133話【進んで行く者たち2】
◇進んで行く者たち2◇
【王都リドチュア】。宿屋【福音のマリス】の一室で、紫紺の髪の女性が苛立たしそうに腕を組み、指でトントンと自分の二の腕を叩いていた。
今日、この女性の“契約者”である少年は、“召喚”を行う手筈になっている。
最近、この女性は自重して部屋から出ていない。
それを少年にも心配されたし、仲間の女性には「引きこもり“魔王”」とも言われて腹を立てたが、何とか怒りを抑えて今に至る。
しかし、その怒りが頂点に達しそうになり、部下の“悪魔”は部屋から逃げ出している。
その代わりに部屋にいるのは――。
「……あ、あの……ニイフ様――いえフィルヴィーネ……わたくしは、どうして呼ばれているのでしょうか?」
「――解らぬか?」
ギロリと、“魔王”フィルヴィーネ・サタナキアは、ドロシー――いや、スノードロップ・ガブリエルを睨む。
スノードロップは冷や汗を搔きながら、答える。
「い、いえ……存じています……あの話、です……よね」
あの話。スノードロップがそう言うソレは。
スノードロップが言い出した事だった。
仲間が来たら、フィルヴィーネの仲間たちに事情を話すと、そう約束していた。
そして、フィルヴィーネも当然気付いている。
一階にいる客の中に、その仲間がいるという事を。
「……」
無言の圧だった。
それだけでも、一般人なら卒倒するだろう魔力の圧。
魔力も《石》も自ら封じているスノードロップにとって、限りなく拷問に近いものがあった。
がしかし、スノードロップも屈する事なく、“魔王”に向かって告げる。
「もう暫し……暫しお時間を……」
スノードロップは、ドロシーの姿のまま床に膝を着き首を垂れる。
真剣に、圧に屈しそうになりながらも、想いを述べる。
「わたくしは……必ずや約束を果たします……その後にどうなろうとも構いません!ですので、ですのでどうかお時間を……!!」
スノードロップの仲間、ノイン・ニル・アドミラリ。
そして帝国皇女エリウスたち、一階の客室に泊まる宿泊客だが。
従業員として多少の接触があるだけだが、それでも、異常な事態なのは目に見えていた。
眠ることの多いエリウス、それに尽くそうとするノイン。
はっきり言って、計算違いも計算違いだ。
本来、主を持つノインが、他の誰かに主従のような関係をするはずもなく、エリウスにああしてくっ付いているだけでも異常だ。
しかも、魔力を分け与えている節まである。
スノードロップからすれば、どうしてそこまでするのかとノインを疑いたくなるレベルだったのだ。
フィルヴィーネは、指をトントンする事をやめ、しゃがみ込んでスノードロップの顎を持ち。
「……ならば誠意を示しなさい。スノードロップ・ガブリエル」
ゾッとした。一瞬で“神”の如きオーラを発して、輝く瞳をスノードロップに向ける。
目が合う。たったそれだけで、傅き足の甲にキスをしたくなるような。そんな神秘的な女性、【紫月の神ニイフ】が、スノードロップを視界に捉えていた。
「……何を、すれば……」
“天使”は“神”に逆らえない。
それは自然の摂理と同じであり、遺伝子に刻まれた最古の情報だ。
そしてニイフは、“魔王”でもあった。
スノードロップの問いに、口端を盛大に歪め、“女神”である事を忘れさせるほどの邪悪な笑顔を見せると。
「――簡単な事だ。お前が【召喚の間】から持ち去った……《石》を渡すがいい」
「――!!……初めから、それが目的だったのですね……フィルヴィーネっ」
スノードロップも気付いたが、もう遅い。
“神”の言葉で縛られた約束は、絶対に反故にすることは出来ない。
「……遅いのだよスノードロップ。我を怒らせたらこうなると、お前なら知っておっただろうに……随分と染まったのだな、この世界に」
「くっ……仕方ありません。それでも、待っていただけると言うのなら……」
そう言って、スノードロップはこの宿にドロシーとしてやって来たその日に回収した《石》を取り出す。厳重に《魔法》で封がされた、四角形の小箱を。
渋々ながら、スノードロップはそれをフィルヴィーネに差し出す。
「まさか、そのためだけに怒った演技までなさるとは、そこまで貴女様も……」
「――クックック、言うなガブリエル。我の楽しみは、自分の愉悦ではないのだ……想像してみろガブリエル。あの子供が、この世界を変える姿を……」
「世界を……変える?エドガー様が……?」
俄かには想像しがたい、あの笑顔の優しい少年の姿。
世界を変える?エドガーが?その為に、わざわざ演技までして《石》を?
「……わたくしに染まったと言いましたね、ニイフ様……わたくしだけではありませんよ、貴女様も、存分に染まっていらっしゃいます……」
「我が?……この脆弱な世界にか?笑わせるなよガブリエル」
フィルヴィーネはスノードロップの顎先ぽいっとを離す。
しかしスノードロップは、そのまま流し目で。
「違いますわ……世界にではありません……――エドガー様に、です」
「……」
その答えに、フィルヴィーネは何も答えなかった。
しかし、否定もしないその表情は、どことなく気まずそうに、けれどもどこか満足そうな顔だった。
◇
【召喚の間】で、エドガーとローザが“召喚”の為の最終チェックを行っていた。
一つ一つ“魔道具”を確認し、それぞれ複数個ずつ用意した“魔道具”もある。
その理由は、エドガーの通常の“召喚”の欠点を補う為の物だ。
エドガーの“召喚”は、一つの物しか呼び出す事が出来ない。
複雑な構造の物などを完成させるには、それこそ何度の“召喚”が必要になるのかと言うほどの時間がかかる。
詰まる所、槍を“召喚”し、完成させる為には、何度かに分けなければいけないのだ。
「よし。一番重要な金属が手に入った事が、やっぱり大きいね。しかも加工されてるから、手間も省けたし」
特殊金属【アルヴァリウム】は、槍の柄と穂に使う予定だ。
柄と穂、それを一本の槍として“召喚”し、回数も短縮するつもりなのだが、問題はそこまで上手くいくかという事だろう。
「柄と穂、口金に太刀打ち。他にも色々パーツは必要。足りるの?これだけの金属で」
ローザの疑問にエドガーは、【アルヴァリウム】を触りながら。
「そのための一本化だよ。強度をあげれば、パーツが少なくても強力なものが作れると思ったんだ。それこそ、ローザが作り出す炎の剣のようにさ……」
「……なるほどね」
元々ローザの考えとしては、槍のもとになる最重要パーツを、ローザが炎の槍を作りだし、それを中心にしてエドガーが他のパーツを“召喚”すればいいと考えていた。
しかし、エドガーは初めから、ローザの力を求めなかった。
それならば、ローザだって強くは言わない。
彼の成長を喜ばしく思うのは、何も“魔王”だけではないのだ。
「でも、悠長にしている時間はないわよ?エミリアが発って、そろそろ目的地に到着する日数なのでしょう?」
「……うん。聞く所だとね」
南の情報を知らないエドガーは、以前にちょこちょこ聞いた情報や、マークスから教えてもらった事などで想定した。
だから、“召喚”を急ぐに越した事はない。
「でも……本当にこれだけでいいのかな……?」
「“召喚”する為の“魔道具”がこれだけあって、まだ何か足りないの?充分だと思うけれど……」
エドガーが不安視するのは、“魔道具”が足りるか、なのだろうか。
固めて置いてある“魔道具”を見て、エドガーは「う~ん」と唸る。
ローザはやれやれと言いたそうに立ち上がり、エドガーの隣に。
一言掛けてあげようと、息を吸った瞬間。
「――それならば、コレを使うがいい」
後ろから掛けられた声に、二人は振り返る。
「……フィルヴィーネさん?」
「……何しに来たのよ、引きこもり“魔王”」
エドガーは驚いたように、ローザはジト目で。
久々に部屋から出てきた“魔王”様、フィルヴィーネが、【召喚の間】にやって来た。
煌々と輝く――《石》を持って。




