115話【久しぶりのお客様3】
◇久しぶりのお客様3◇
宿屋【福音のマリス】。
過去、王都一の宿屋であり、しかし今は閑古鳥の鳴く廃れた名店。
その正体は超大型の“魔道具”であり、【召喚の間】をコアとした、複合“魔道具”だ。
昔からの歴代【召喚師】たちが、長年の時間をかけて増設してきたその専用施設は、先代【召喚師】エドワード・レオマリスの手によって、宿屋へと生まれ変わった。
妻であるマリスの名を冠して、生活のため、そして呪縛から逃れる為に建設したその場所に。
今、二人の異世界人が帰って来た。
一人はスノードロップ・ガブリエル。
“天使”であり、ドロシーの名で帰って来た彼女は。
姿と名を変え、主であるエドガーに悟られない様に行動をしている。
そしてもう一人、ノイン・ニル・アドミラリ。
“月描”と呼ばれる獣人の少女は、帽子でその特徴ある獣耳と尻尾を隠して、数人の新たな仲間と共に、宿に到着していた。
「なぁ。これどうすんだ?」
唯一の男メンバーであるレディル・グレバーンが、閉じている入り口に疑問を持つ。
時間が遅いとはいえ、宿が閉まるには早すぎる。
そんなレディルに、十数年ぶりに帰って来たノインは。
「そこに置いてある呼び鈴があるでしょ。それは“魔道具”だから、鳴らせば誰か従業員が来るよ」
実際は、異世界【地球】などで使われる類のカウンターチャイムだ。
ワイヤレスのセンサー式で、宿の部屋前などには全室に設置されている。
それを見てリューネが。
「あ、そう言えば……以前それを鳴らせば直ぐに来るって言ってました……」
リューネが宿に泊った(泊ってない)時、エドガーが説明していた。
「へぇ……これがねぇ……」
【魔道具設計の家系】であるレディルが、興味ありげにそれを見る。
全室に設置されているブザー式であり、押せばどこの部屋で鳴ったかが分かる仕様になっている。
「早く押しなって……」
ノインは、周囲を見渡しながら。
見たことのないタイプの“魔道具”に興味津々のレディルにを急かす。
「お、おう……」
そして、その音がきっかけで。
スノードロップはサクヤの前でミスを犯すのだった。
◇
(失敗だ……こんな凡ミスっ!わたくしは何のために《魔法》まで使って……)
スタスタと玄関に向かい、自分が犯した失態を悔いるドロシー。
元凶となった鈴の音は、自分が聞いた事のあるものであり、サクヤや他の少女も聞いているものだと勘違いをした。
宿が廃れているとはいえ、まさか誰一人として客が来ていなかったとは、思いもしなかったのだ。
それを、サクヤの反応で察した。
逃げる様に玄関ロビーへ向かうドロシーだが、後ろからはサクヤの視線がついてきている。
これ以上襤褸を出さないように、ドロシーは気合を入れ直してサクヤの視線に耐えた。
ロビーの蝋燭に火を灯し。
ドロシーは玄関を開ける。そして。
「――ど、どちら様でしょうか?」
「……と、泊りたいのだけど……」
お互い、一瞬で察する。
(ノイン……近くにいるのは分かっていましたが、急すぎです!)
(――マリス?……い、いや……そんなわけない。スノー……だよね、きっと)
後ろにいるサクヤには見えないが、ドロシーの顔は引きつっている。
襤褸を出さないと決めたばかりで、まさかの相棒登場だった。
一方でノインの方も、誰が対応してくるかは予測できなかったが、まさか旧友であるマリスによく似た女性が出てくるとは思わず、声が上ずってしまっていた。
「……素泊り、ですか?」
ドロシーの何気ない質問に、耳をピクリと動かしたのはサクヤだ。
【福音のマリス】は素泊り出来るのか、と疑問に思ったのだろう。
「五人いけるか?」
ドロシーにそう言う、フードの男。
見れば、帽子の少女と一人の女性以外、フード付きの法衣を羽織っている。
無論ドロシーは知っている。誰が誰なのかを。
そしてドロシーは、サクヤを誤魔化すために。
「――サクヤさん。メイリンさんはまだ残っていますよね?」
「……ああ。帰りの支度はしていたが……まだいるはずだぞ?」
疑惑の視線が痛い。
眼帯の下からでも感じる左眼の圧力に、魔力を抑えているドロシーは気落ちしてしまいそうだった。
しかしサクヤは。
「しばし待っていてくれ。呼んでくる」
「助かりま――」
シュン――。
「……なっ」
「「「「……」」」」
目の前で、《魔法》の反応もなく消え去った黒髪の少女。
男に抱えられる小柄な少女以外、口をポカーンと開けて、呆然としていた。
ドロシーの背後から、ノインが小声で。
「スノー……だよね?」
「……ええ」
「何してんの?」
「……いろいろあったのです」
「なんでマリス?」
「……分かりません」
「あの小さいの、何者?異世界人だよね、確か」
「名はサクヤ。わたくしたちが《石》を置きに来た時に地下にやってきた子ですよ」
「あ~。あの時の片割れか……」
「ええ。それにしても……」
ドロシーはちらりと、未だ眠るエリウスを視野に入れ。
「エリウスはまだ回復しませんか……」
「――うん。むしろ、聖王国に来てから更に回復が遅くなった感じかな――っと、来たみたいだ」
ノインはドロシーから離れる。
すると。ロビーの右手側からやって来る、焦ったような女性が。
その女性、メイリンは開口一番。
「……ほ、本当だ」
と、何かを確認するように驚いていた。
そして後ろから。
「だから言ったではないか。お客人だと……頑なに信じようとせぬから、そんな顔になるのだぞ……メイリン殿」
どうやら、メイリンはサクヤの言葉を信じなかったらしい。
いきなり「客が来た」と言われても、今の【福音のマリス】の経営状態からすれば、気持ちは充分に分かるが。
「そんな事を言ったって!――あ!、いやすみません……」
メイリンはサクヤに文句でも言ってやろうかとも考えたが、目に入った眠る少女を思い。
直ぐに従業員として対応を開始する。
「ようこそ【福音のマリス】へ……本日はご宿泊ありがとうございます。お部屋はいかがされますか?」
営業スマイルがぎこちない。
久しぶりのお客様に、流石のメイリンも緊張しているようだ。
「……二部屋お願いします。一つは大部屋がいいのですが……」
答えたのはオルディアだ、唯一素顔を完全に晒す女性に、メイリンは。
「それでしたら一階の109号室、二階の209号室が四人部屋になっております。どちらも隣室が空いておりますので、勝手がよいかと思われますが……」
メイリンの説明に、オルディアは確認するようにノインとレディルを見やると、ノインが人差し指を立ててオルディアに向ける。
コクリと頷き、オルディアは。
「では、一階の部屋をお願いします……期間は……」
と言い、もう一度ノインを見る。
するとノインは少し焦ったように。
「――あ、っと……」
(やば……決めてなかった)
(そういう所ですよ、ノイン)
ドロシーの視線を一瞬感じながらも、レディルと目を交わせて。
「うん……取りあえずは十日ほど滞在したいかな……いいよね?」
メイリンが羊皮紙にメモをしながら。
「かしこまりました。お一人様一泊、銅貨3枚になりますので……」
「「……ぇ?」」
驚いていたのは、ノインとドロシーだった。
その破格の値段に思わず、ドロシーはメイリンに耳打ちする。
「メイリンさん……あの……その価格は、正常ですか?」
「そうですよ」
「そ、そうですか……」
全盛期の【福音のマリス】を知っているドロシーとノインは、値段が変わっている事に対して、心からショックを受けた。
あまりにも衝撃的な下落に、主であるエドガーが心配になって。
しかしそんな事に気付かぬメイリンは、お構いなしに。
「では、ご案内いたしますね……こちらへどうぞ。お連れ様も、お休みのようですから……」
エリウスに一度目をやり、案内をし出す。
「……う、うん。じゃあ行こうか……」
ショックを隠し切れないノインは、てくてくとメイリンについていく。
宿に着いてからやり取りをしていなかった他のフードの人物たちも、それに倣って歩き出すのだった。




