106話【おはよう2】
◇おはよう2◇
目覚めは、やけにスッキリしていた。
昨日までの胸痛も頭痛も無くなって、いつも見る天井のシミが、やけに真新しく見えるくらいだった。
「……」
最近ずっと感じていた苦痛から解放されて、エドガーは爽快感を感じる程の目覚めをした。
パチリと目を開けて、すぐさま昨日の事を思い出そうとした。
しかし。
(エミリアと別れた後の事が思い出せない……なんだか柔らかいものを枕にしていた感覚があるけど。でも……あれ?僕はどうやって帰って来たんだろう……)
エミリアが作り笑顔で帰って行ったあと、エドガーはゆっくりと歩いて帰宅していた筈だ。
その後の事が何故か思い出せず、眉間に皺を寄せて思い出そうとするが。一切、何一つとして思い出せない。
「……う~ん……ん?」
ふと横に気配を感じて、視線だけを移して確認する。
そこには、自分の顔を覗き込むように観察する、赤髪の女性がいた。
「――うわぁっ、ローザ!?」
ガバッと起きて、壁に背を打つ。
「……おはよう。エドガー」
そんな驚くこと無いでしょう?と言いたそうな目で、ローザは枕元に肘をついていた。
「お、おはよう……」
確認を終えたのか、ローザは立ち上がる。しかし、恥ずかしそうに背を向けた。
何故かって?それは、エドガーが半裸だったからだ。
「……」
上半身をはだけさせて壁に寄りかかるエドガーは、寝起きと言うのもあってなかなかに煽情的だった。整えられず乱れた髪、汗の臭いを残した鼻腔をくすぐる匂いに、年上のお姉さんも思わずドッキドキだった。
「――ローザ?」
「な、なんでもないわっ」
(なんなの……少し会わなかっただけで、どうしてこんなに動悸が……い、今までは平気だったのに)
背を向けるローザは、まさかの顔を赤くしていた。
自分でも分からないが、エドガーを真っ直ぐに見ていられない。
《石》が【消えない種火】のままだったなら、顔が赤くなることも体温が上気する事も無いのだが、【不死鳥の火種】に進化した《石》に、残念ながらその機能は残っていなかった。
昨日はエミリアを優先されていたため、エドガーを見ても“久しぶり”程度にしか思わなかったが。
それなのに、エドガーの寝顔を見ている内に高揚し始め、目覚めたエドガーと目が合った瞬間に発火した。
「ちょっとローザ……なんでそんな、え?なんで?……ほっ!はっ!……ええ!?」
エドガーはローザと目を合わせようと回り込む。
何度も何度も回り込むが、反発する磁石のように顔を背けていく。
「エ、エドガー!い、いいから服を着なさいっ。はしたないでしょう!」
「は!?……えぇ!なんで上、着てないの!?」
「こっちが聞きたいわよ!エミリアと何かしたわけ!?」
「――し、してない。してないよ!エミリアはあの後ロヴァルトの屋敷に帰ったから……!」
ローザは背を向けながらも、エドガーのこの状況を考えて言った。
そんなエドガーは否定しながら、急いでシャツを着ていく。
(な、なんで上を着てないんだろう……僕、昨日……)
そこまで考えて、うっすらと思い出す。
(――そうだ。倒れたんだ……)
着替え終わり、エドガーは額に手を当てる。
頭痛はない。胸痛も腹痛も無い。
だが、どこか違和感はある。
「エドガー?」
「あ、いや……なんでもないよ」
ローザも様子を伺うように横目で見て来ていて、着替えが終わっていると気付いて近寄ってくる。
「具合が悪いの?」
「ううん、ホントに……何でもないからさ。あ、それよりローザ、久しぶりだね!」
「え……そ、そうね。久しぶりだわ……本当に」
どこか誤魔化すようにするエドガーを追求することもなく、ローザも優し気に笑いながら答える。
エドガーはベッドに、ローザは椅子に座り直し。
二人は朝食までの間、話をすることになった。
◇
エドガーは、夜の事(エミリアとの事)を出来る限りローザに話した。
ローザが連れて来たエミリアの事だ、当然気にしているだろうと思っての事だが。
「そう。てっきり泊っているものだと思っていたわ」
帰った旨を伝えると、何故かジト目で見られてエドガーが焦った。
と言うのも、ローザは一つ覚悟をしていた。
エドガーとエミリアが――恋人になる可能性だ。
花を持たせたとは言え、ローザが眠らなかった理由の一つでもある。
実は、部屋を開けた途端二人の寝姿が目に映ったらどうしようかとも考えていたが、直前にドロシーと会った事でそれは否定できた。
その結果、安心してエドガーの寝顔を眺めていたのだ。
「な、なんで!?そんなことしないよっ!」
エドガーは焦りながら否定する。
「それはそれで……」
あの子がかわいそうだ。
「何その目!怖いよっ…――って、ローザ……その目」
エドガーは気付く。
ローザの深い青色だった目が、真っ赤に変色しているのを。
ベッドから下り、椅子に座るローザの眼前まで近寄ると、宝石のように輝く紅眼を目に焼き付ける。
「……凄い……綺麗だ」
「……」
(やばい……嬉しい)
魔力が戻ってなお、《魔法》を使う事を控えていたローザの眼は、燃え上がる様に赤かった。
そして今、ローザは照れている。
必死に感情を押し殺そうとしたが、にやけそうになってしまう。
ならばどうする。そうだ、誤魔化そう。
「――そ、それより、エミリアにも会いに行かないとね。今の話の通りなら、もう直ぐ城に向かうのではない?」
エミリアは、【貴族街第一区画】にあるロヴァルトの屋敷に泊ると言っていた。
起床後、直ぐに城に帰るのだろう。
「ロヴァルトのお屋敷は【王城区】に近い位置にあるし、時間もそんなにかからないから、ゆっくりのはずだよ」
エミリアの事をエドガーに任せて正解だった。
彼女の心境がどうあれ、エドガーと会った事で不安が少しでも拭えたのなら、ローザが機会を与えた甲斐もあると言うものだ。
「それじゃあ、ゆっくりでもいいわね。昼前くらいに、もう一度城に行くわね」
「うん。そうしてあげて。僕も行きたい所だけど……」
エドガーは城には入れない。
正式に禁止されている訳ではないが、やはり抵抗感があるのだろう。
【召喚師】を“不遇”職業と決めた王族のいる場所だ、その気持ちも当然と言えば当然だ。
「分かっているわ。私も力を確かめたいし、一石二鳥だから」
「それならいいけど……ローザは平気なのかい?」
「?……なにが?」
エドガーが言っているのは魔力の事だ。
先程までローザの目の事を言っていたように、魔力が足りないことだって分かっていた。
以前エミリアに相談された事もある。
それでも、エドガーは動かなかった。
エドガーは、それを気にしているのだろう。
自分がローザの為に動かなかったことを、ローザは責めないのかと言っているのだ。
「さっき話を聞いて、ローザがもっと強くなったのは分かったし、自由さが増したのも理解したけど……やっぱり心配と言うか……一番大変な時に手を差し伸べなかった僕が、何を言うんだって思うかもしれないけど」
エドガーは自分の作業机に手を伸ばして、置かれていた小箱を手に取る。
パカリと開けられたその小箱の中には、赤系統の小さな宝石が、無数に敷き詰められていた。
「……あ、それ」
ローザとエミリアが見かけた、貴族街でのエドガーの行動。
《石》を集めるエドガーを見かけたローザは、それが自分の為だと分かっていた。
「うん。足しになるか分からないけど……少しでも【消えない種火】の代わりになればって思って、赤系統の《石》を集めてたんだ。元々倉庫に合ったものもあるけど、暇を見つけては拾いに行ってたんだ」
ローザは小箱の中身の《石》を抓む。それは小さなルビーだった。
微かに感じる魔力は、《魔法》を使えるほどの量ではない。
一度でも何かに使えば、直ぐにただの石ころになってしまう様なものだ。もしくは砕ける。
それでも、その数は尋常ではない。
小箱の中身は全て赤系統の宝石であり、ルビーの種類やガーネットの種類、様々な欠片がある。
「……」
(これを集めるのに、この子はどれだけの人物に頭を下げたのかしら……)
あの時、貴族の女性に頭を下げていたエドガーを思い出す。
エドガーの立場上、無償で提供されたという事は考えにくい。これは、エドガーの努力の証だ。
それだけは理解できる。
だが、それを口にしてはいけない気がして、ローザは。
「ありがとう、エドガー……嬉しいわ。使わせてもらうから、必ず」
今ローザにするべき事は、笑顔で感謝を告げる事だけだ。
「……うん!」
それだけで、少年は笑顔になれる。救われる。
少年の影の努力を口に出すことは、許されない事だ。
それは少年として、一人の男としてすくすくと成長する。
エドガー・レオマリスと言う男の、大事な過程なのだから。




