101話【魔王と天使】
◇魔王と天使◇
ほんの少し前。【福音のマリス】では。
「――ガブリエル」
声を発したのは、紫紺の髪の女性。“魔王”フィルヴィーネ・サタナキアだ。
声を掛けた相手――栗色の髪の女性ドロシーは。
警戒したようにキョロキョロと辺りを見渡して、半分睨むようにフィルヴィーネを見た。
それもそのはず、ここは従業員ドロシーが借りている一階の部屋。
施錠はされており、完全な密室な状態だった。
「……」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、突如訪問してきた“魔王”を訝しむ。
「――案ずるな誰も居らん。我だけだ」
「そういう理由ではございませんが……」
一人部屋にいたドロシー、いや、“天使”スノードロップはおもむろに移動し、小さな小物入れから紫色の小石を取り出して、手の平でそれを砕いた。
それを見たフィルヴィーネは。
「警戒しすぎだろう……」
半ば呆れたように眉を顰めて、スノードロップに言うが。
「それはそうでしょう……わたくしの、簡易とは言え結界を……転移だけで一瞬で破壊しておいて、よく仰いますね……」
今スノードロップが砕いたものは、極小の【魔石】だった。
それを、現在使える限られた魔力で、室内に結界を張り直したのだ。
声を掛けてきたフィルヴィーネは、本当にいきなり声を掛けて来た。
背後から音もなく、突然だ。結界など関係なく、まるで無意味だったかのように。
「結界などと言った類ではなかろう、精々人払いといった程度ではないか?」
「……」
ケロッと悪びれない“魔王”に、“天使”は苦笑する。しかし気を取り直して。
「それで、何用でしょうか……?ニイフ様」
「ニイフはやめろ。お前に言われるとむず痒いわ」
「……ではフィルヴィーネ様」
「フィルヴィーネでよい。我は“魔王”、お前は“天使”……お前は“神”に仕える者だろうが」
その言葉にスノードロップは思った。
“神”の加護など、とうにこの世界には存在しないのに、と。
しかし、にこりと笑い。
「それでは、そうさせていただきます。“魔王”フィルヴィーネ」
「クックック、それでよい」
深々と頭を下げるスノードロップの顔色など分からないまま、フィルヴィーネは満足そうに笑った。
◇
「それでフィルヴィーネ。貴女様はどうしてこの部屋に?転移でなくても、直接来ればよろしいのでは?」
スノードロップは、用意した椅子にフィルヴィーネを座らせて、自分も先程まで座っていた椅子に腰掛ける。
フィルヴィーネは長い脚を組み、椅子に思い切り背を預けて言う。
「先程、ロザリームが帰って来た」
「……【滅殺紅姫】、ですか……?」
スノードロップも知らない訳はない。
元の世界で、【勇者】になり損ねた傑物、ロザリーム・シャル・ブラストリアは有名だ。
それに、転生したエドガーが改めて“召喚”した、初めての女。
自分の代わりになるかも知れない、要注意人物。
「ああ。あの娘は“感じ”がいい、お前も気取られる可能性がある……」
「……そこまで、ですか?」
「クックック。そこまで、だ」
「やけに嬉しそうですね」
フィルヴィーネは腕組みをして、大きな胸を休めているかのように腕に乗せて笑う。
その笑みがやけに、ローザの事を話すことが楽しそうだと、スノードロップには見えた。
「それで、その【滅殺紅姫】はどうしているのですか?」
「うむ。今は他の仲間どもと話している……どうやら何かあったらしいが」
今は深夜だ。
しかし、それならばフィルヴィーネは行かなくてもいいのだろうかともスノードロップは思ったが。それよりも。
「――エドガー様は?」
「……」
ふとした疑問だった。その初めての女が戻って来て、エドガーが喜ばない訳はない。フィルヴィーネだって分かっているだろうに、何故この“魔王”はここに居るのだろうかと。
「……」
「……」
少しの間が開き、フィルヴィーネは言う。
「最近、エドガーは調子が悪そうだな」
「――!」
(やはり、勘付いていますか……)
「特に胸・頭・腹の痛みに悩まされているようだ……あ奴は隠しているがな」
フィルヴィーネはエドガーの行動を把握している。
仕草や言動で、その調子が分かる程度には。
「……わたくしに、何か?」
「……」
もう、分かっているのだろう?と言われているような視線だった。
これを言いに来たと、言っているようなものだ。
「エドガー様は、眠っているのですか?」
「いや、幼馴染の娘と外に出た……ロザリームが連れて来たようでな、きっと……何かあったのだろう」
少しだけ寂しそうに、フィルヴィーネは言う。
「具合が悪いと分かっていて、外に出たのですか?エドガー様は」
「そういう奴だ」
腑に落ちない点が、次々と出てくる。
(あの【魔女】が《転生魔法》に成功していたのは分かりました……しかし、どうでしょう……以前のエドガー様は……|こんなにも他人思いだった《・・・・・・・・・・・・》でしょうか……)
スノードロップの知るエドガー・レオマリスは、他人にも自分にも厳しい。
厳格であり、威厳のある堅物だった。
(……転生はしているのでしょうが、前世の記憶を思い出せてはいないから?いえ、それでも……性格がここまで変わるものでしょうか。どちらかと言えば……)
パッ――と思い浮かんだその人物の姿に、スノードロップはゾッとして青ざめる。
思い当たる節としてその少年の姿が出て来た事に、自分を馬鹿らしく思った。
(いえ……まさか。そんな馬鹿げたこと……それに、【召喚師】の力は確実にエドガー様にあるのです。それが何よりの証拠……そう、それが事実なのです)
「――い……おいっ!この“天使”っ!」
バシン――!!
脳天に衝撃。
星が見えた。
「――いっ!!たぁ……何をするのですか、ニイフじゃなくてフィルヴィーネ……」
どうやら、ボーっとしている所を“魔王”様に殴られたようだ。
フィルヴィーネは右手をチョップの形で振りかぶっていた。
気付かなければもう一発貰う所だったようだ。
「お前が我を無視するからであろうがっ」
「そ、それは申し訳ありませんでしたが……」
脳天を押さえて涙目で謝罪する。不思議と、鬱屈になりかけていた気分も晴れた。
そして同時に、浮かんでいた別の少年の姿も消えて行った。
「……ガブリエル。今……エドガーが倒れた」
「――な!?……エドガー様がっ!?」
スノードロップは、自在に使えない力を悔やむように《隠蔽魔法》を解除しようとした、が。
「やめておけ、ロザリームに気取られると言ったであろう」
「――ですが!」
「場所は近い……転移で行くぞ」
「わたくしも……よいのですか?」
フィルヴィーネはスノードロップに近付き、肩を掴んで言う。
「ああ。勿論だ……その代わり」
ニヤリと不気味に笑う姿は、やはり“魔王”なのだと、この時思い知らされたスノードロップは。
「……出来得ることは、お話いたします……」
「うむ。それを聞きたかったのだっ。では行くぞ!」
そう言い、紫色の魔力が湧き出た瞬間には、室内には誰もいなくなっていた。
だがやはり、張り直した結界は再び破壊されていったのだった。
次話は100話Bとなります。
内容は、100話Aに台詞を追加したものになります。地文は省いております。




