109話【エミリアの準備】
◇エミリアの準備◇
昼に差し掛かる時間。
【リフベイン城】の一室で革鞄に詰め込むのは、着替えだった。
事前に説明された事を脳内に置き、エミリアは替えの下着やシャツ、【聖騎士】制服を無理くり詰め込んでいた。
早朝、直ぐに馬車を走らせて。
王城に着いたエミリアは、ローマリア王女に報告と感謝を述べに行った。
その後、派兵の準備を命じられたのだが。
その際のローマリア王女の、嫌そうに命令を出す顔と言ったら、実に憎々しいものだった。
ローマリアはローマリアで、姉であるセルエリス王女に「言え」と言われたのだろう。
エミリアはその様子を思い出し「フフフッ」と笑いながら支度をしていた。
そして。
「……ぃよしっ!!」
んふぅーと息を吐き、満足そうに頷く。
しかし、突如掛けられる声に驚く。
「――何がよし!よ――エミリア」
窓の外から聞こえた声に、エミリアはハッ――として振り向く。
「この声……――ロ、ローザっ!?」
急ぎ窓を開けると、狭めのバルコニーにこっそり隠れる、ローザがいた。
その姿はうっすらと赤く透けており、しかし段々と輪郭を現す。
「や、エミリア。昨夜ぶりね」
現れたローザがヒラヒラと手を振ると、炎がチリチリと舞い消えていった。
「ローザ……どうやって?」
不思議に思うのは、何故かバルコニーにいるローザが、どうやってここまで辿り着いたのか、だが。
それはローザが簡潔に説明してくれた。
「――飛んできたわ」
簡潔過ぎた。
「そうじゃなくてぇっ!」
ローザが飛べるようになったことは、身を以て経験したから嫌でも分かる。
言いたい事はそうではなく、「何故、こうも簡単に来たのか」と言う点だ。
ローザは昨夜、ローマリア王女の指南役の任を終えて城から出た。
その翌日に何故か、エミリアの部屋のバルコニーに出現したのだから、驚いているのだ。
「ああ……――こうやってよ」
「……!――っえ……?」
エミリアが瞬きをした瞬間、ローザの姿は消えていた。
バルコニーの外に下りたのかと確認するが、勿論姿はなく。
「……――こっちよ」
「ど、どこっ!?」
声は聞こえるが、その声はまるで心に直接語りかけてくるようなものだった。
これがエドガーたちの使う【心通話】だとしたら、凄くくすぐったい感覚だ。
しかも余計に混乱する。
「――ローザっ!?もう!どこよぉ!」
「目の前よ」
「……はい?」
部屋の中、陽射ししか入らない部屋の一角に。
集積していく赤い粒子。
エミリアは口を開いたまま、その神秘的な光景を目に焼き付ける。
集積した赤い粒子は徐々に形を成し、見覚えのある形に形成される。
一言小さく「ローザ……」と呟くエミリアは、瞳に映る赤き“精霊”の姿に、心を奪われた。
「――こうやって来たのよ。ん?……エミリア?」
「……」
口をパクパクさせる少女の頬を、ローザは引っ張る。
「……い、いふぁい……」
「ビックリした?」
「……しふぁ」
「そ。ならいいわ」
満足気に手を離す。
エミリアは頬を擦りながら、ローザを凝視していた。
上から下までを確認しても、いつものローザと変わらない。
だが、その醸し出される雰囲気は、まるで知らない人のようだった。
「……そんなに見られても、何も出ないわよ?」
「や……そうなんだろうけど、なんだろ……」
エミリアはペタペタとローザのボディチェックを始める。
「だから何も無いってば」
罠を探る様に、エミリアはローザの身体をくまなく触る。
「そろそろ怒るわよ?」
「――ご、ごめん……」
ローザがエミリアの頭を掴んで引き剝がす。
そもそもローザがエミリアのもとに来たのは、昨日の夜エドガーと何かあったのではないかと勘繰り、居てもたってもいられずに聞きに来たのだ。
勿論、エドガーの様子から見ても、話した内容を聞いても、男女の仲に進展したとは考えにくい。
それでも、ローザが自分で二人を引き合わせた以上、気にならない訳がなかった。
「それより、エミリアはもう平気なの……?」
「――え?うん……元気だよ?」
「そうじゃなくて……その、エドガーと……」
ローザにしては珍しく、言い淀む。
赤い髪の毛を指でクルクルと弄り、目線を逸らして、夜に何かあったのではないかと聞きたそうにする。
早朝に、エドガーからエドガー視点の話は聞いた。
でもそれとこれとは違う。エミリアの方も気になるのだ。
「……あ」
エミリアもピンと来たのか、思い出して照れる。
それでも、エドガーに言われた言葉が心を包んでくれているおかげで、恐怖心が出る事は無かった。
「ローザでも気になるんだね。そういうの」
「なっ――!」
ローザはビクッと踵を浮かせる。
なんだか新鮮な仕草だ。
だが、ローザは恥ずかしそうにしながらも、正直に答えた。
「そ、それはそうに決まっているじゃない……友達の話なのだから」
「……あはは。照れちゃうなぁ」
「笑い事じゃないのよっ、時間無いのだから手短に言いなさいっ!」
「いふぁふぁ……」
ローザは恥ずかしさを打ち消すように、エミリアの頬を再度抓ったのだった。
◇
エミリアが紅茶を淹れた。
コポポ――と音を鳴らし、茶葉の香りが部屋に充満していくのを、ローザは香って気分がよさそうに言う。
「エミリアも上手よね、紅茶を淹れるの」
わざわざ温めたカップに注ぎ、ローザの前に出す。
「あーほら、サクラが教えてくれたんだよ。美味しい淹れ方。メイリンさんと一緒に聞いてたら覚えちゃった」
それはメイドの仕事では?と思うも、エミリアの専属メイドだった少女を思い出して、その記憶にそっと蓋を落とす。
「なるほどね……嫌でも上手くなる訳か」
「誰を想像したのか……一瞬で把握出来ちゃったよ」
「たはは」と苦笑いするエミリアの懐かしそうな顔に、あのメイドは元気だろうかと、ローザも少なからず思った。
今頃は、エミリアの兄アルベールの屋敷で仕事をしている筈だ。筈――だ。
「さてと。それしゃ改めて……昨日はありがとう、ローザ」
テーブルに着いたエミリアは、向かいに座るローザに深く頭を下げる。
ローザは笑顔で。
「……いいのよ。私が感謝したいくらいなのだから」
ローザは、エミリアの心を救いたい一身で、《石》と融合を果たした。
長年、【消えない種火】として右手に装着していた《石》を体内に取り入れ、その内に封じられていた存在、“精霊”フェニックスと同一の存在となったのだ。
今や“精霊”そのものとなったローザは、肉体と言う概念を捨てた。
人を辞めたと言えば簡単すぎるが、それに近いものだとは思っているし、実感もある。
以前の《石》の副作用である、無発汗や無紅潮が無くなり、汗も掻くし顔色も変わる。
見る人が見れば、以前よりも人間らしいと思うだろう。
だが、それは表面上の物だ。
ローザは紅茶を飲みながら、その味を深く沁み込ませる。
「……美味しいわ」
真実の名を取り戻した《石》、【不死鳥の種火】。
ローザが下町から、ここ【王城区】の城まで簡単に来れたのも、姿を消せるようになったからだ。
飛行は勿論できるが、身体を粒子に変える事で、瞬間移動にも近しい行動を行えている。時間もそう掛からない。
それ以外にも感覚が鋭敏になっていたり、【魔力感知】の範囲が広がったりと、それこそ人間離れしている事が多かった。
今ローザが言った「美味しい」もそう。
味覚も、美味と言うよりは、その情報を読み込んでいるに近い。
茶葉の風味、発酵度合い、含まれる栄養分などの情報が、舌を通してローザは感じるようになっていた。
昨夜のポテトチップスもそう、確かに味は感じるし、美味しい。
だが、それ以前に情報が押し寄せてきて、あまり楽しくはない。
「ローザ。なんか変わった?」
「――そうかもね」
ティーカップをソーサーに置いて微笑む。
もう、変に意地を張る事も無ければ、無下に否定するようなこともしない。
自分自身と向き合い、進む。そう覚悟して、ローザは“精霊”となったのだから。




