129話【足を滑らせたら即終了】
◇足を滑らせたら即終了◇
【リズリュー渓谷】の下まで降りていく。
それが目下の目的であるが。
「さあ、私が先頭に……ノエルディアは中間、エミリアは最後の馬車を先導なさい。その後ろは【従騎士】の馬車だけど、私の【従騎士】であるゼレンが先導します」
仕事モードのオルドリン様は、テキパキと指示を開始し、エミリアもノエルディアも、担当の馬車の前に移動を開始しようとする。
ゼレン少年だけが「え!俺!?」とあたふたしていたが。
「集中しなさい!落ちたら死ぬのよ!?」
「「了解!」」
「はいっ!――りょ、了解!!」
ノエルディア、エミリア。そしてゼレンが返事をする。
「――ノエル。エミリア」
「はい」
「――はいっ」
ゼレンは持ち場に向かい、オルドリンはそれを見届けてから二人に声を掛け。
「……時間をかけて、ゆっくりでいいから降りて行くわ。荷馬車には物資や食料が積まれているし、南への補充要因も乗っている。戦争だけが任務ではないと心得なさい」
【聖騎士】の派兵が重きに置いた任務だが、騎士の補充や食料や日常品の補給も兼ねていた。
馬車に乗っている騎士たちの命も、南の砦に勤務している騎士たちの命も、双方を預かっているのだ。絶対に、荷馬車を事故らせてはいけない。
「それじゃあ、気を付けて」
「「了解です」」
ノエルディアもエミリアも、真剣な顔つきで担当の馬車前に向かい。
そうして、降下を始める。
パカラ――パカラ――パカラ――
慎重に、ゆっくりと馬車を先導する。
オルドリンを先頭にし、連なって進む聖王国の騎士たち。
風の強いこの崖のような道を馬車で移動するのは、とても神経を使う作業だ。
しかも下に降りる坂道、急勾配とまでは言わないが、柵もないうえに道が悪い。
「……うぅ……緊張する」
王都の外がこの様な環境だとは知らなかったエミリアは、それでなくても緊張を抱えていると言うのに、馬車を先導して歩かなければならない事に重圧にドギマギさせられていた。
「……でも」
後ろをちらりと見る。担当馬車の後ろには自分以上に緊張した少年が、【従騎士】の仲間を乗せた馬車を先導している姿が目に入る。
それを思えば、自分はまだマシだと思えた。
「しっかりしないと……!」
きっと、馬車内の【従騎士】二人もそのほかの騎士も、怖いのは同じだ。
しかも、自分ではどうにもならない騎士たちの方が恐怖は強いのではないかと考えて、エミリアは気合を入れたのだった。
「……高いなぁ……」
(言われた通り、落ちたら終わり。即終了……だよね)
もしも滑落をしよう事なら、まさに人生即終了だろう。
王都には、鉱山や小さな森林はあるものの、こういった危ない場所は無かった。
北には【ルノアース草原】もとい【ルノアース荒野】が。
西には【カラッソ大森林】が。この南には、断崖である【リズリュー渓谷】がある。
東にも、【アッシャール砂漠】と言う砂塵の道が広がっていた。
「よくよく考えれば、私は全然知らないんだ……王都のこと以外、他の街も村も。何も知らない」
平和で、何の争いもない聖王国。
しかし、東西南北を自然の要塞に囲まれた国には、中央の王都以外、存在しない。
存在しないのだ、他の街や村など。
それを、知らない。
王都の人間は、自分たちしかいないと言う事を、知らなすぎるのだ。
◇
「……うわぁっ!!――あ、危なっ!!」
強風が吹き、馬が急停止した。
叫んだのは最後尾、ゼレン・ホロート。
【従騎士】になったばかりの少年だ。
前からエミリアの声で「――だいじょーぶ!?」と聞こえ、ゼレンは慌てて。
「すみませんエミリアさま!平気です!!」
「そっかー、よかったー」と聞こえ、ゼレンは迷惑をかけなかったとホッとする。
しかし担当馬車の中から。
「ゼレンさん!ビックリするじゃないですかーー!!」
「――ちょっとレミーユ!座ってて!!ゆ、揺れる揺れる!!」
同僚の【従騎士】レミーユ・マスケティーエットとリエレーネ・レオマリスが、あわあわし出して。ゼレンを更に慌てさせる。
「うるさいな!!なら代わってくれよぉ!!」
「私、馬乗れないですし!」
「すみません……」
実は、二人共乗馬が出来ない。
レミーユは貴族令嬢で、乗れても不思議ではないが、どうやら家に閉じこもってばかりいたらしく、初対面時の挨拶で「槍しか出来ない」と何故か自慢げに言っていた。
そしてリエレーネも馬に乗れないらしく、結果としてゼレン一択だった。
「……マジで、怖ぇよ……」
自分の乗る馬を落ち着かせて、ゆっくりと進みだす。
前方の先輩騎士たちも、待ってくれている。
「――やばっ……!ゆっくり、ゆっくりだぞ~」
どうどう――と肩を撫でて、直ぐに軍行に戻る。
リカバリーの速さは、非常に優れたゼレンだった。
日が完全に沈みそうな程に進んだ頃、先頭のオルドリンが。
「見えてきましたね……もう少しですよ!」
後ろでも、オルドリンの声が聞こえたノエルディアとエミリア、ゼレンが安堵する。
まるで同時に息を吐くのが分かるほど、緊張が解かれていく。
「油断するんじゃないわよっ!?」
「「「――は、はい!」」」
新米たちへの激に、何故かノエルディアまで返事をして。
幸いなことに何事もなく、崖を降り切るのだった。
◇
崖を降り切ると、そこには小さな小川と天国の如き平地が広がっていた。
エミリアは内心で大きな安堵のため息を吐き、馬車の御者をしていた騎士を労う。
「お疲れ様です。疲れましたね……」
「……そうですな。ですが、わし等はもう慣れっこですわ」
ガハハと笑う老年の騎士。
騎士としてのピークはとっくに終えているであろう年齢の騎士は、おそらく前大臣の私兵だった人物だと、エミリアは予測する。(第1部3章【近未来の翼】参照)
老騎士たちは多くの数が職を失っていたはずだが、こうして御車をしている所を考えると、その後の処理が最善に事が運んだのだと思える。
「慣れっこって……もう何度も?」
「ええ。わしは月に一度程度ですが、他の御車をしとる奴は場数も多いでしょうな。ですが、もうまともに剣を持つ事が出来ないこの身。若者の力になれるのなら安いものですわっ。ガハハハ!」
物資を届ける為に、何度もこの崖を昇り降りしているらしい。
大変な仕事だが、笑って全うする老騎士には頭が上がらない思いだ。
「……」
「お嬢さん……いや失礼しましたな、【聖騎士】様は遠征は初ですかな?」
「あ、はい……新人なので。あと、お嬢さんでいいです……ひよっこなので……」
笑ってそう言うエミリアだったが、少し遠くから先輩騎士が。
「――駄目に決まってんでしょ!エミリア。【聖騎士】は国のトップの騎士よ?普段はともかく、今は仕事中……その騎士もそれが分かってあんたに謙譲してるのよ?」
「……うっ。すみません」
馬上のノエルディアに厳しく言われ、シュンとする。
老騎士は「すみませんなぁ」と申し訳なさそうにしているが、これが当たり前だ。
エミリアが、誰かさんのように染まり過ぎていただけで、上下関係は当然ある。
それがましてや国の中枢足る【聖騎士】と一般兵の会話。
それですら、気ままに自由に話す事は許されないのだろう。
「――ジャック・ロノール。貴方の隊長が呼んでいます……後方の騎士たちを集めて、野営の準備をするとの事よ」
「はっ。感謝申し上げます。【聖騎士】ハルオエンデ殿」
老騎士は小走りで後方へ向かっていった。
「……」
エミリアの驚くような視線を感じ、ノエルディアは。
「……何よ?」
「あ、いえ……ノエル先輩、ちゃんと【聖騎士】だったんですね……」
「――ぶっとばすわよ?」
先程まで乗り物酔いしていた女性とは思えず、つい本音が漏れた。
「す、すみませんでした!!」
仕事中のノエルディアは、もしかしたら格好いいのかもしれない。そう思ったエミリア。
(あのおじいちゃん騎士の名前も覚えてたみたいだし……なんか普通に格好よかった。ふ、普段の服装とサボり癖が強すぎて忘れがちだけど……この人、偉業を成し遂げて【聖騎士】に成ったんだった、そう言えば……)
ノエルディア・ハルオエンデ。
エミリアとアルベールの前に【聖騎士】に成った19歳の女性。
普段のメイド服と、城での仕事のサボりっぷりから忘れがちになるが。
この女性もまたエミリアと同じく、偉業を成し遂げた傑物だ。




