105話【おはよう1】
◇おはよう1◇
朝が近付き、ローザたちはメルティナの部屋を出た。
「――メルティナの部屋だという事を失念していたわね……」
部屋の扉を。申し訳なさそうに静かに閉めながら、ローザは反省を口にする。
先に出ていたサクラとサクヤも、苦笑いで反応。
「う、うん。すっかり忘れてた」
「メル殿も起きなかったし……よ、良しとしよう」
初めから場所を変えればいいだけの話だったが。
テンションが上がった女子会は、眠った人物がいる真隣で行われていた。
その時点で既に深夜。今はもう朝日が見え始めている。
「エドガーは寝ているかしら……?」
サクラとサクヤは隣の自室に戻りながら。
「流石に眠っているのではないか?」
「ま、朝だしねぇ……ローザさんは?眠くないの……?」
「……通り過ぎたわ」
目元に若干の隈を残して、ローザは言う。
「あるよね~……あたしは眠いけど」
「わたしもだ、せめて昼までは休みたいな」
そんな二人に、ローザは笑顔で述べた。
「そうね、夜中に起こしたのは私だし。昼には起こしてげるわよ」
一階に下りる廊下に向かいながら、ローザは二人に目覚ましをしてくれると言う。
「「……」」
「何よその顔」
顔だけ振り返って、ジト目で言うローザ。
ローザの言う通り、二人の顔は驚きに包まれていた。
なにか不思議なものを見たような、そんな顔。
「い、いや……何というか」
「う、うむ……ありがたいぞ」
「そうでしょ?なら、ありがたみを感じながら寝なさい、じゃあね」
手をひらひらさせて、ローザは廊下を歩きだす。
そんなローザの背中を見ながら、黒髪の少女二人は。
「ローザさん、変わったね」
「だな。以前は自分の事や主様の事しか眼中に無かったようにも感じられていたが、わたしたちの事も……メル殿やエミリア殿の事も考えてくれている」
「うん……そんな感じ。あたしも頑張ろ……ローザさん見たいに」
「ああ、そうだな。しかし先ずは……」
二人は、眠そうな目を合わせて。
「「……寝よう」」
部屋に戻った二人は一瞬で眠りに就いた。それこそ泥のように。
◇
一階に下りてロビーに来たローザは、何処に向かうかを考えていた。
(お腹も減ったけれど、メイリンが出勤してくるまではまだ掛かるはずだし……二人を起こすと言ってしまった手前、今から眠る訳にもいかないのよね)
食堂と休憩所に目を行ったり来たりさせて、己と葛藤する。
(エドガーは……まだ寝てるわね。それはそうよね……それにしても、エミリアとの話はどうなったのかしら……?)
何か進展があれば、一言くらいくれると思っていたのだが、起きていたローザにエドガーから声がかかる事は無かった。
まさかエミリアとの間に悪い事が起きて、ふて寝をしているのではと勘繰るも、それだったらエミリアがローザに報告に来るはずだしと、ローザは一人で解決する。
(……ん?)
ローザは、エドガーが寝室に使っている管理人室から、知らない人物が出てくる瞬間を見た。
思わず咄嗟に、声を掛ける。
「ねぇ、貴女」
「……?」
咄嗟に声を掛けたその人物。部屋から出て来た栗色の髪の女性は、サクラとサクヤに聞いた新しい従業員の情報と一致していた。
無視することも出来た。がしかし、声を掛けない訳にはいられなかった。
「あの……何か?」
「あ、いえ……貴女が、新しい従業員の?」
「え、ええ。そういうあなたは?……あ!もしかして、202号室の……ロザリームさん?」
この女性も、ローザの情報はあるだろうと思っていたが。
自分から気付いてくれて、ローザからしたら大助かりだった。
「……」
「……」
お互いに無言ではあるが、ローザは「そこはエドガーの部屋よ?」と、ドロシーは「何か御用ですか?」と、視線で物語っている。
◇
~ローザの心中~
この女、どこか不思議な感覚だわ……。
隙が無いというか、全てにおいて注意を払っているという感じ。
と言うか、今エドガーの部屋から出てこなかった?来たわよね?
従業員……なのよね?
ま、まるで通い妻かのような風格……何故かしら、今までで一番厄介な雰囲気が出ている気がする。
油断できないわね。
◇
~ドロシーの心中~
これが【滅殺紅姫】ですか……ただならぬ気配を発していますね……わたくしを警戒しているのでしょうか。
それにしても、人間……ですか?この感覚、まるで精神体のようです。
ですが、《魔法》の効果は出ているようで何よりです。
流石にわたくしの代わりになろうとしているだけはありますね……。
油断できませんね。
◇
一瞬の間で、お互いを警戒する二人は。
自分の中の思惑を考え終わると、自然と顔を見合わせて。
「――フフフ」
「……うふふ」
互いに、頬を引きつらせて笑う。
そして先に動いたのは。
「……知っているかもしれないけれど、私の事はローザと呼んでくれるかしら。よろしく」
「はい。ドロシーです……よろしくお願い致します、ローザ」
手を差し出すローザの手を、ドロシーはすんなり取る。
「……」
「……」
「――では、わたくしはメイリンさんが来るまでに、朝食のご用意をしていますので」
「……ええ」
ドロシーはローザに一礼して、厨房に向かっていく。
その様子を、ローザは握手をした右手を確認しながら見送った。
(魔力を籠めたのだけれど……反応しなかったわね。やっぱり私の考え過ぎかしら……)
手に籠めた炎の魔力を、ドロシーは感じ取らなかったのか。
至って普通の反応だった。
(雰囲気に騙された……?少し過敏になっていたのかしらね……これからは気を付けないと)
“精霊”になったことで、鋭敏になった感覚を制御するために、ローザは精進しなければと。
そしてドロシーに対しては、勘繰り過ぎたのかと、ローザは少しだけ反省し、そして、エドガーの部屋の扉を開けたのだった。
◇
無言のまま、カツカツと厨房に歩んでくるドロシーは。
顔を暗くしたまま、昨日分の残り水が入った軽桶に、勢い良く右手を突っ込んだ。
――ジュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!
蒸気が発生し、厨房に広がる。
我慢の限界が訪れたドロシーは、必死に声を押し殺しす。
平静を装った自分を、褒め称えてあげたかった。
(――あっっっづぅぅぅぅぅいいいいいぃぃぃぃぃぃ!!)
一般人に扮している以上、ローザの手に籠められていた魔力は、心を無にして知らない振りをした。
勿論のことだが、想像以上にダメージがある。
《隠蔽魔法》で魔力を隠しているとはいえ、少なからず感知することは出来る。
ローザにバレないように必死に気付かぬフリをしたが、物凄く熱かった。
(あの女……わたくしを試しましたねっ!手に直接熱を持たせないで、魔力に反応する形で仕掛けて来た……許すまじぃぃ……【滅殺紅姫】ぅぅっ!)
まさか初対面で魔力を使ってくるとは。
思いもよらぬローザの行動。
フィルヴィーネが言っていた通り、勘が鋭く、ドロシーは警戒されたのだろう。
下瞼に溜まる涙は我慢の証だ。
《隠蔽魔法》が台無しにならずに済んだことだけが、唯一の収穫だろう。
(……ロザリーム・シャル・ブラストリア、あの後エドガー様の部屋に行ったのでしょうね……それまではわたくしが居ましたけどねっ!)
深夜エドガーが倒れた後、フィルヴィーネによって転移で戻って来たのだが、その後はドロシーが寝ずに看病(それほどではない)をしていた。
それから朝まで、ドロシーは離れずエドガーの様子を見ていたのだが、気配を感じて外に出た瞬間、ローザと鉢合わせた訳だ。
(……気付かれなかったことは幸いですが、注意しなければならない事には変わりありません……)
ドロシーは軽桶から右手を抜く。ヒリヒリする右手は、見た目では分からない普通の手であり、何故冷やしているのかと言うくらいの物だった。
「……はぁ」
ため息を吐き、痛みを我慢しながら、ドロシーは朝食の支度を始めたのだった。




