリューネ。
今もまだ手に感触が残っていると言うのに、慣れろは無理がある。
口を手で押さえるリューネ。
しかし、レディルがニヤニヤとしているのに気づき、意地で気を落ち着かせてエリウスの隣に戻る。
「……コレは大したものだな、これだけの遺体。それに家畜や動物の死骸か……これを使って、何をする気かな……?」
全く平気そうなレイブンは、山のてっぺんでジャーキーを齧るレディルに声を掛ける。
「へっ……よっ!……と。……コレさ……」
勢い良く死体の山から飛び降り、レディルが懐から出したのは、黒い塊。
岩から崩れ落ちたかのように不格好な形をして、所々から見える鉄の様な一部が、ただの《石》ではないと認識できる。
しかしその認識は普通ではなく、リューネも先日までは分からないままだった、あの出来事が無ければ、今もその概念は変わらないままだったはずだ。
「こんだけの死体があれば、ゾンビでだろうと蘇るだろ?」
「……ふむ。なるほど、反魂か――その《石》はもしかして」
レイブンは、察しがついているのかそれ以上を口にしなかったが、代わりにレディルが。
「この国の【召喚師】さまの家からくすね出したのさ……そこの嬢ちゃんがな」
リューネは一瞬後悔を顔に滲ませるが、直ぐに気を引き締める。
「あなたに言われたからでしょう、レディルさん……私が主犯の様な口ぶりはやめてください」
「へぇへぇ……わーったよ……はっ。言うじゃねぇか、あんだけ怯えてたガキが」
顔を赤くして、羞恥に歪むリューネの顔。
「やめなさいレディル……リューネも、ごめんなさいね」
「――エ、エリウス様が謝らないでくださいっ!」
リューネは頭を下げるエリウスに駆け寄り、困ったようにあたふたとする。
レディルは変わらず「けっ」と唾を吐いていた。
「……なんにせよ、これで時間が稼げるのなら構わないさ……さぁ、早速始めるとしようか。そのための俺なのだろう?」
「――話が早くて助かりますわ。【月破卿】、ヴァンガード卿……お願いしますわ――レディルっ」
「――あい、よっ!!」
レディルは手に持った黒い《石》。【タイラント・リザード】の《化石》を、死体の山に突き入れた。




