119話【虚無の国】
◇虚無の国◇
【王都リドチュア】を出て西、【カラッソ大森林】。
何もなく、ただ虚しく広がる木々と山。
多少の野生動物と植物、西方面にのみ伸びた馬車の車輪跡。
行き交う人間など誰一人としていないこの森に、数台の【魔導車】が停車していた。
黒銀の翼を模したマークを施した、鉄の車体。
動物など必要としない、強力な馬力。四輪駆動の、帝国の新技術。
その【魔導車】は、皇女エリウスを追う新設騎士団、【黒銀翼騎士団】の騎士たちが使用する、魔力によって走る大型の“魔道具”だ。
一回り大きい【魔導車】から降り、【カラッソ大森林】を見渡す少年。
バルク・チューニ。黒騎士たちの団長だ。
バルクは、手に持った小さな測定器を宙に翳し、数秒待つ。
しばし経ち、ピピピ――と鳴った測定器を、バルクが確認すると。
「……やっぱり、王都へ近付くほど、魔力が薄くなっていきやがるな……」
【黒銀翼騎士団】が、皇女エリウスの保護と言う、名目上の捕縛命令を受けて、ノンストップで進行を続けていたが。
【カラッソ大森林】に入り数日、ついに【王都リドチュア】を目前にした黒騎士たちは、観察と言う名の休憩をしていた。
「――団長ぉ~」
「……あ?」
小さな声でバルクを呼ぶのは、団員の一人ウォイスだ。
【魔導車】から顔だけ出して、したり顔してバルクを呼んでいる。
バルクは糸目を更に細くして、嫌そうな顔をして戻る。
「どした?」
ウォイスはちょいちょいと手招きし、指を自分の座る隣、助手席に向ける。
そこでは、副団長のノーマが眠りこけていた。
シートを倒し、外側に向いて。
ウォイスはノーマのスカートを指差して、「見ろ見ろ」とにやける。
「……お前……」
眠るノーマのスカートは、シートベルトで捲れて下着が見えていた。
それをウォイスは、わざわざ見ろと呼び出したのだ。
団長は仕事をしていると言うのに。
「……ほら見ろよ……黒いぞ~」
「お前、マジで死ぬぞ?」
「バレなきゃいいんだよぉ……へっへっへ……眼福眼福」
バルクは「付き合ってらんねぇ」とため息を吐いて、もう一度測定器を確認する。
魔力の数値はドンドン低下していっており、0~1を行ったり来たりしていた。
「……こりゃ、人員が足りねぇかもな……」
その意味は。
この数値0~1。つまりは、ほぼ魔力がない状態だ。
【魔導車】は魔力を使用する。
専用の魔力タンクがあるものの、それも数が限られており。今いるメンバーは選抜された騎士たちだ。
魔力タンクが無くなれば、残るは自分たちの魔力のみ。
皇女エリウスを捕らえられたとして、帰りの分の魔力を残す事が出来るだろうか。
エリウスは、騎士団の数人を倒している。
戦うことになれば、おそらく無傷では済まない筈だ。
休憩を終え、【王都リドチュア】に潜入するにしても、これではメンバーの厳選が強いられる。
「……まさか、ここまで魔力が枯渇しているなんてな……ラインハルト陛下は、なんだか知っているような素振りだったが……」
帝国の新皇帝ラインハルト・オリバー・レダニエス。
彼もまた、18歳の若者だ。任務に積極的な妹姫エリウスと違い、聖王国にも来たことはないはずだ。
しかし、彼の知識量は驚くほどに豊富であり、バルクたち【黒銀翼騎士団】が命を受けた際も、聖王国の特徴を助言してくれたのだ。
「……――げっ!!ち、違うんだ……ノーマちゃん……ち、ちがっ」
「……」
どうやら起きたであろう副団長ノーマ・グレスト。
聞こえてくるウォイスの弁明を、バルクは完全に無視して。
思考するは、【王都リドチュア】侵入作戦だ。
「――私の下着を盗み見たわね、ウォイスぅぅぅ……」
「ち、違うんだ!――ふんぎゃあああぁぁぁぁぁぁ!!」
ノーマの怒りを、ウォイスはどこで受けたのだろうか。
そんな事考える事もなく、バルクは。
「うるっせーんだよ!!お前らぁぁっ!!」
黒騎士たちは、もう直ぐエリウスを探しに王都へ入る。
それは、また一つ、戦いの幕開けであった。
◇
ドサッッ――!!
「――うぐっ……」
ベッドから落ちて、メルティナ・アヴルスベイブは目を覚ます。
時刻は真夜中、もう誰もが寝静まった時間だろう。
「……ワタシは」
自分の身体を触ると、ぐっしょりと濡れた不快感に顔を顰める。
「ボディを拭きましょう……」
何とか立ち上がり、自室を出る。
すると。
「――え!?」
「――うわ!?」
入口で、丁度部屋に入ろうとしたらしいエドガーと鉢合わせた。
「マ、マスター……?」
「メルティナ……平気かい?」
エドガーは、トレーを持っていた。
乗せられているのは、軽食と飲み物。それと明かりの小さな【明光石】だった。
「ワタシは平気です……マスターは、このような時間に……何を?」
本当は気付いている。エドガーがメルティナを心配して、様子を見に来てくれたのだと。
しかし、昼間のように。メルティナは突き放すような噓を。
「……メルティナ。もういいよ……」
「――何が、でしょう?」
エドガーは何も言わず、右手を見せる。
それは、《紋章》だった。
「……それは」
【真実の天秤】。
エドガーの能力であり、ローザとフィルヴィーネの契約効果による【接続能力】だ。
右手甲に光るその天秤の《紋章》は、緑色の球体が皿に乗り、下に沈んでいた。
それは、噓を見破る能力。
異世界人限定だが、エドガーと契約した異世界人の間の噓を看破するものだ。
「もう、分かってるから……そんな噓、言わなくていい……」
「……ワタシは、そんなつもり……」
「「……」」
無言。真夜中の宿の廊下で、二人。
先に言葉を発したのはエドガーだ。
「とにかく、部屋に行こう。そんな汗じゃ、風邪をひいちゃうからね……」
「ノ、ノー……ワタシは」
「うん。だから待ってて……お湯を持ってくるよ。悪いけど、タオルを用意しておいて?ごめんね?」
スタスタと、エドガーはメルティナに有無も言わさず、一階に向かった。
メルティナは、エドガーの背を見ながら。
「……どうして、『悪いけど』なんて言えるのですか……?マスター、悪いのは……ワタシなのに……『ごめんね』と謝るのですか……」
エドガーの人を思いやる優しさと、その温もりに、メルティナは泣き出してしまいそうだった。




