100話A【繰り返す未来《ルフラン》】
◇繰り返す未来◇
カツカツと音を鳴らして、誰もいない町に響く革靴の音。
やがて音は止まり。その足元には茶髪の少年が、苦しそうに胸を押さえながら倒れ込んでいた。
歩いてきた一人の女性は、倒れる少年を見下ろして言う。
「取り戻したようですね、契約の力を……はい。今お話した事が、現状言える全てです」
女性は、栗色の髪を耳にかけながら屈み、少年の頭部を愛おしそうに膝に乗せた。
【福音のマリス】の新しい従業員、ドロシー。いや“大天使”スノードロップ・ガブリエルだ。
彼女は、先程までのエドガーとエミリアのやり取りを、すべて見ていた。
正確には、視えていた。だが。
「ええ、癪ですが……わたくしと【魔女】の【接続能力】……【繰り返す未来】を発動されたようですね、エドガー様……」
スノードロップは優しくエドガーの額を撫でる。
異世界人サクラとの契約の証である、白い《紋章》がそこにはあるが、スノードロップが見ているものは、更にその奥にあった。
「そうです。わたくしともう一人、そして【魔女】が。その【魔女】の《石》は脳内にあります……その反動が、ここ最近の不調の原因でしょう。まぁ、わたくしの《石》のせいでもあるのですが……」
そう言いながら、スノードロップはエドガーの胸を撫でた。
スノードロップの《石》、【運命の水晶】は本来胸にある。その場所だ。
脳内に存在する筈の《紋章》は物理的に見ることは出来ない上に、《魔法》などでも感知する事が出来なかった。
「申し訳ないとは思っています……“絆”……ですか。いえ、今となっては呪いでしょう……」
依然に言われた言葉を思い出して、スノードロップは苦笑いを浮かべつつも、今のエドガーの頬に触れた。
「本当に……面影があります」
以前のエドガーは、老人手前の年齢だった。
それを考えても、現在のエドガーから面影を感じるのだ。
「ええ。やはり、成功していたのですね……【魔女】のあの《魔法》は」
スノードロップは少しだけ憎々しく【魔女】を思う。
以前、《転生魔法》は失敗しているかもしれないと話し、スノードロップたちは生まれたばかりのエドガーから離れることになった。
その後、西国に辿り着いたスノードロップたちであったが。
その時からだ。【魔女】ポラリス・ノクドバルとの関係が、一気に険悪なものになったのは。
「よくもわたくしやノインを欺いたものです。一人だけエドガー様を監視していたのでしょうが、これからはそうはさせません。もう直ぐわたくしの仲間、ノインたちが王都に到着するでしょう……そうすれば」
帝国から逃げた際、ポラリスが追ってくる可能性も考えていたが、追手は騎士たちだけだった。
これは、スノードロップの中で想定外に当たるものだ。
隠蔽の為に《石》の力を使っていないスノードロップは、今現在ポラリスの居場所を感知できない。
それは相方であるノインも同じで、傷が癒えるのを待っている状態だ。
「はい、構いません。あの【魔女】が何を企んでいるか、分かったものではありませんから……」
十数年前から、いや、この世界に来る前から、スノードロップとポラリスは険悪の中だ。
この世界に“召喚”されたのも戦いの最中であり、まさか仲間になるとは思わなかった。当初は、そうとう当時のエドガーを恨んだものだ。
しかし、それも今となっては一昔前の事。和解したとは言えないが、同じ“契約者”を持つ実力者だという事だけは、認めている。
スノードロップは、エドガーに向けて。
「わたくしとノインが貴方様に気が付いたのも……あの【魔女】の行動を怪しんだから。思えばまだ、それ程時間は経っていないのですね……」
スノードロップがエドガーの素性に気付いたのは、【禁呪の緑石】を【召喚の間】に置いた時だった。(描写はない。時系列的に言えば、1部2章)
その時はまだ半信半疑であり、15年振りに見る彼の身体的な成長を喜んでいたが。今は違う。
【召喚師】としても成長し、数人の異世界人を招いたその実力は本物。
老人手前だったあの時のエドガーに、“召喚”した数は既に並んでいた。
「エドガー・レオマリス……しかし本当に、同じ名前を付ける事だけは反対だったのですが……」
本来ならば、“天使”であるスノードロップが、エトヴァルトと名付ける予定だった。
しかし、名付けたのはエドガーの父親だった。
「恨みを込めた、憎むべき相手だから……そう言っていましたよ、彼の父親は」
エドガーの父エドワードが、憎悪を忘れない為に付けたのだ、父と同じ名を。
「ですが、今になってよく分かりますよ……【召喚師】としての力を持たなかったあの方が、彼……エドガー様を恨むのも。帝国にいてなお、その向けるべき悪意は……エドガー様にあったのだと、理解させられました」
エドワード・レオマリス。またの名を、帝国軍事顧問シュルツ・アトラクシア。
スノードロップたちの昔からの仲間であり、素性を隠す為に部下として接していた、あの男。
【召喚師】としての力を持たない彼は、父であるエドガーに辛く当たられていた。
欠陥品だと、失敗作だと貶されて。
「確かに厳しいお方でしたが……でも、愛情はあった筈なのです。だからこそ、わたくしが守るのですわ……今の彼を、エドガー様を」
これこそが、“天使”スノードロップの目的だ。
エドガーを守り、家族の絆を取り戻す。
「ですが、彼女はもういない……はい、エドガー様の母親は、異世界人です」
スノードロップはエドガーを撫でつつ、その面影を探す。
エドガーの母であり、エドワードの妻であり、同じ異世界人である、マリス・レオマリス。
本名、マリ・スイレン。
異世界【地球】から来た、日本人だった彼女を。
◇
「ぅ……ぅぅ……」
「……(苦しむ顔は似ているでしょうか……?)」
エドガーはうなされている。きっとまた、来るべき未来を繰り返し視せられているのだろう。
スノードロップは、小さな鞄の中から乾いた薬草を取り出して、指でクシャクシャッと擦り潰しエドガーの鼻もとにあてがう。
「気休めでしょうが、ドライハーブです……少しは効くはずですが。いえ、もう【月の雫】はありませんよ」
効能を凝縮させた、ただの香草だ。
リラックス効果を促すものであり、傷薬ではない。
「もう四十年もすれば……あのようなお姿になるのでしょうね、きっと」
死に間際のエドガーは、【魔女】の《魔法》によって命を落とした。
そしてその魂は、《転生魔法》によってマリスの腹の胎児に転生させられたのだ。
「……すぅ……すぅ」
「正直、もう関わらない方がいいかとも思いましたが、あの【魔女】が何かを企んでいる以上……わたくしもノインも、指を咥えて観測者に徹していられるほど、吞気ではありません」
寝息を立て始めるエドガーの顔を見て、笑顔を見せるスノードロップ。
香草のリラックス効果が出てくれたようだ。
「……はい。わたくしは、守るためにここに戻って来たのですから……」
スノードロップの視線は、暗がりに向けられている。
今までの“天使”の独白は、ただの独り言では無かった。
視線が向けられるその暗がりには、物凄い威圧感を発する、“魔王”が居たのだから。




