127話【新しい朝】
◇新しい朝◇
「ありがとうございます。マスター……」
メルティナは外した《石》を、事前に【クリエイションユニット】で作っておいたケースに仕舞った。
慈しむ様に、自分の分身である《石》を、大切そうに胸に抱いた。
「身体は大丈夫……なんだよね?」
「イエス……少し違和感はありますが、いえ……違和感と言うよりも」
「よりも……?」
メルティナは普段から頭に着けていた、耳を覆うヘッドギアを外す。
エドガーは「あ、それって取れるんだ……」と驚いていた。
しかしそれよりも、今まで人形っぽいと思って見ていたメルティナが、何故だか急に女性的な雰囲気を醸し出しているように映る。
「不思議ですね……この違和感、これはきっと、人の視点なのでしょう」
「視点?それって……」
メルティナは、《石》を中心に行動、または考えを巡らせてきた。
それが無くなって、今は完全に人間の身体のみとなっている。
その結果、常に視界に映っていた数値やゲージが無くなり、全てがクリアな状態で見えていた。
それは、“天使”のジャミングによって不具合を生じさせた、【禁呪の緑石】から発せられるノイズやアラートまでも、消え去っていると言う事だった。
「とても、気分がいいのです……まるで、生まれ変わったかのように……フフっ、ワタシがそんなセリフを言うだなんて、マスター……いえ、ティーナが聞けば喜びそうな事ですね」
前マスター・ティーナを引き合いに出して、これが人間の見ていた景色なのだと笑う。
「……嬉しいんだね。メルティナは」
「嬉しい……なるほど、確かに。理解できます……これは、初めて視覚を得て、親を認識した赤ん坊のようなもの、でしょうか……」
「……親、か……そうかもしれないね」
どこか遠くを見るように、エドガーは言う。
「マスター。改めて、感謝します……言葉を尽くしてくれて、ワタシを一人の人間にしてくれて……ありがとうございました」
「い、いや……僕は何もっ。メルティナが、しっかり自分と向き合った結果だよ……」
「そうでしょうか……そうですかね」
「あ、そこは納得しちゃうんだ……」
二人は。
「フフフ……」
「あはは……」
笑い合った。
メルティナの笑顔は、いろいろな事柄から解放された、安堵の笑顔だったように、エドガーは感じたのだった。
「それじゃあ、僕は戻るけど……本当に一人で大丈夫かい?」
「イエス。マスターが持って来てくれた食事を取って、それから眠りたいと思います」
部屋の外に出てから、心配する父親のようにメルティナに問うエドガー。
メルティナも、それを笑顔で聞いているが次第に。
「本当に大丈夫?不安だったら、やっぱり僕も、今日は朝まで起きて……」
「大丈夫です」
「う~ん。でも……やっぱり――」
「マスター。しつこいと、流石に怒りますが」
「……」
シュン――とする。
しかし、瞬時にシャキッとし直して。
「……分かった。戻るよ……金属塊、ありがとね――メル」
「……ノー。お気になさらずに、それでは、おやすみなさい。マスター」
「うん、おやすみ」
ぱたんとドアを閉めて、ベッドに向かう。
身体を何度も確かめながら。
「……ん?」
この違和感はなんだろうか。
なんだか、とても大切な物をスルーした気がするメルティナ。
「……」
『ありがとね――メル』
ボッ――!!
一気に、頬が上気した。
「あ……あわ……あわわ……」
両手を当てて、ボフッとベッドに倒れ込む。
顔だけを起こし目を開けると、先程の少年の笑顔が浮かび上がってきた。
「あ――ばぁぁぁぁぁぁぁ!!」
枕に顔を押しつけて、叫ぶ。
自分から進んで、メルと呼んで欲しいとエミリアやローマリアに言った。
だが、そう言えばエドガーには言っていなかった。
それが、なんだあれは。
突然、エドガーが勝手に呼んで来た。メルと。
「……ふ、不意打ち過ぎます……マスター……あ、れ……マスター……ワタシ、急に……眠……く――」
興奮と疲労。
両方に一気に責められて、メルティナはそのまま――微睡に落ちたのだった。
◇
朝。メルティナは空腹で目を覚ました。
「……平気なようですね。身体も……心も」
胸に手を当て、トクントクンと音を鳴らす心音を確かめる。
ぐぐぐ――と背伸びをして、二階の一室である事での不便な点である、灯りを点ける。
「朝なのに火を灯さなければいけないのは……この宿の欠点ですね」
一階も二階もそうだが、【福音のマリス】は内装が微妙におかしい。
奇数部屋には窓があるのだが、偶数部屋には壁窓がないのだ。
天井に簡素な天窓があるだけで、基本的には暗い。
偶数部屋は宿の内側に存在する為、どうじても窓が付けられなかったのだと言う。
欠陥だと言われても仕方が無い仕様だ。
「……お腹が空きましたね……昨日の――は、むぅ……」
昨夜エドガーが持って来てくれた食事は、食べようと思っていたその前に、気絶するように眠ってしまった。不覚である。
「マスターが折角用意してくれたものです。食べない訳にはいきません」
メルティナはトレーを持ち、どうにかして温めてもらおうと部屋を出る。
「……」
(《石》を外してしまった以上、ワタシは何も出来ないただのお荷物です……それでも、そうするべきだと信じて、信じて貰えたおかげで……ワタシは)
メルティナは【クリエイションユニット】を腕にはめている。
しかし、起動はしていない。ただの腕輪の状態だ。
今は、何も出来ない。きっと能力、【解析】も発動は出来ないはずだ。
だが、エドガーが同じ考えを持ってくれて、それを超えられると信じてくれる。
焦りはある。だが、迷いはもう無い。
「おや……?あれは……!」
一階まで下り、ロビーに出たメルティナが見たのは。
栗色の髪の――女性だ。
ドロシー。姓は不明。
聞く所、「自分の国では貴族しか姓を持たない」と説明したそうだが。
メルティナ見ている事に気付いたドロシーは、不思議そうな顔で近寄ってくる。
「……」
昨日までのメルティナなら、彼女と目が合った瞬間に退散していた事だろう。
(大丈夫……ノイズも、ハウリングもありません。頭痛も眩暈も、起きません)
逃げていた。
ドロシーに恐怖を覚える程の違和感を感じ、それが何か理解できなくて。
顔が暈ける程に歪んだ《石》のシステムから解放されたメルティナに、もう【妨害】によるまやかしは意味が無いのだ。
しかし、認識阻害《魔法》【魔封光】は別だ。
スノードロップ・ガブリエルは、確かにメルティナの《石》に《魔法》をかけた。
それは、記憶に齟齬を与えるものであり。
【東京タワー】で戦った人物を、ぼやけさせるものだ。
それはつまり、今メルティナの前にいるのは、疑惑のある反応を示していた女性。ではなく、ただの一般人としてしか、映らないのであった。
「おはようございます。えっと……メルティナさんですよね?」
「……イエス。あなたは、ドロシー……でしたか……?」
(普通です。違和感も、不気味さも……何も無い。ただの優しそうな、綺麗な女性です)
「よかった……メルティナさんが普通に話してくださって」
「……申し訳ありません。体調が優れなかったもので」
メルティナはぺこりと頭を下げる。
ドロシーは「いえいえ!そんな」と謙虚に対応する。
(やはり……ワタシの気のせいだったのでしょうか。それだけ、《石》が不調だった?)
考え始めてしまっては、キリがない。
しかし、空腹は待ってくれなかった。
ぐぅぅ――、とメルティナの腹の虫が鳴く。昨日から数えて、もう何度目だろうか。
「……た、大変ですね、厨房に行きましょう。丁度、朝食の準備をしていたんです」
「……そうですね……では、これを温めて、一緒に食べましょう……」
その誘いに、ドロシーはパァ――と笑顔を咲かせて。
「――そうですね!メルティナさん!」
そうして、ドロシーは厨房へ向かう。
メルティナもついて行くが、その視線は鋭く、ドロシーの背を射抜いた。
「……ふんふん~ん」
鼻歌交じりに、ドロシーはスキップでもしそうな勢いだった。
「……ワタシの考えすぎでしょうか」
ぼやけた顔の人物に似た反応は、もう感じる事がない。
違和感は消え去って、メルティナの体調も良くなった。
それをよしとするべきか否かは、この先、メルティナが天空に戻った時に分かるだろう。




